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6. 何をしないか


敷地内でスケボーの利用を「禁止」をするという選択肢を失った文化創造館。さて、どうしようか。

館長から示されていた指針は、2つ。
迷惑行為があれば、それは解決すること。
また、スケボーやスケーターに対する偏見を助長しないような働きかけを行うこと。
 
まずは、迷惑行為について、実態を確認するために夜間の見回りを強化してみることにした。
自主パトロールに協力を申し出てくださる奇特な方もおり、数日間、閉館後もしばらく残って様子をみるようにした。しかし、そういう日に限ってなのか、夜間に抗議を受けるような迷惑行為をするスケーターは確認できなかった。
一方で、敷地内をスケーターたちが滑っている最中に周囲を歩いてみると、建物に音が反響し、想像していた以上に音が広い範囲に大きく反響していることも分かった。特に、日が落ちて街頭ビジョンの音声も消え交通量が減るとそれは顕著だった。
 

そんな状況についてスタッフと情報を共有しながら、どうしたものかとポツポツと意見を交換する中で出てきた言葉がある。

  • 行いを正さなくてはならないのはスケーターだけなのか。

  • 今の状況はまるで「うちの息子がすいません」と文化創造館が言ってまわっているようなもの。こういったケースについて姿勢が問われているのは街の側ではないか。

そうやって話し合いを重ねながら、最終的に3つの対応を確認した。

一つ目は、(やはり)禁止にしはしないこと。
二つ目は、スケーターたちに抗議の声が増えていることを伝え、彼らに一緒に対応を考えてほしいと呼びかけること。
三つ目は、夜間の見回りを継続すること。

この対応を確認したミーティングの場で、一人のスタッフから出た意見が私の中では強く印象に残っている。

ここまでやった上で、スケーターたちが一緒に対策を考えるような動きにならないのであれば文化創造館としては役割を終えた、ということではないだろうか。

たしかに、スケーターたちに少しずつ声をかけ始めた際には、「自分たちはルールを守っているので悪くない」とか「禁止にすればいい」という反応があり、一緒になってどうすれば乗り越えられるかを考えるような踏み込んだ関係構築までには至っていない。
その関係を強要したり、彼らに先んじて私たちが動き回ってしまっては、単なる過保護な親にしかなりえないのだろう。スケボーの問題についてFacebookに投稿しはじめた時にコメントをいただいた「何をすべきかではなく、何をしないか」という指摘の本質がようやく理解できた気がする。
 
そして、敷地を滑るスケーターたちに、今まで以上に積極的に声がけをはじめた。それをつづけたところ、今度は予想とは少し違った状況を招いてしまうことになる。
加えて、館長から示された指針の偏見を助長しないアクションは、手つかずのままである。

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