8/4 日記(仮)追記アリ

この時期はいろいろと調子が悪くなる。まぁ、原因は自分の中でわかっているので、またいつものことか、とうすらぼんやりと思ってる。違う選択を選べていたのなら、こういう感情はなかったのかなと頭をよぎったりもするけれど、そちらの人生であればそちらの人生なりの種類の違う悩み事を抱えるんだろうな、ということもわかるから、今の自分にできることは、この選択を正解だと思える努力を続けていくことなんだろうなぁと思っている。そんな感じ。

東京医大のニュース。そこから派生する様々な意見で結構やられている。悔しかったり怒り心頭の人もいれば、そんなの前からあるじゃんと高みからクールに語って終了する人もいる。その上、かえってその構造を続けていた方がいいだろうと推奨する人だっている。

自分は何ともやりきれない思いなんだけどね。


たぶん、それぞれがどこかで”こういうものだから”とあきらめたり、慣れてしまう部分がやっぱりあるんだよ。そうやってやり過ごすことがベストだと思ってしまうような構造がこの社会にはあるんだよ。それがなんとなくわかるから暗澹たる気持ちにおおわれる。

自分が関わってきたテーマと言えば、不妊治療の分野だってこの構造は似てるんだよね。

今のところの自分の考えは、もし夫婦ともに子どもを望んでおり念のために病院に行こうと決めたのなら”夫婦一緒に”からスタートするのがベストだと思ってる。もちろん、現実的に”夫婦一緒に同時に受診する”ということが不可能な場合もあるだろうから、夫婦間で受診する時期がずれることはあるだろうが、それでも感覚としては”夫婦共に検査・診察”を夫婦の最低限度の共通認識とすることからスタートできればいいのに、って。

でも現実は、”まずは妻から”という選択ありきのスタートの場合もある(これは男性がそう思ってるだけではなく、女性もそう思っている部分もある。もちろん個人差はあるが)。その上、一部には”は?俺が検査(診察)?なんで?”ってレベルの人もいるわけで、この絶望的な感覚の違いを埋めるのって、そうとう大変なんだよね。そこには、プライドやら、体面やら、沽券やら、夫婦のパワーバランスやら、そうとういろんな要素も絡んでいるのであり、なかなかその思いを言語化することは難しいわけで、だからこそ、解決策につながる建設的な話し合いすらできなかったりもするんだから。


結局、子どもを望んで病院に行くかは本来は”夫婦のタスク”であるはずなのに、”妻のタスク”と思い込んでいる人(”妻のタスク”にしておきたい人)が一定数いて、当事者自身もその構造に無自覚だからこそいったいどこから手をつけていいのやら・・・と途方に暮れたりする。


その上、そういう構造に対して”そういうものだから”と慣れてしまったり、あきらめてしまったり、あえて夫婦間でも相談せず(できず)やり過ごすことがベストだと思っている部分がある程度あったりする。波風立てない方がいい、みたいな。


自分もそれをなんとなく感じているから暗澹たる気持ちに覆われる。まさに、東京医大のニュースで感じたことと同じところに着地する。


子どもを産まないと・・・・・、生産性がない、少子化ガー。
子どもを産むと・・・・、女性は結婚・出産で仕事を辞めるから(と見られる)。
産んで働くと・・・・子供がかわいそう、働きたくても預け先がない。

・・・・・、いったいどうしろと。。。

一発逆転でその瞬間に”すべて解決!”なんてできないわけで。せめて、これっておかしいよね。ここおかしいよね。という思いに私は”自覚的”でい続けたい。


↑ここまで書いてnoteにアップしたが参考になる記事を見つけたのでリンクしておく。

この記事を読んで、背景の共通性をますます感じた。

就職した別の外資系企業では、中間管理職の役職であったこともあり、責任ある仕事をいくつも引き受けていた。それなのに、男性の平の営業職よりも給与が低いということを知った。日系アメリカ人の支社長にその理由を尋ねたところ、「渡辺さんが普通の男性の3人分働いているのは知っているけれど、男性より給料は多く出せない。日本では、女のほうが給料をたくさんもらっているとわかると男の士気が落ちるから」と言われた。
日本でこういう体験を数えきれないほどしてきた女性としては、根拠がない推察で申し訳ないが、今回の東京医科大学についても、深いところに「男の士気が落ちる」という恐れがあるような気がしてしまう。


男の士気が落ちる・・・だと・・・・?そういう理由???

自分は上記で、プライドやら、体面やら、沽券やら、夫婦のパワーバランスって書いてたけど、まさにここに通じるよね。

女の問題、にしておきたいんだよね。その枠からはみ出してほしくないんだよね。

たぶん、その部分をどうよじ登って超えられるかなんだろうな。よじ登って現実を見る(知る)くらいなら、よじ登らない今の不都合を受け入れていた方がいいってところに落ち着いているわけで。

それが本当にいいことなのかどうか・・・、ねぇ。