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「オススメする」ということ

僕は音楽が好きだし、いろいろな音楽を聴きたいと思って生きている。
しかしどうしても他の人からの「これいいよ」「これ聴きなよ」というものに対してアレルギーを持ってしまっているのだ。
結果勧められたものを後年好きになることがあっても、勧められた瞬間どうしても「死んでも聴かない」という思いが先行してしまう。
実に難儀な気質であることは重々理解しているのだが、若いころからのこの性分は年齢を重ねても一向に治る気配がない。

ならばせめてこれを言語化して見つめなおそうと試みる。
なぜ僕は他人の「オススメ」が嫌いなのか、翻って「オススメ」とはなんなのか。
実は生業ではECや小売りでデジタルマーケティングやレコメンドエンジンを作成している。
それらも踏まえた「オススメ」という概念を整理したいと思う。

オススメの分類

まず僕は大きく「オススメ」は3種に大別されると思う。
・自己紹介型
・知識/情報型
・奉仕/最適化型

ここでそれらを少し説明する。
なおオススメをする側を発信者、オススメを聞く側を受信者とする。

①自己紹介型
発信者自身の特性や特徴が形となるレコメンド。
おそらく一般的なレコメンドのイメージってこれなのでは思われる。
発信者が個人の場合はその人のバックグラウンドを知る機会であり、店舗の場合はその店らしさを打ち出す場となる。
あくまでも発信者が投影されたものであり、裏を返せば受信者の背景は一切考慮しないものとなる。

②知識/情報型
発信者や受信者の状況ではなく、世の中の情勢/認識や知識に基づくレコメンド。
重要なのは公平な目線での評価に基づいているかということである。

③奉仕/最適化型
受信者の特性に合わせてカスタマイズされたレコメンド。
たとえ同じ品目のものであれ、受信者の背景や好みに合わせて時には「発信者のエゴ」「社会通念の認識」を無視した提案が必要となる。

そしてこれらの種別を使い分けることに加えて、もう一つ大事なことがある。
「受信者のニーズ」である。
相手が何を求めてオススメ/レコメンドを受けたがっているのかこそが肝となるのである。

すなわち、質の高いオススメとは①②③のバランスが良く考えられニーズに応えた提案のことであり、質の悪いオススメとは相手のニーズを無視し①②③が偏った提案のことを言うと定義できる。

もうお分かりだろう、僕は今まで「オススメなに?」と聞いてすらいないのにこれらの整理学がなく質の悪いレコメンドを散々聞かされてきたから、他人のオススメを信用しないのである。

オススメを考える

たとえば「クラシックって今まで聴いてこなかったけど、挑戦しよう」と思っているビギナーがいたとする。
彼/彼女に対して何かオススメをしようとする。

悪いオススメの例をいくつか挙げよう。

「そんなことよりBeatles聴きなよ!」
コミュニケーション破綻もいいところであるし極端な例だが、上記整理に当てはめてみるとこれはおそらく「Beatlesが好きな自分」の自己紹介型の発露と考えられる。
笑いごとに聞こえるが、結構この類の「人の話を聞いていないで自分の話をする」オススメ、出会うことありませんか?

「フルトヴェングラー作曲の交響曲第2番いいよ!」
一つ上が極端な例だったのに対し、これは実際身近にもいるのではないだろうか。
これも「フルトヴェングラーの交響曲第2番が好き」という自己紹介型の発露だが、そもそものニーズを無視した悪い典型のオススメの形である。
この受信者は「クラシック音楽ビギナー」なのであり、この奥のニーズには最初にクラシック音楽の代表的な作品を享受することで「クラシック音楽のアウトライン」を理解したいこと求めていると思われる。
もっといえば最低限の「クラシック音楽を鑑賞した」という実績を求めているわけである。
言ってしまえば「おまえ個人の意見など求めていない」のである。
そこでいえばフルトヴェングラー作曲の交響曲は不適である。
楽曲の良し悪しの話をしているのではない。
一般論としてクラシック音楽=「フルトヴェングラー作曲の交響曲」ではないからだ。
つまり、ここで必要になってくるオススメは公正な目で見た「クラシック音楽の代表的と評価されている楽曲とは」という知識/情報型のレコメンドであるということが分かる。
この手の話をする際に必ず一定数反論が出ると思うが、もう一度胸に手を当てて考えてほしい。
第九や運命、未完成や新世界などを差し置いて本当にフルトヴェングラーを勧められるか。
その根拠はどこにあるのか。

