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三人の女性たちについて(自主制作物の思い出)

今日は三人の女性たちについて書きたい。


一人目はわたしの祖母。

二人目は中学時代の友人Aさん。

三人目は知人のBさん。


彼女たちに共通しているのは、自分の興味関心を深め、それについて自主制作物を作り配っていたということだ。


一人目の、祖母について。


以前もこちらに書いたことがあるが、現在も存命中の祖母はかつて短歌を趣味としていた。

若い頃からずっと興味があったという祖母は、60代、70代になってから電車でカルチャースクールに通い、年下に当たるとある著名な女性歌人の先生の指導をうけていた。

努力の甲斐あって、祖母は歌集を出版し、何か受賞などもしていたようである。


幼い頃の記憶として目に焼き付いて離れないのは、一般家庭には不似合いなコピー機の前で、祖母が短歌関係の同人誌のようなものを印刷している姿だ。

何かの役割分担で、祖母が原稿をとりまとめ、ワープロで文字に起こし、表紙の色を選び、挿し絵のカットを配置し、送る…というようなことをひていたようだった。

そのため、当時祖母の家には常に大量のコピー紙があった。


わたしはこのコピー紙に目を付けて、何枚かくすねてきては真ん中を折って冊子状にし、テープでべたべたに貼り付けたあと、オリジナルの新聞やら漫画やら物語やらを書き、後で読み返すのが何よりも楽しみというインドア派の子供だった。

そのため、いつも祖母に見つかっては「紙を無駄にしないで!」と怒られていた。


祖母は現在も存命中であるが、残念ながら認知症を患い、家族のことはまだかろうじてわかるものの、再び歌を詠むことはもう叶わないであろう。

今となっては、手元にある祖母の歌集が、歌人としての祖母とつながるための唯一の方法だと言ってよい。


二人目の、中学時代の友人Aさん。


わたしの中学時代はお世辞にも楽しいものではなかったし、また、決して胸を張れるようなものでもなかった。

「世の中はこういうもの」という枠組みにどうしても乗り切れず、日々反発していたし、様々な背景と未熟さから、誰かを傷つけてしまうことさえあった。


そんな中でも比較的明るい思い出の一つが、友人Aさんが自主制作していた音楽関係のフリーペーパーだった。

当時はヴィジュアル系バンドの最盛期で、造詣が深かったAさんは、自分の好きなバンドについての記事や、読者の友人たちがリクエストしたアーティストについての記事を書き、B5サイズくらいの紙の両面にまとめたものを時々渡してくれた。


わたしはこのフリーペーパーをもらって読むのが好きだった。

パソコンからメールでAさんに感想を送るのも楽しくてたまらなかったし、何より、感想を受け取ったAさんがとても嬉しそうで、わたしが送った言葉(彼女が敬愛していた早世のアーティストさんについてなど)を次号で取り上げてくれたのも印象的だった。

元々音楽を聴くのが好きだったこともあって、Aさんのフリーペーパーをきっかけにヴィジュアル系バンドのCDを借りたり購入したり、ヴィジュアル系アーティストがよく取り上げられるファッション雑誌を買って研究したりして楽しんでいた。

そして、自分が書いたものを友達に読んでもらう、という行動ができるAさんのことを、素直にすごいなと思ったものだった。

当時のわたしは、パソコンのワードを使って小さい頃作っていたような新聞を作りこそすれ、それを誰かに渡して読んでもらうなんて夢のまた夢のように思えた。


前述のように、わたしの当時の未熟さからAさんとは縁が切れてしまったのだけれど、彼女はきっと今もどこかでなにか楽しいものを生み出していると思う。

今ならば、彼女に「これを読んで!」と、自分の作ったもののいくつかを手渡せそうな気がする。


三人目の、知人のBさん。

Bさんとは、今も時々連絡を取らせて頂いている。


Bさんとは、地元のとあるお店のスタッフさんと客、という形で知り合った。

通いつめるうち、Bさんはいつの間にか好きな本や漫画を貸してくれるようになった。

まだ高校生でそれほど知っている世界が広くなかったわたしにとって、Bさんの選書から得た刺激は多かった。


それだけではなく、Bさんが自主制作していた地域情報のフリーペーパーを頂いたことも強く印象に残っている。

地域で育てている野菜と、その農家さんを訪ねて敢行したインタビューが記事になっているのを見た時は、そのバイタリティーに感服した。


後年、この思い出からBさんにはわたしが作ったものを大量におくりつけてしまい、今ではちょっと恥ずかしく思っている。


祖母、Aさん、Bさん。

この三人の女性たちは、わたしが「何かを作る」時、必ずその原点にいる方々だ。


わたしは彼女たちのような存在になれるだろうか…いや、なろうとしてなるものではないだろう。


自省はいくらしてもしきれるものではないが、となれば、わたしもまた書き続けるしか、表現し続けるしかないのだと思う。

🍩食べたい‼️