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好きと習慣と人生と~写真を撮りはじめた頃の、あの気持ちで~

2019/2/4(月)モスバーガー

昔から僕は、朝が好きだった。
だんだん明けてゆく、空。
朝焼けの色の、グラデーション。豊かだ。

一日が、はじまる感じ。
大げさに言えば、
毎日、新しく世界がはじまる感じがする。

いつだって、真っ白いノートを買うと、
僕は、気持ちが高まる。

寒さに結構つよくて(母方の新潟の血?)、
冬だと、かなりこごえるのだけれど、
出かけてから、まず「はー」と白い息を吐くのも、
好きだ。

呼吸を感じる。
ああ、こうやって息って吐き出してるんだったなって、
可視化される。

生きてるって、感じがする。

コーヒーが、好きだ(詳しくないけど)。
喫茶店が、好きだ(タバコは吸わないけど)。

地元が名古屋なので、喫茶店文化が、
身体に染みついている。

子供の頃から、家族で休みの日になると、
とりあえず、喫茶店(カフェじゃなく)に行き、
父親(昨日、命日だった)は、じーっと新聞を読んでいたような記憶があるけど、
僕は、喫茶店で、何をやっていたんだろう?

漫画を読む習慣が、実は昔からない。
小学校低学年ぐらいまでは、
近所の友達から、読み終わったジャンプとかをもらってた記憶がある。

でも、昔から今まで、一貫して漫画を読んできていない。ドラえもんぐらいかもしれない。

全く嫌いなわけでも、興味がないわけでもないんだけれど(薦められたら読むし、普通にハマる)、
習慣がないということは、ないこと自体が習慣になっている。

習慣って、すごい。
コツコツ続けること。
継続は力なりって、言われますよね。

僕は昔から公文式をやっていたのですが、
好きだからと言うよりも、習慣だったから、
続いてたんだと思う。
(やっててよかった、公文式)

二十歳の時に写真をはじめてから、
写真だけが、ずーっと続いている、習慣だ。

冬の朝に、「はー」と白い息を吐いて、
呼吸を確認するように、
写真を撮ることで、「カシャ」「パシャ」とか、
近頃はサイレントシャッターだったりするけれど。

あの音を鳴らすのを、繰り返すことで、
「ああ、僕は写真を撮ることを習慣にしていて、それを懲りずに飽きずに、二十年も続けているんだ。ていうか、二十年って、人生の半分かよ。ずいぶんと続けてきたもんだ。」
って、思った。

僕は、日記が続かない。
同じような人、結構いると思うのですが、
続けた先に、何があるかを考えていないから、っていうのもある。
たとえば、一年毎日かかさず書いたら、百万円もらえるとしたら……?
書くかなあ、きっと(笑)。

でも、写真を毎日撮り続けても、一円ももらえない。
昔はSNSとかもなかったから、公開もしないし、誰もいいね!って言ってくれない。

それでも、僕は続けてきた。
その結果、あとから気づけばお金がついてきたような感覚だ。

習慣は、人生そのものにつながっている。
もう四十歳だけど、まだ四十歳。
案外長いかもしれないし、そうでもないかもしれない。

習慣はときに、惰性にもなってしまう。
新しい、ちょっといい習慣。
身につけていきたい。

もう成長とか、新たな挑戦なんて、まあいいか。
現状維持で。守りに入ろう。
……なんていうこともできるし、なんて思うこともある。
現状維持だって、頑張りは必要なんですけどね。

だけど、もっと生きていきたいな。
全力で。楽しく。
「写真を撮りはじめた頃の、あの気持ちで」

今日はあったかいっていうけど、
帰り道、夜、「はー」と白い息を、
いつもより、おおきく吐いてみよう。

そして、大きく息を吸いこんでみる。
新しい空気を、習慣を、取りいれてゆこう。

日常のなかにある、あたりまえのことを、
喫茶店からはじまる、一日を。

僕はできるだけ毎朝、カフェまたは喫茶店で、
日記を、書こうと思います。

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