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写真と記録をつなぐ旅 ~上湧別町立上富美小学校の息吹 Ⅳ~

困ったなあ~

 おや、珍しい言葉をつぶやいている。ネタ切れか?

「欲しかった資料が入手できた。だから書きたいことがまた増えたわぁ~」

 逆かい (*_*; おいおい、どうするつもりなのだ。まがりなりにも、下書きらしきものはあるのだぞ。まさか二度めの全削除からの書き直しになるまいな……と危惧していたが、さすがに今回は学習したようだった。新たなる技を覚えたというのである。

「その技は、追加!」 !(^^)!

要するに、足し算である (T_T)

なにゆえハザードマップ?


湧別町ハザードマップより

 たとえば大雨などで河川が氾濫するとか、土砂崩れの危険があるから、このへんは気をつけようね⚠などを示したのがハザードマップ。だが今回重要なのは狙って作った❓かのような絶妙な位置関係。なのでこれを利用する。
現在の能力の限界ゆえにWEBからの地図を表示できなかった、というのが事実であるが。

文 ~ 上富美小学校
1 ~ 遠軽町 北海道家庭学校
2 ~ 遠軽町 社名淵小学校(平成18年閉校)
3 ~ 遠軽町 下社名淵小学校(昭和59年閉校)

 さすがに写真は残っていないものの、記録では遠足で社名淵の小中学校や家庭学校にまで行ったそうです。上社名淵(現在の社名淵)と上富美間の道路開削が昭和12年(部落史より)なので、道路はあったみたいです。家庭学校まではどういう経路だったのか、というと推測ですが、地図上右側にある開盛地区の道路を通ったのでは? と考えています。まさかの山道なら、面白そうですが(想像しすぎ)
 ちなみに、社名淵の生徒が上富美までスキー遠足で来ていたという記録もあります。かなり古い話(昭和20年代)ですが。

令和6年 国土地理院の地図より
黄色が道道336号線

 ①矢印は社名淵へ、②は位置が若干ずれていますが開盛へとつながっている道路。③は富美地区~からの上湧別市街へ。赤円は小学校の跡地。で、白囲いは遠足でよく行ったらしい手ぬぐい山とヤマベ(ヤマメ)養殖場。山のすぐそばには共同の牧場もあります。

遠足というよりサイクリングですな

 学校の先生が撮影したのでしょうか。大人用の自転車が見えます。
下の写真は養殖場ですが、実は場所が定かではありません。地図上では微妙に切れていますが、近くにもう一か所養殖場があったようなので、場所は確定しないでおきます。

こども神輿


昭和5?年


 昭和53年、当時の小学校の校長先生が作ったこども神輿。
お神輿はトラックにのせ、こどもたちは車数台で部落の家一軒一軒をまわり、その家の前庭などでおみこしを担いでまわったそうです。かなり好評だったとか。小さい部落だからこそできた技。

 
 

冬はやっぱり


上 スキー大会の様子
下 その近辺 夏の風景

 偶然見つけた写真を並べてみました。
下はもう少し上からの写真のようですが、山の形からして方向はほぼ同じです。見づらいですが右側、中央より少し上くらいに赤い屋根の校舎が見えます。
 これは地元ゆかりの方の協力あってこその情報です。
 そうでなければ全くわからない ('◇')ゞ よほどの観察力が必要です。

さてさて


小学校グラウンド・校庭あと

 昭和61年の閉校後、跡地は東京農業大学道東酪農研究所の施設として使われていました。それがいつまで存在していたのか、不明です。

かつて小学校入り口の標識があった
上富美共栄の沢入り口



平成8年4月
バス停留所が新設された頃か。

標識が正しければ、平成8年初期にはまだ存在してみたいです。
写真から察すると、牧草の試験栽培といったところでしょうか。

平成3年には校舎や教員住宅がまだありました。掲揚塔も見えます。

地元の郷土館の方の話によると、
平成21年の旧湧別町と旧上湧別町合併以前に体育館の取り壊しが行われ、それに立ちあったそうです。
 
※ 体育館の写真は検索すると写真がのっているので、気になる方はそちらへどうぞ。どなたかは存じませんが、貴重な資料ありがとうございます。

 地域住民の方に、まだ校舎があった当時誰かが夜? いたずらをしていった形跡があったとか、古い集合煙突が倒れていた、という話を聞きました。その様子をかんがみて、先に体育館以外の部分を取り壊したそうです。
 小学校とは直接関係のない話ではありますが、備忘録としてここにとどめておきたいと思います。

あ~、肩こった (*^-^*)

 
 という割には楽しそうだな、こやつ。
 今回はあえて何も言わなかったけれど、珍しく真面目なことを書いているーーと思っていたら、案の定、何か‘’すいっち‘’なるものがはいったと言っていた。しかし残念ながら、この人間は飽きっぽい性格である。すぐ体調にもそれがあらわれるのだ。だが次のネタはもう揃っているので、ここで投げ出すことはないだろう。
 なんでも今回は作家ばりに次の伏線まで敷いたという。次でうまく回収されるかどうかは腕次第。

昭和61年 町刊行の要覧?っぽいものより


 遠軽町関係は平成10年刊行の「遠軽町百年史」からの引用です。
 もし誤りがあればコメントで指摘してください (^.^)

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