未完三部作① 〜そりゃ、アンタの学びのためでしょうよ〜
昨日、こんな記事をしたためました。
実はその前に、瞑想中アタマに浮かんだことをメモしておいたのだが、それがこの「統合」ともリンクしているようにも思えるので、noteしておく。
「未完」と表記したのは、読み返して校正をしていないからです。
ンなもん出すなよって?(笑) 申し訳ない。
では一作目をご紹介します。
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なんで僕は、こんなに親のお金の面倒みないといけないんだろう?
「そりゃ、アンタの学びのためでしょうよ。」
・・こんな会話が存在する気がする。
相手(ヒト)によっては、
「それがアンタの業(ごう)でしょうよ。」
と言うだろう。
じゃ、それを通して僕は成長できたのか?
それがわからない。
心を鎮め、瞑想し、自分に向き合う。
あれこれ思考は迷走したが、ふとこんな答えが浮かんだ。
僕は子供にそれをしない、と決めた。
ことである。
僕は自分の子供には
自由
を与えている。
もちろん全ては自己責任であるが。
そして彼らは、自由に生きている。
それでいいと思う。
なので・・
僕は少なくとも一つ成長した。
親が子供の足枷にならない
もしくは
御魂の自由な成長を妨げない
という・・
まだ親からの「余波」は訪れるだろうが、大きな波にはなるまい。それを忘れなければ、この局面は既に上がり!だ。
僕は光明真言で、その業を光に還す。
一度唱えるごとに、グッと、一段ずつ持ち上げていくイメージになる。
何度も繰り返し、「業」は雲を抜け、青空に到達した。
青空にホールが開き、そこに光が流れていく。
ホールが閉じるまで続けよう。
そしてホールは閉じた。
終わった。
一つ整理がついた。
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<後記>
これが「統合」かい?