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日月神示 ~九月八日~

日月の巻 第十帖

ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。

辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今はであるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。(○に・)と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。

文中に「型」とあります。
これこれこうしたら、こうなる・・という意味での「型」。

であるならば、九月五日とか八日に、何かの「型」と思しき事態が発生し、それは(今回は?)小規模で済むけれども、今後、それがどんどん大きくなって現れてくる・・と読めるように思います。

それを防ぐ方法は、人が「改心」すること。
だけど、たくさんの人間が改心しないといけないわけだから、その「掃除」の総量は多くなる、ということでしょうか。

じゃあ、改心とは何なのか。

僕が思うに、一つは、
・永遠に存続できる「やりかた」にチェンジすること。
もうひとつは、
・各人が、「やりたいこと」に対し、自ら「情け」をかけて、それを諦める、あるいは、出来ないことを正当化する・・ということを、即刻やめること。
その際、
・自分自身で判断、行動すること。

こういったことではないだろうか。

いずれにしても、試される。
時間は、もう残されていない。

用心召されよ。


全て、自分の責任です。

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