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特別視、という眼差しから自分プロレスリングへ

  特別視、という方法で「普通」と「特別」を固定して、安定を取り出したい。変わり続ける世界に、変わらないものを作ろうとする努力としての眼差しなのかもしれない。ただどうしても生じてしまう、境目の向こう側。眼差した先からも眼差しは返ってくる。ちょうど同じような特別視で。

  …と、まあどうも こんばんは、ゆきちかさんです。児童養護施設の検索結果をよりグラデーション豊かにしたい、という考えのもと、今日も記事を投げ込んでいこうと思います。今日は前書きを自己紹介前に置いてみました。

  今回は「普通」と「特別」の境目を見出す「特別視」について、前回の続きを考えていきます。

「特別」の側から「普通」を「特別視」する

 「普通」でも「特別」でもない一人ひとりが、まずは「普通」にたどり着こうとする…純粋に安心したいという動機があってのことだとしましょう。
  たどり着くだけで、力があったり、ツテがあったりしたというラッキーをすでに経験できるわけですが、「普通」にたどり着けていない人は、無秩序な環境変化の中にいながら、誰かの「普通」を成り立たせるための「特別」の中に置かれてしまいます。
 何をしていたわけでもないのに、何ならただ一生懸命生きていただけなのに、遠く離れたところで「普通」を立ち上げた人たちが現れた途端に「普通」を支える「特別」な存在になってしまう。

  この立場に立ってみると、「普通」はとても「特別」なものに逆転します。今、安心が得られないのは自分が「普通ではない」事情を抱えているからで、「普通」になりさえすれば不安から解放されるのではないか…という願望が形作られます。「普通」に見える相手の容姿、仕草、言葉遣い、人間関係、所有物など、目に見える「普通」の付属品を集めては試す、という行動を引き起こしていきます。ただ単純に、安心したかっただけ…という動機すら見失ってしまうことも。

 まがいなりに「普通」を手に入れたとしても、「普通」というものが安住の地ではないことに気づき始めます。なんといったって、本質的には「普通」と「特別」に境目などない地続きのものだったからです。今度は「普通」だけではいけない、何か「特別」なものを手に入れなきゃ…!という第二ラウンドのゴングを鳴らしてしまいます。

そんな自分プロレスリング

  何だか一人プロレスみたいな図が浮かびます。悪役レスラーのマスクを剥いだら自分の顔だった…みたいな展開があって、そうなると観念したかのように自分語りを始める悪役。あなたはそんな自分の顔した悪役を許すとか、聞き取った上で正々堂々ぶつかり合うとか、逆に語らせないようにコテンパンにぶっ飛ばすとか、血相変えて逃げ出すとか、いろんな演出(向き合い方)ができると思います。

  私みたいな脇役がいてもいいでしょう。時にタッチ交代で一時的に戦いを請け負う相方レスラーだとか、さすがにそれはダメだよと割って入るレフェリーだとか、離れた場所から声援を送るだけの観客だとか、戦いを言葉で実況するアナウンサーとか、やりようはいくらでもあります。

  このプロレスの面白いところは、勝ってフィナーレという結末以外にも良いプロレス人生が多様に用意されているというところです。
  負け続けてそのまま引退…となっても、後輩レスラーを鍛えたり、解説のお仕事し始めたり、観客として応援したり、誰かの試合に殴り込みをかけてリングに上がっちゃったり、何なら現役復帰したり…と楽しみ方がいろいろあるわけです。

  特別視、という言葉からだいぶ遠のいた感じですね〜汗

  何が言いたいかと言うと、人生の語り方のテンプレートや例え方というのはいろいろあって、「普通-特別」の間でどのように行き来を繰り返すにしても、「語りがいのある人生」にできるんだよ!ということです。どうせなら「いいレスラー人生だった」と言いたいじゃん、と。そういうことです。

とりあえず今は児童養護施設で語りがいのある脇役道の追求を頑張ってみます ^_^

ゆきちかさん


自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!