脚本を書く理由がわからないから、書きながら考える。

わたしは脚本を書くのが好きじゃない。
まず書くのに時間がかかる。
寝ても覚めても物語のことを考えないといけない。
アイデアが出ない時はなにもできない。
それでも締め切りに間に合わせるために無理矢理書いているセリフのクソつまらなさ。
毎日毎日「わたしには才能がない」「センスがない」「教養がない」「そもそも頭が悪い」「ユーモアがない」そして「ああ、今日も書けなかった」と思わなければならない絶望感。

しかし、それでも思考をやめないでいると少しはアイデアが浮かんでくるので、それをなんとかかんとか膨らませながらやっとの思いで書く。でも、見直してみるととクソつまらなかったりする。
「このセリフキモい」
そんなことを思いながらdeleteキーを押す悲しさ。

そんな思いまでして、なんで書くんだろう。
中学校2年以来コンスタントに脚本書き始めてもう20年以上になるが(時の流れ怖い)まだ明確な答えは出ていない。

最初は「演じたい作品を好きなように書きたい」から始まった。
役者がやりたくて脚本を書き始めたのだ。
脚本を書くのは大変だけど、役者をやるのは好きだった。演出も楽しかった。だからしんどい執筆もなんとかやれていた。
それなのに。
今は脚本と演技講師だけが仕事になった。
なぜなのか。

おそらく仕事になった理由は、
脚本と演技講師だけは真剣に向き合ってやっていたからだと思う。

思えば、役者をやっている私は無責任だった。
やりたいようにやっていた、といえば聞こえがいいが、
役作りに苦しむことなく、とにかく目立てばいい、お客様が喜んでくれたら作品のことはどうでもいい、みたいにやっているところがあった。
そういう演技を褒められることもあったが、正直、そんなやつとずっと一緒にやっていきたいと思う演出家はいないだろう。

でも脚本に関してはそんなスタンスがとれなかった。つまらないものは絶対に出せない、という重圧があった。

正直、才能だけでいえば、脚本家より役者のほうが向いていたと思う。(どちらも才能あるわけではないけど、どちらかといえばという話)
でも今は脚本家をやっている。
それは脚本にきちんと向き合ってきたから......やっぱり書くことが好きだから......いや、どうなんだろう。やっぱり好きではないよ。
それに、書くことに関して真剣にはやってきたけど、実力が足りなくて成果を出せていないときもたくさんあったのに。
嫌な思いもたくさんしたのに。
脚本家やめる宣言だって何度もしたのに。
なのになんでまだ書いているんだろう。
それなのにやめようとすると、
本当に良いのか?
という問が湧いてくる。
わたしには野心がない、根性もない。
他の脚本家が
「将来、こんな大きなことをしたい」とか言っているのを聞いても
「わたしは明日無事に生きていければそれでいい」と思う。
なのになぜ。なんで書くのか。きついのに。好きでもないことをなぜ続ける? なぜこだわる?
唯一、脚本家の好きな部分は「0から1を生み出して作品の屋台骨を作れる」ということだけど、それだけなのか。うーん。
じゃあなぜそうしたいのか......。
そもそもなぜ作品を作りたいのか。
それは、やっぱり......。

と、ここまで書きながらいろいろ考えた。

今の時点での無理矢理出した答えは、
「まだ世の中にないもの」を作れるかもしれないから。
それが一番答えに近い気がする。


そもそも「演じたい作品を書いていた」のは「自分が演じたいと思う作品がなかった」から。

妹が姉を物理的に食べる話とか、女の手首を切り落とし続ける義手職人の話とか、全然お客様に受け入れられなさそうな作品をたくさん書いたけれど(もっと受け入れやすいやつも書いてはいたんだけども、自分が好きなやつはこの2つ)、
そういうのがないから書いたんだった。
今の世の中にまだないもの。そんな作品をわたしは書きたいのかもしれない。

この答えはまた変わるかもしれないし、
答えはないのかもしれない。

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