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育犬ノイローゼだった私①

ミニチュアダックスフンドのたまちゃんと暮らし始めて約3年。

今でこそ、たまちゃんLOVEで、たまちゃんが天使のように見えますが。

たまちゃんをお家に迎えてから1年くらいは、辛くて辛くて。

そんな私が、どのようにして、たまちゃんと仲良くなっていったのかを思い出しつつ、綴ってみたいと思います。

* * *

たまちゃんとの出逢いは、コロナ禍の真っ只中の2020年7月。

かつて実家で飼っていた柴犬のケンタを、最期まで面倒見れずに、父に託してしまったことがトラウマになっていた私は、二度と犬は飼わない!と心に固く誓っていました。

母の愛犬だったケンタは、トイレトレーニングもしていなかったので、暑い夏の日も、雨の日も、散歩が欠かせなくて。

母の死後、誰も面倒を見る人がいなくて、仕方なく私たち夫婦が面倒を見ることになって。

当時は共働きだったので、ケンタは広い家にひとりでお留守番する時間が長くなって。

家の中で粗相することも増えました。

それでも、必死に我慢してくれていたのでしょう。

家の中で、ウンチをすることはなかったなぁと、今思い出しても、ケンタの優しさに胸がギュッとします。

そんなケンタに、できうる限りの愛情を…と思っていましたが、まだ遊びたい盛りの20代の私たち。

ケンタの存在が重荷に感じたりもしていました。

そして、私たち夫婦が実家を出て、マンションを購入したタイミングで、ケンタのお世話を再婚した父たちに託すことにして。

それまで家の中で暮らしていたケンタは、玄関前の犬小屋で暮らすことになり、鎖に繋ぎっぱなしの日々になりました。

仔犬の頃、母の愛情をふんだんに受けて育っていたケンタにとっては、悲しすぎる晩年でした。

「ケンタのお世話を途中で投げ出してしまった…」と思い、ケンタの写真を見るたびに「ごめんなさい」という気持ちが1番に出て来ました。

ケンタはすごく素敵な犬だったのに。

天国から見ていた母も、ケンタの暮らしぶりに心を痛めていたように思います。

* * *

そんなケンタとの想い出があったから、私には、犬を飼う資格なんてない。と感じていました。

そして、自分が生粋の犬好きでないことも自覚していました。

それなのに。

コロナ禍の中、お寿司をテイクアウトしようと車で出かけたときに。

おじいちゃんと柴犬の老犬さんがお散歩をしている様子が、思いがけずとても可愛くて。

「あのふたり、すごく可愛い」とつぶやいたことから運命が動き出しました。

運転席にいた夫が、そのつぶやきを耳にして、「オレ、実は犬が飼いたいんだよね」とボソッと言ったのです。

それまで、中学生の息子が何度も「犬を飼いたい」と言ってきたのを、一緒に反対していると思っていたのに。

実は、ずっと犬を飼いたいと思っていたなんて。

すごくビックリしたし、すごく申し訳ない気持ちになりました。

「犬を飼いたくない」と思っていたのは、私だけだったんだ。

私さえ、その気になれば夫も息子も犬との生活が送れるんだ。

そう思ったら、だんだんと「私が腹を括るしかない!」という気持ちになっていきました。



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