そして、彼の腕にはいちめんに刺青が踊っていた。

ひとめには色の混沌である。しかし、よく見ると龍、花、波などがたしかにあった。

それが左腕を覆いつくしているのだから、目を惹かれるのは私ばかりではなかった。

彼は浴衣のみを纏って、隠そうともしない。背を丸めた往来の人々の中でかえって堂々としている。誇りが彼にはあった。

小さく噂声が聞こえた。声を細めるのは忌避からか、あるいは恐怖か。いずれも後ろ指などさすのは常に弱者である。正面切って指を突き立てる勇気もなく、脅威の去ったのちに得意げに批判するのであろう。

はたして、彼は周囲に弱者を残しながら、同時に強者であり続けながら歩いて来た。そして弱者の私とすれ違っていく。目は合わせない。弱者の自覚ゆえ。だから、

「おや、兄さん。落っこちたよ」

の声に心臓が跳ね上がる。そしてハンカチをこちらに差しだす腕に釘付けになる。龍の一匹と目が合う。次いで、龍の飼い主と。

汚れちまったなあ、と言って塵も払ってくれている。私などのために。

丁重に受け取り、声が震えないように例を言う。優しそうな眼が印象的だ。

もうじき雨になるよ、気をつけな。と聞こえた。気が付くと彼は見えなくなっていた。

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