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人並み

誰もが当たり前にやっている(とされている)ことが、どうあがいてもできないというのは、とても苦しいことだった。

ずっと、良くないことだと思ってきたこと。
避けなければならないと思ってきたこと。
むしろ、それが災いをもたらすと信じて疑わなかったこと。
長いことそう思い続けた結果、できなかったことが、私にはあった。

世の中では、自分より年下の人が、なんなら自分より十年も二十年も前に、通過していること。
本で読むと、ほんのニ~三行で済まされるようなこと。
笑いの種として語られるようなこと。

辛い気持ちになるたびに、答えが出ないとは分かっていながら、Googleの検索窓にしつこく入力してしまうようなこと。
困っているんです、と、やっとの思いで専門家に相談しても、まだそんなことやってるんですか、と鼻で笑われるようなこと。

比べたらいけない、とは、しばしば言われる表現だった。周りを見るからいけないのだと。
一番大事なのは自分の気持ち。だから、ただ自分と向き合い、自分のペースで、歩んでいけばよいのだと。
確かにその通りだ。
けれど、そう慰められたからといって、自分と向き合うことの辛さは、なかなか軽減されない。

少しずつ亀の歩みを続けて、一年にたった数メートルしか進まなくても、大丈夫だから、心配ないから、いつかきっと、と励まされて、もがいて、何年もたってからやっと見えてくる光。
きっかけは本当に些細なこと。ひょっとすると、今まで馬鹿にしていたかもしれないこと。

あっという間にそれは成し遂げられた。

今、自分は人並み、なのだろうか。
でも、心のどこかでは、後戻りすることをいつも怖がっている。またいつかのように泣きじゃくる時が来るのではないかと恐れている。
今までの辛かった気持ちを、この先もずっと忘れたくない。同じように悩んでいる人は必ずいるはずだ。共有するのは難しいかもしれないけれど、できることなら遠くからでも寄り添いたい。
私は過去の私を馬鹿にしたくない。

一つハードルを越えたら、また別のハードルが待ち構えている。
いや、ハードルだなんて考えるのは本当はおかしいのだろうか。ハードルが高すぎたらよけてもいいし、下を潜っても良い。そもそも走り出さなくてもいいはず。
なのに走り出そうとするのは何故なのだろう。
やっぱり人並みになりたいからなんだろうか。

でも人並みなんて、きっとどこにもない。

🍩食べたい‼️