ではこのような人に対して適切なレコメンドとは何か。
上記で述べた通りいわゆる「クラシック音楽といえば!」という作品を挙げるべきなのである。
一般的に有名な、もっと言えばクラシック音楽が大好きでなくても知っている作品を提案するのがベターではないだろうか。

それではベストのオススメは何か。
これ以上質を求めるのであれば、実はこれでは受信者の情報が足りない。
ここから先はこの人の趣味嗜好を深掘る必要がある。
普段からどういう楽曲を聴く人なのか、そもそも音楽感度はどうなのか、それらを基に構築する必要がある。
普段聴く音楽がポップスのように2-3分の曲がメインなのであれば1時間以上かかる楽曲を提案するのは不適であるし、派手だったり起伏が激しい曲に慣れている人に小編成だったり内省的な楽曲を提案すると「なんかつまらないね」という感想を導いてしまう可能性がある。
さらに音楽的なニュアンスだけではない接点を見つけるのもいいだろう。「あなたが好きな○○というアーティストは実は熱心にバッハ研究もしているんだよ」という切り口からバッハ作品を紹介するのもいいかもしれない。
またその人のモチベによっても提案する作品の幅が変わってくる。「とりあえず聴いてみたいみたい」でよければ代表的な作品を提示すればいいが、その人がもし探求心や好奇心の強い人であればそれに合わせて拡張されたオススメもありだろう。「ベートーヴェンのピアノ作品をまず聴いてみよう、気に入ったらその弟子のツェルニーのピアノ曲もいいよ」等といった拡張方法は人によって有効かもしれない。
そして最後に来るのが発信者の個性である。ニーズを把握しつつ、公正な知識でオススメするだけでは発信者がオススメする意義がない。
最後に自身の個性を一つ加えることで「貴方に聞いてよかった」と思えるオススメが完成するのである。
「ショパンのバラードがおすすめだけど、僕は第4番が一番好きかな」といった最後の一押しに個性が入れる余地があるのである。

Step0.ニーズの把握
Step1.公正な知識によるフィルタリング
Step2.相手の好みに合わせた最適化
Step3.発信者としての個性を加える
個人的にはこのプロセスでオススメは考えるしベストなレコメンドに限りなく近くなると考えている。
逆にいえばこのプロセスを踏まない、あるいは間違えた場合は決して有用でないオススメが誕生する可能性が極めて高い。

デジタルマーケにおけるオススメ=レコメンド

デジタルマーケティングの領域でいえば、基本の考え方は変わらないが「公正な知識によるレコメンド」の要素にデータによる結果といったものが加わるのが大きな特徴かもしれない。
これが人だけでは成し得ないレコメンドを平易に実現できるのである。
「これを買った人はこれを買う(傾向が強い)」という結果はそこに恣意性はなくあくまでも事象の集計結果に他ならない。
しかし受信者は容易に知りえない情報であるからこそ意義のあるレコメンドになるのではないだろうか。
さらに言えばこの集計は単なる知識/情報型のレコメンドに閉じているわけではなく、図らずとも「自己紹介型」の要素も含まれる。
なぜならば"そのプラットフォームに集まっているデータ"という独自性をはらんでいるため、「真の公正な結果」ではない反面そこならではのレコメンドになり得るポテンシャルを持つのである。

ただ何度も同じことを言うことになるが、これらのデータ集計結果は単体では良質なレコメンドにはなりえない。ニーズに応えるというファクターがないからだ。
デジタル領域のレコメンドは、その展開場所にどういう顧客が来訪し、何を目的にして、どう行動してほしいかの設計が肝であり、その手段としてこのフィルタリングは有効かを判断すべきである。場によっては一切の顧客別最適は不要なこともあるだろうし、一切の独自性が不要なこともあり得るだろう。
これを大きく「ニーズの把握」と捉えることもできるし、以降のプロセスはデジタルでも通常の会話でも一緒である。

