The Long And Winding Road

【棚卸しライフストーリー・1】
このnoteは、自分の整理のために書き残します。わたしの明るい部分だけ見て判断されるのが嫌になって、どんな経験も全部ひっくるめてわたしだから、そのまま残しておこうと思います。そして、自分に対する恥ずかしさや惨めさで隠しておくのは、もうやめたいと思った。

同じような経験をしたことがある方、それ以上に凄まじい方も世界にはたくさんいると思います。
それぞれにとっての癒しと乗り越えるプロセスがあり、どんな形でもサバイブしてきた方、今サバイブの真っ只中な方、自分にたくさん拍手とハグと愛を送ってあげてほしいな、と思っています。この経験があるからこそ、見える世界があることはきっとわたしたちの財産なのではないかな、と今では思います。


そしてこういう話を初めて読む方へ。ここに登場する人それぞれが、その行動をするには理由があります。身内だからこそ、外から安易にバッシングしてほしくない、という氣持ちがあります。

わたしは、それぞれがどんな経験を今までしてきたのかそこも知ってるからこそ、相手を受け止めることと、自分の気持ちを大切にすることの狭間で、ものすごく葛藤しました。

人間って本当に究極に追い詰められると誰しも、極端な悪意も憎しみも怒りも悲しさも持つ生き物。そのエネルギーが他者に向けば暴力や殺人になり、自分に向けば自殺となる。それくらいに極端なエネルギーは、この世界にある。人それぞれに、その感覚を経験したことがあるか、ないか、ただそれだけ。

どんな風に書いたらいいのか試行錯誤しているので、読みづらいかもしれないし、書き直すかもしれません。それでも、今のわたしが認識している事、書ける事を書いていこうと思います。





サクッと幼少期から10代について

まず自分の経験をサクッと書くと、北陸出身→高校で1年間NZ留学→ロンドン芸大→某大手→某ベンチャーなど→フリーランス、からの2022年春より多拠点旅生活@屋久島をスタートさせています。

「海外留学」なんて響きだけでお金持ち、みたいな安易な解釈をされてしまうことも昔はよくあったけれど、実家は凄まじいことになっている中で、最後の希望として海外へ留学したような必至さがありました。(そもそも留学もめちゃくちゃ反対されている中だったので、バイト禁止の高校でしたがバレないようにこっそりバイトして留学資金を貯めて本気さを見せたり、大学生になっても1年間gap year をとり帰国し、働いて資金を貯めていました。)


わたしは5.6歳ごろから自律神経失調症になり、大学4年に初めてパニック障害と不眠症、鬱を経験。その後社会人になっても、パニック障害と鬱は不定期に続きました。


小さい頃から両親が共働きで忙しく、近所に住んでいた祖父母の家に預けられて保育園から小学校卒業まで過ごしていました。

母以上に祖母に懐いて「祖母のためならなんでもできる!」と子どもながらに思うほど、本当に心から彼女が大好きなおばあちゃん子。


①恐怖の吊し上げ保育園

そんな中で5.6歳ごろ、保育園で友達とちょっとしたことで言い争いになり相手を泣かせてしまい、今の時代なら先生が訴えられてもいいようなトラウマ体験をしました。

友達が泣いていることに気づいた先生に連れられて、みんなの前に立たされて(ちなみにわたし意外にもう1人泣かせた側の子がいましたが、その子はなにもなし)

「ゆきのこちゃんを好きな人、このクラスにいる?(あたりを見回して)ね、誰もゆきのこちゃんのこと好きじゃないの。」

と衝撃的な発言をされ、そのままみんなの前でお説教タイム。

もう話してる内容全てが怖くて怖くて、大号泣しながらお迎えに来た祖母と一緒に家に帰り、とにかくそこから人が怖くて怖くてたまらなくなりました。

それ以来「昨日まで遊んでた人たちはみんな敵だったのか‥」と思い込むようになり、疑心暗鬼でいっぱいで自分の本音で話すことができなくなりはじめます。

翌日から保育園に登園しても、常にビクビクして人の顔色を伺いながら「これは嫌われないかな?これは大丈夫かな?」と考えるのが当たり前に。そしてまだ5.6歳程度だったので、今のようにハッキリと言語化をしたり自分の感情と思考を客観的に見る、なんて無理でした。もうその思い込みが世界の全て。わたしにとっての恐怖の世界の出来上がりです。

人前に立つと一瞬で感情が麻痺してなんと受け答えしていいのか、本当にわからない。強烈な人間不信になっていました。そしてそれが子どもの頃から「当たり前」だったので、どうやって自然体の自分で人と接する事ができるのか、めちゃくちゃ試行錯誤したのは大人になってからでした。


②育ての親の祖母の認知症

そして小学校低学年の頃、あの大好きだった育ての親の祖母は認知症と鬱病に。

深夜徘徊しながら警察の方が見つけてくださったり、虚言癖が当たり前になり「今日は何を盗んできたの?」とわたしに問い詰めたり、前後の記憶が狂っていき、泣きながら暗い部屋で過ごしていることが増えました。ほぼ祖母と妹の3人で過ごす時間が多かったので、小6まで毎日一緒に過ごしていくと、わたしも自然と心を蝕まれていました。そして心から愛していたひとりの人間が、人格崩壊しながら狂っていくプロセスは本当に恐怖でしかなかった。認知症の方と毎日暮らした事のある方ならわかると思いますが、正直大人でもキツい経験です。子どもなわたしは相当一緒におかしくなっていました。

