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善の仮面をかぶった悪、悪の仮面をかぶった善

いろいろな人が、いろいろな事を言う。
そういう時代に生きていると、僕は思っている。

情報の量が多い。
だから、何を信じるかはその人次第になる、ということだろう。

だが、何を信じ、どう行動するかは、人生に直結する大事なことである。
今日は、自戒の意味を込めて、一つのnoteを残しておこうと思う。

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さて。
以前、師匠が言っていた。

世の中には、「善の仮面をかぶった悪」というものが存在する。だが、この「悪」は裁かれることがない。

つまり、一見、「良いこと」と思われることが、実は良くないことだったり、「良い人」と見える人が、良くない人だったりする・・ということだ。

この程度の規模ならわかりやすい。対面でピンとくることもあるだろう。

だがこれが、もっと規模の大きいものだったらどうだろうか?
果たして、その「仮面」を見破ることができるだろうか。

僕はよく娘に言うのだけれど、

「僕らは ”世の中のルール” ってものに沿って生きている。だれど、そのルールを誰が作ったのか、実はよくわからない。」

これは僕の本音である。
もっと言うと、そういうことを考えるようになった・・ってことですね。

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今、世の中に、得体のしれない「不安」が漂っている。もう久しくなった「禍」の不安、かの国々に起因する不安。どれも、規模の大きいものだ。

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そこで、考える。

善の仮面をかぶった悪が、そこにいないか。

その逆も考える。

悪の仮面をかぶった善が、そこにいないか。


ただ、どの局面にも必ず、

何も知らない人々


というのが存在する。
これらの人々に悪気はない。至って善良な市民ということである。 

しかし・・・

何が正解かはわからない。けれど、信じるもの、とる行動を誤れば、人は道を外れる。渦に巻かれるとか、針の目をくぐれないとかとも言うだろう。

だから、何が正解か。それはやはり自分の頭で考えなければならない。
それを

審神者(さにわ)する


と言ってもいいだろう。

表に対する裏があって、その裏にまた裏がある・・・
このようなことにドップリ巻かれてしまうのは非常に危険だ。

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この危うい状況を渡るに当たり、善の仮面をかぶった悪・悪の仮面をかぶった善、という考え方があると、僕の場合、物事の判断がしやすい。

日月神示においては、渦に巻かれぬ自分にするのは、自分の務めである。
ただ善良であることで救われることはない。
そこに容赦はない。

さはさりながら・・・

僕は思う。
悪の仮面をかぶった善の心中、いかばかりのものか・・と。

ひょっとしたらそれは、凄まじいほどの覚悟と炎、そして

まことの愛


なのかも知れない。

だから強い。きっと。





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