分かり合えないから、嬉しくなれる。
僕は基本的に、「人同士は分かり合えない」という前提で、生きている。
なんて言うと、ひねくれてますねーとか、斜に構えてるんですね、とか言われてしまうんですが、決してクールに世界を見ているつもりはなくて。
分かり合えるわけない、それは完全な理解ってことで、ちょっとでも分かり合える瞬間が訪れた時に、やった! って思うし、そんな気持ちの時に、僕は写真を撮るんだろうなってことです。
分かり合えるはずだ! と言う100点からスタートすることによって、なんで俺の言ってることが分からないんだ! ってイライラすること、ありますよね。
減点法って、ストレス溜まるんですよね。だからこその、加点法。
夏休みのラジオ体操の時に、毎日一つずつシールを貼ってもらって、毎日ちょっぴり嬉しい、そんでもって、最後にお菓子か何かもらえて、もっと嬉しい、みたいな。
0点から積み重ねていくコミュニケーションは、昔々モンゴルの遊牧民族のゲル(でっかいテントのような家)でホームステイした時に、実感しました。
日本語も英語も通じない中で、空を見上げて、星! 起きたら、おはよう! 目の前に、羊!
少ない言葉で、笑い合うことができた、あの日々の延長線上に、僕は今日も分かり合えないなあ、なんて言いながら、写真を撮ります。