でも、この経験があるからこそ、人が自分の意思を持ち日々を生活することの貴重さ、毎日「自分」を認識できることのありがたさもとことん感じていました。


③父のDV

父は癇癪持ちでDV気味なので、常にいつ叩かれるのか、怒号が飛ぶのかビクビクしながら過ごしました。裸足で外に放り出されたり、食事中に皿が吹っ飛んだり、首を締め上げられたこともありました。家の中で唯一逃げ切れる場所は鍵のかかるトイレやお風呂だったので、ダッシュで逃げてトイレに立て篭もり、ブチギレた父がドアを蹴り破る勢いでいるのを何度も経験しました。そして罵詈雑言が当たり前。高校でNZに行く前は反抗する事なんて怖過ぎて全くできなかったのですが、帰国後は自己主張を覚えて、自己防衛のために相当お互いに罵り合うようになりました。

でも、父自体が厳しい祖父の元でDVされながら育っていたので、彼自身が自分のインナーチャイルドケアが必要なんだということも、社会人になり理解したのですが。


④ゴミ屋敷

母は軽度の発達障害で(ここ数年で発覚しました)わたしが小学生の途中から仕事と家事のバランスがとれず、母の買い物依存症が爆発的になり、実家がゴミ屋敷レベルに凄まじいことに。

大学生で留学中の頃は実家のゴミレベルが一番凄まじく、夏休みに帰国してあまりの壮絶さに泣きながら掃除をしたこともあります。(あんな環境下でも掃除を放置するほど、母のメンタルがおかしくなっているのかと思うと涙が止まりませんでした)自分のことですらままならない母だったので、周囲ともうまく対話ができず、彼女自身が日々生きる事に必死で、子どもとの心通う時間なんて過ごせなかったのだと思います。


⑤引きこもりの妹

そんな環境だったので、妹もストレスからか中学生ごろから謎の体調不良と引きこもりに。
(妹については彼女自身のプライバシーを守りたいのであまり書くつもりはありません)



怒涛の10代

思い出して表に書けるのはこんな感じで、怒涛の家族関係だったので、とにかく家の中も外も安心してそのままの自分で過ごせたことがあまりなく、子どもの頃から人間不信が爆発していました。

(ちなみに、家族のことは安易に人に話すと変な目で見られるのが怖く、本人たちも必死に頑張っていることも知っていたし、当時はここまで冷静に言語化ができなかったので子どものわたしは誰に相談したらいいのか全くわかりませんでした)


多分わたしはエンパス気質なので、その環境から受け取るネガティブな情報量が半端なく、いつもそこに飲み込まれて、生きていくこと自体がただただ怖いなぁと感じていたのだと思います。


子どもの感覚

子どもの頃の経験は「例えるならコンクリートのようなもの」と何かで読んだことがあり、生乾きの段階で動物の足跡がつくとそのまま固まってしまうように、歳を重ねてもいびつな感覚は残り続けていました。大人になってある程度自己認識が身についている時に経験することとはまた別です。

ある出来事でスイッチが入ってフラッシュバックし、とにかく足元から全て崩れ落ちていくような恐怖が溢れ出して、怖すぎて生きた心地がしない。そんな感覚に飲み込まれると、もう自分で自分をコントロールできない。


自分の意思とは別に、身体が強張り思考停止、冷や汗が出て普段のように話せなかったり、狭い場所で息ができなくなり気絶、またはストレスを感じはじめると不眠。とある事に過剰反応して自己防衛のために激怒したり執着したり、人格が変わったよう、と言われたりもしました。


不安が暴走しまくっての結果なのだと思います。


今はもっとそこから解かれて、のびのびと楽しさや喜びで生きていけるようになったけれど

当時のわたしは

「そのままのわたしで生きる」

この感覚が本当にわからなくて、常に周りの評価を気にして価値提供をしないと生きる権利がないのだと思っていました。


周囲の浅はかさと探求のはじまり

そして状況を体験したことがなく詳しく知らない人から、少し事情を話しただけで全部わかったつもりな人から勝手にアドバイスされたり、社会人になり自分の状況がおかしいと気づきカウンセリングやセッションを受けては、浅はかな解釈をされることもあり‥

「よくあることだよね、あなただけが辛いんじゃない」的なことを言われ、その度に

「個々の性格も何に傷つくのかも一人一人全く違うのに、なんで誰かと比較して自分の辛さを押し殺す必要があるの?」と思うこともありました。

(大体その言葉を吐く人は心理の専門性がないか、自分自身が癒しきれてない何かがあるから人にも我慢を強要してくることが後々わかるのだけど)


こんな経験を子どもの頃からしていたので


「人間ってなんなの?なんで生きていなくちゃいけないの?なんでみんな楽しそうに生きれるの?世の中の善悪って何?わたしの家はこんなにめちゃくちゃでも誰も助けてくれないのに、たまたま自分は追い詰められていないだけなのに、なんでみんな善人ぶってるの?この世界ってなんなの?」などと思って過ごしていました。

とても捻くれて、自分に自信がなくて、無力感や怒り、惨めさ、恐怖と悲しさでいっぱい。

でも、そこをしっかりと見つめてしまったら、多分立ち上がってあの環境から抜け出す気力がくなることを無意識に察知していて、とにかく何か夢中になることにしがみついて必死にそこに向かって進むことで、自分の奥の凄まじい気持ちに向き合わないようにして進んでいた10代でした。



つづく👉

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