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叔祖父との思い出

こんばんは、といです。
拝啓 あんこぼーろさんのこちらの企画に参加させていただきます。

駄菓子屋、それは魅惑の園。
私の家の近くには駄菓子屋は大きなガレージのような駄菓子屋(卸問屋?)のようなお店がありました。
ですが、行くのは遠足の号令「三百円までです。」がかかった時ぐらいでした。
それはそれは、喜んでお財布と睨めっこしながらも「絶対にキャベツ太郎は外せない」と、しっかり握りしめて買い物をしたものです。

でも残念なことに、小さい頃に駄菓子屋でのウキウキワクワクした記憶を思い出すことが出来ないのです。

それよりも、鮮明に浮かび上がるのは、
「焼きもろこし味 プリッツ」達です。
「達」というのにはワケがあります。
それ等をくれるのは、いつも叔祖父(おおおじ)でした。

叔祖父は現役時代、音楽の先生をしていました。
現役引退後もピアノを上手に弾きました。
いつも和服に下駄を履いてピシッとしていました。
離婚して独り身だったからか、母と仲が良かったからか、よく叔祖父の家を訪ねては、ピアノの稽古をつけてもらったり、庭の金柑を採ったりしていました。

ここまで書くと、「優しい叔祖父」という印象でしょう。

でも、実際には「優『厳しい』叔祖父」だったのです。
小学生の頃だったか、母と叔祖父と3人で洋食屋に連れて行ってもらった時のこと。
私はハンバーグセットを頼みました。

目の前には美味しそうなハンバーグが到着。
いざ、食べようとすると、唐突に叔祖父が言うのです。

「とい、ナイフとフォークと箸がここにある。綺麗に使って食べなさい。正しく使えるまで帰れないぞ。」と。

母も不安げな表情を浮かべる中、終始注意されまくり半べそかきながら冷たくなっていくハンバーグを食べたのを覚えています。


そんな叔祖父ですが、いつも私のために「焼きもろこし味のプリッツ」を用意していてくれました。
一度美味しいと言ったら、ずっとそれ。
あるある、でしょうか?

叔祖父は自称「運転がうまい」おじさんでしたが、誰も助手席に乗りたがらなかったので、何故かいつも私が助手席に乗せられました。
自称〇〇程怖いものはなく、ヒィということもなく、いつもバンか軽トラの助手席でひとり、硬直してプリッツの箱を握りしめていました。

叔祖父は「厳しくも優しい人」なので、私はとても好きでした。怖いけど。緊張するけど。
それでも、叔祖父と縁側で過ごした時間や、叔祖父の飼っている鯉のエサやりを一緒にしたこと、叔祖父の収集した蘭の花達の茎にたまるミツを舐めることを許可されたことなどなど、思い出はぷくぷくと湧いてきます。

今は亡き叔祖父ですが、私の心の中には
「おい、とい!しっかりせんか!」と大きい声で笑いながらビクッとする私を見守る叔祖父と「焼きもろこし味のプリッツ」が映っています。

今頃になって、焼きもろこし味のプリッツが食べたくなってきました。

とい。