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4. フェアであるということとは

6月15日(水)に開催した「スケートボードと文化創造館と秋田のまち」をテーマにしたカタルバー。そこからの流れは、今振り返れば怒涛だった。

年長のスケーターが、「スケートボードのイメージを変えたい」と文化創造館の敷地を使ったイベントの計画をはじめ、今後の資金調達のために助成金の申請に取り掛かった。また、6月15日のカタルバーに参加した方が自分も何かやりたいと新たなカタルバーの企画づくりがはじまり、高校生による短編映像制作のテーマとしてスケボーが取り扱えないかとのご相談もいただいた。さらには、「街とスケートボード」という3回シリーズの記事が地元紙に掲載された。

7月にはスケートボードのイベントが無事に開催され、有志によるカタルバーも2回行われた。ある晩には、スケーターの有志と町内会長のところに集まって助成金申請書の準備を行い、なんとか提出まで漕ぎつけた。

7月9日に開催されたLotus Bond Skateboard Jam
「秋田ってどう」をテーマにしたカタルバーでは、スケーターが一日店主を務めた

そして、雨が降る日を除いては、ほぼ毎日文化創造館の敷地内を滑るスケーターがいた。週末にはお父さんが小さな子どもにスケートボードを教える姿が見られることもあったし、平日でも夕方近くになると馴染みのスケーターが事務所に顔を出し、今から滑ることを伝えてくれる。仕事を終えて帰途につくとき、彼らの脇を通る際に「こんばんは」とか「お疲れさま」と挨拶を交わす。それが私たちの日常になっていった。

秋田市文化創造館の設置者であり、私たちが日々の管理運営において相談・協議をしている市役所の担当課とも定期的に情報交換をつづけていた。市役所からは、より踏み込んだ安全対策やリスクマネジメントについての措置を検討するよう指示があり、スケーターが任意で加入しやすい保険の情報を探してチラシを配架したり、歩行者の邪魔になりやすいカラーコーンの持ち込みを制限したりと、少しずつながら対策を重ねてもいた。

揺り戻し

順調にいっていたように見えた、スケートボードと秋田市文化創造館の状況の風向きが変わり出したのは8月に入ってからのこと。

年長のスケーターが主催するスケートボードの体験イベントは、7月の成功を踏まえて、8月にはさらに規模を大きくして開催することで準備が進められていたが、秋田市内で新型コロナウイルスの感染が急速に拡大したことと天候不良の予報を踏まえて、直前に延期を決定することになった。


また、一度は落ち着いていたスケートボードを危惧するご意見が、再びポツリポツリと届くようになり、8月下旬には、その頻度が急激にあがることとなった。

夜遅くまでうるさい等といったご意見を踏まえて、文化創造館の敷地内で音の出る活動は閉館の21時までに制限することとし、スケーターたちに声をかけて回った。夜滑っているスケーターを見つけ、新しいルールについて伝えようと外に出ると、既にスケーター間のクチコミで広まっているのか「21時までですよね」と向こうから話しかけてくれることもあった。

そうやってなんとか守ろうとしてきた状況。
一方で、文化創造館やスケートボードに対する抗議の声に耳を傾けるうちに、公共施設の管理を担う者として、自分がスケーターだけに肩入れしていなかったかと振り返る機会も得た。フラットでフェアな視点をどうやったら持つことができるのかということ、さらには居場所を求めるスケーターと彼らに対する抗議(や彼らの呼び水になっている文化創造館に対する抗議)の最終的な落とし所について頭を悩ませる状況が続いた。

そして、いよいよこの状況を守り切れないかもしれないと、弱気のピークを迎えることとなる。


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