「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を見た感想を自分なりに書いてみた

こんにちは。

最近アマゾンプライムに入会し、映画やドラマを観ることにハマっているのですが、そんな中で1つの映画に出会い、すごく印象深かったので、今日はその映画を紹介したいなと思います。

※ただ単なる私が感じた感想なので、ご了承ください。笑


「志乃ちゃんは自分の名前を言えない」

あらすじ

高校一年生の志乃は上手く言葉を話せないことで周囲と馴染めずにいた。ひとりぼっちの学生生活を送るなか、ひょんなことから同級生の加代と友達になる。音楽好きなのに音痴な加代は、思いがけず聴いた志乃の歌声に心を奪われバンドに誘う。文化祭へ向けて猛練習が始まった。そこに、志乃をからかった同級生の男子、菊地が参加することになり・・・。


まああらすじはこんな感じです。

この映画は、吃音症をテーマにされています。

吃音に対してこれまで深く関わることはなかったのですが、もっと吃音症について知りたいと思えた映画でした。

映画の中で担任の先生から、「名前くらい言えるようにしよう」「周りに打ち解けたら話せるようになる、頑張ろう」などと声をかける場面がありました。

正直、吐きそうになるぐらいしんどい気持ちになりました。

頑張る??これまで彼女は頑張ってきてないってこと??

名前くらい???それができないからしんどいんでしょうが!!

そんな気持ちで胸がいっぱいになりました。

担任からすると「それぐらいのこと」、でも本人にとっては生きるか死ぬかぐらいのとても大きいことということが実感として湧かないんだろうなと思いました。

だけど正直、吃音症だけでなく出来ないことがある人に対する、それが出来る人への対応はそうなんだろうなと思いました。

言葉にしないとわからないかもしれない。

けれどそれをすることすら難しくて、しんどくてしんどくてたまらない。

それを伝えたいけど、伝えたい。の繰り返し


それを少しでも改善できるように、周りの理解とサポート(あくまでもサポートなので、声をかけただけではサポートにはなりません)が必要だなと感じました。


これは今関わってる発達障害の子どもにも言えることであり、同時に自分自身でさえも感じることです。

大事なことはこちらがした結果よりも本人が生きやすくするための過程。

周りの理解とサポートを期待して生きることは、余計しんどくなってしまう材料なのでやめておきますが、せめて今関わっている子どもには自分が感じているしんどさを少しでも減らしてあげられるようにしたいと思います。

今日はここまで。それではさようなら。


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