とあるペンの商品ページがあるとする。
「他の商品と比較検討したい」というニーズ(と裏腹の事業者の思惑)に応えるためにその商品ページに類する商品を手持すればCXは向上すると考えたとする。
そうすると比較検討するためには類する商品が並ぶ必要がある。
ペンを見ているのにここでお取り寄せ生ハムなんかが出てきては意味不明だ。
もっというと同じペンでも機能性や価格帯までもが全く異なるものが出たとしても親切ではない。
もちろんMD観点から類する商品を選定するのもありだが、比較検討された過去のユーザーデータから集計するのもよいだろう。
またさらにそのユーザーの購買傾向と近いユーザーが購入したものに絞られればより質/確度が高まるだろう
そこに、うち(このサイト)でよく売れる等の事業者側の「イチオシ」みたいなアイコンでもつけておけば立派なレコメンド完成だ。

Step0.ニーズの把握
 └商品を比較検討したい
Step1.公正な知識によるフィルタリング
 └近い種類の商品に絞る
Step2.相手の好みに合わせた最適化
 └そのユーザーの購買傾向から絞る
Step3.発信者としての個性を加える
 └「うちのイチオシ」アイコン

これはあくまで「比較検討目的の商品ページに陳列するレコメンド」の例であり、他にも併売を目的とするもの、即自視聴を促すものなど多種多様な目的が存在する。データを活用しつつこれらの目的に合わせたオススメを一つ一つ丁寧設計することが重要なのである。

代表作問題 -公正な知識/認識を問う

クラシック音楽の話になってしまい恐縮だが
「セザール・フランクの代表作は?」
という問いに対し何と答えるか。
おそらく回答は2択になるのではないだろうか。
「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」か「交響曲ニ短調」だろう。
知名度・人気を加味するとおそらくこの2曲に絞られると思われる。
通常であれば「どっちを採択するかは個々人の趣味」としてしまってもいいし「2曲とも代表曲」でよいのだが、あえてここから絞るということを試みる。
そうすると次に考慮すべき軸は何かを選定するところから始める。
たとえば「主要作品群のジャンルは何か」「他の作曲家と同ジャンルにおける相対性」という比較軸が考えられる。
交響曲ニ短調はオルガニストのであったフランクの美学が詰まっているという評価もあるし、作曲家が基本的に管弦楽曲作家のイメージの方が強いことを考えるとこちらの方が代表曲としてふさわしいかもしれない。さらに言うとフランス出身作曲家は以降交響曲という古いジャンルの楽曲を書かなくなるという歴史的背景に鑑みた時ことさらこの楽曲の位置づけは重くなる。
一方ヴァイオリン・ソナタは旋律的に人気も高く愛奏される楽曲でこそあるものの、ヴァイオリン・ソナタという軸で見た時、他の作曲家を措いてその特異性で語られることは少ない。
さらに言うと人気/知名度の逆転現象が発生していると僕個人は考えており、2000年代を境に録音数が交響曲<ヴァイオリン・ソナタとなっており、古くは交響曲の方が、現在はヴァイオリンソナタの方が人気を得ているというような事情にも目を向ける必要がある。
これらを総合的に判断し、フランクの代表曲はどっちかを論じなければならない。
要らぬ争いを起こしたくないのでここで僕個人の意見は明言しないでおくが、大事なことは代表作、すなわち彼らの名刺になろうモノを考える上では単なる知名度のみではなく歴史的背景や位置づけも考えることであり、間違ってもどっちが「良い(と思う)」「好き/嫌い」等という軸で語ってはならないということだ。
認識と知識の公平性を持たねばこのような考え方をできないのである。

似たようなケースにはサン=サーンスの「動物の謝肉祭」、ベートーヴェンの「エリーゼのために」等が挙げられるが果たしてこれらが代表作と呼んで差し支えないのか今一度見直してみよう。

結びに

オススメとは「数多有る選択肢の中からフィルターをかけてあげる」行為であり、そのフィルターの内容と順番が目的に合致しているかがその質を決める。
まずそこを履き違えてしまえばそれはレコメンドではなく自己満足の一人語りになってしまうということを肝に銘じる必要がある。
発信者は相手のニーズを間違いなくとらえ、受信者はニーズを伝える努力をすることではじめて有益なオススメを引き出すことができるということを忘れてはならない。


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