『高慢と偏見』(Jane Austen)を読んだ感想📖

すごく久しぶりに『高慢と偏見』(Jane Austen、阿部知二訳)(河出文庫)を読んだ。

もともとこのお話は大学時代の近代イギリス文学を学ぶ際の題材として勉強したのだが、英語本を読むのがあまり易しくなかったため、訳本であるこの本を買ったのである。映画を見てから小説を読む、という順番も手伝ってかある程度内容をつかんでいたため、英語のニュアンスが分からないところだけ訳本に頼っていた。そして、授業そのものでも全部を扱ったわけではなかったので、今回初めて頭から終わりまで読み通した。

今は外出自粛のせいでなかなか外へも出られないので、読書が専らの楽しみの1つである。

主人公のエリザベスから見えるダーシー氏の印象は最初から中盤まで本当に悪いのだけれど、ダーシー氏の本当の性質や彼がエリザベスを想うがゆえにしてくれたことなどが明らかになってくると、ダーシー氏が非常に素敵な紳士であることがエリザベス目線で楽しむことができる。

自分の思い込みや偏見によって、または高慢によって、相手の姿を正しく見ることができずに歪曲した姿として捉えてしまっていた2人が、最終的に紆余曲折しながらもお互いをよく理解して結ばれる。こんな風に現実にもお互いのことを理解できるのであればよいのだけれど、自分の持っている偏見や価値観・思い込みが、私自身が関わっている人々の本来の姿を歪めていないか、少し気にさせてくれるお話だったのではと思う。眼鏡に色がついているかも分からないけれど、少し意識して過ごしていきたいなと思った。

余談だが、個人的には映画の『プライドと偏見』(2005)も好きなので、時間があるときは繰り返し見てしまいそうだ。ビングリー氏よりダーシー氏の方が顔も性格も好き。

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