なんじゃもんじゃの実
水戸黄門がつぶやけば、それが名前。
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高校時代の担任の先生が運転する車に乗り、うなぎを食べにいった。開店時間30分前についたというのに、すでにひとがならんでおり、2時間程度の待ち時間となった。
順番が近くなったら電話をしてくれるということで、電話番号を伝えてから、時間をつぶすために先生とあてもなく車でさまよう。
ふと寄った道の駅で食べたシャインマスカットが、安くておいしかった。
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神崎神社という場所を訪れると、「なんじゃもんじゃの木」という大木があった。名前の由来は、水戸光圀公が見たさいに「この木は何というもじゃろか」と自問したことらしい。
僕だって、「なんだこれは」と自問することは腐るほどある。植物だけじゃなくて、そもそも有形のものだけじゃなくて、形のないよくわからない感情とか。あれらを総じて、今後は「なんじゃもんじゃの実」と呼んでみようか。
僕の人生にふと実った事象。名前も知らないもの。
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水戸光圀公ほどのお偉方でなければ、呈した疑問文がそのまま周知の名前にはならないだろう。ただ、ご本人は自身のなにげないことばがいつまでも語りづかれていることについてどう思うのだろうか。
まるで自身の無知をいつまでも見られているようですわりの悪さを感じているのではないだろうか。
あまりにも有名になってしまうと、おちおち疑問をもらすこともできない。なんじゃもんじゃはひとりの胸のうちにしまえるぐらいが、きっとちょうどいい。
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