夏色の記憶

Sのことを思い出す

あのとき少女だったSと 大人であるということになっていた私

母の友人からの頼みで 私はそのひとの娘Sの家庭教師をすることになった

火曜夜19時から21時
ちゃんと勉強を教えられていたのかと訊かれると少し自信はない

いつもSがベッドに座り 私が学習机の椅子に座った
最初にそれでいいのかと問うと この方が集中できる と言った
Sはよく 少し変な行動をした そのときの口癖が この方が集中できる だった
けどSが集中して問題に取り組んでいる姿はあまり見たことがない気がする

彼女の部屋で私たちはたくさん話した
Sの成績とか課題のことよりも はみ出した時間のことばかり覚えている

突然大きな枕を頭に乗せて この方が集中できる と言って問題を解き始めたことがあった 私は それはないだろ とやめさせたけど それはSの集中云々はどうでもよく 目の前で不安定に揺れる巨大な枕がうっとうしかったからだ

Sが勢いよくベッドに座った反動でafternoon teaのガラスの時計が跳ねて床に落ち 大きなヒビが入った
そのとき私は一瞬で うわこれはめんどくせえぞ と思った 案の定Sはしばらく落ち込んで勉強どころではなかった けれどとりあえず放っておくと わりとすぐにけろりとして勉強に戻った

休憩時間にSの同級生から電話がかかってきたのか Sがかけたのかは忘れたけど よく話に聞いていた仲の良い友人 と電話をして なぜか途中で私が代わったことがあった その友人は 私が名前を呼ぶと え〜なんでカテキョの先生が知ってんの!と笑っていた 今はもうその子の名前は忘れた

Sの机の上は大抵少し散らかっていた
教科書が積み上がっていたのと シャーペンの芯が5、6本転がっていたので 汚れるから芯しまえば と言うと 飾ってる とSは言った そのあとすぐに芯が転がって床に落ちて 椅子に轢かれて折れた 私が ほら見ろ と言うとSはニヤッと笑って残りの芯を片付けた

SはボカロとHoneyWorksが好きで よく口ずさんでいた
HoneyWorksはハニワと略すのだと
脳漿炸裂ガール という曲を教えてくれたが よく分からなかった 私は高校生の頃がいわゆるボカロ最盛期だったけれど そのとき特にハマらなかったからかもしれない
Sはそれを嬉しそうに歌っていて これを聴いている最近の10代たちは もちろん10代に限らないだろうけど こんな早口を肉声で歌えるのか と驚いた

デスボイス の定義がよく分からないけれど 自分は学生のときに友人たちとふざけて デスボイス と言いながら喉の奥から出した野太いガラガラ声で単語を発する という遊びをやっていて 私はそのつもりでそれをSに向けてやってみた
そうしたらSは目をキラキラさせて すごい!ヒカキンみたい!と普通にめちゃくちゃ褒めてくれて どうしていいか分からなかった
私はヒカキンのことをあまりよく知らなくて 帰ってから動画を見てみたら 冒頭の ブンブンハローYouTube で なるほどこれかと思った

Sの家では犬を飼っていて 名前がついていたのだけど 家族の中でSだけが彼のことを違う名前で呼んでいた それは日本人男性のフルネームみたいな名前で なんでそれなの と訊くと えっ ぽくない? と言われた よく分からなかった

Sの家と私の家はそんなに遠くなくて 終わった後はSの母が車で送ってくれていた Sはついてくることもあれば ついてこないこともあった

Sは化粧に興味があるのか無いのかよくわからなかったのだけど あるときエチュードハウスのリップティントを私に見せて 目の前でそれをつけて見せてくれた こんなにも綺麗に染まるのかと 私は少し見とれた
いいな と思って家に帰ってから同じものを注文してみた 届いてつけてみたら 私の唇ではさほど美しく発色しなくて ムラもあるし これが10年の歳の差か と思った

急にSが立ち上がって 先生立ってみて と言った 素直に立ち上がると えー私よりちっちゃい!と笑った Sの方が私より背が高かった

カラコンをつけて行ったことがある Sはすぐ 本当にすぐ気づいて えー!と言った 私が髪の色を赤くしたときも同じことを言った 中学生にとっては 少し羨ましかったのかもしれない

Sが修学旅行のお土産をくれた 京都だったと思う 和風の花柄の赤い布の眼鏡ケース Sの母は あの人誰かにお土産なんて絶対買わないのに と驚いていて 私はなんだか嬉しかった 今もずっと車のメッシュポケットに入れてある 今となってはSは私に買った土産のことなど すっかり忘れているだろう

ハイキュー!!の及川徹が好きで 学校の調べ学習で 魚のオイカワについて発表したと言っていた
部屋の壁には及川ハンガー いっとき少し話題になったハンガー がかかっていた 私はなんだあれ…と思っていた

あるときSはギターを習い始め 覚えたことをたまに弾いてくれた 目の前で聴かれるのが恥ずかしかったのか少し弾いてすぐにやめていた

休憩時間にすばやくベッドに入り 10分寝る と言い出すこともあった 10分後に声を掛けるとすぐに目を開けた 多分寝てなかったと思う

2年くらい通ったころだったか 私はSの家庭教師をやめることになった
それからしばらくして Sは芸能界に入ることになった


Sの母から報告をもらって そのあとSとも会った
私は気の利いた大人ではなかったので 適切な祝いの形がよく分からず 餞別にいくつか本を贈った
服部まゆみの『この闇と光』と桜庭一樹の『少女七竈と七人の可愛そうな大人』と吉田篤弘の『それからはスープのことばかり考えて暮らした』の3冊にした
『この闇と光』はなんとなくSが好きそうな気がしたからで 『七竈』は田舎から東京の芸能界に飛び込む美しい少女の話が Sに似合うと思ったからだ
『スープ』は2冊じゃ少ない気がしたのと 上記2冊の暗さを中和しようとしたのと 選出に一応の関連性が欲しくて 元女優の登場人物がいる話にした

そのあと何年か経って 急にSからLINEがきて そこには 『この闇と光』を 今までの本の中で一番面白かったと書いてあった
別のときには 雑誌でSがおすすめのものを紹介するコーナーがあって そこの小説の項目で『七竈』が挙げてあった
単純に 贈ってよかったなと思った

東京から帰ってきたときにはたまに会いに来て 少し話したりもした
Sのチェキに応募してみたら当たったことを報告すると 笑っていた 実家の犬の絵を描き足してもらった

Sの大学受験のときには 電話で小論文の相談を受けた
何度かテーマについての話をしたり 添削をしたりした
その後無事合格したとLINEで報告を受けて そこには丁寧なお礼のメッセージがあった

あのとき少女だったSはいつのまにか成人して 何度かブログも読んでみたけれど こんなにも大人 とされるもの になったのかと思うような文章で 不思議な気持ちになったりもする

もう頭に枕を乗せたりしないのかな と思う
お世話になります とか言っちゃったりするのかな と思う

今Sは休養している
もう特に会うこともないのだけど 年に一度くらい たまに思い出したときにLINEを送る 元気かとたずねると元気ですと返ってくる 本当に元気なのかは分からないけど とりあえず少し安心する

懐かしむとか 寂しいとかとは違うけど
あのときの記憶 いろんなことが 突然こうしてよみがえることがある それは水色とか 黄色とか そんな色をしている 夏の色をしている

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