見出し画像

モノへの執着が消えた日

5月9日の夜。
自室で、ふと気付いた。
御霊さんとの対話って形でnoteしておこう。

僕  「・・あれ?」
御霊 「どうしたの?」
僕  「・・”モノ”への執着が消えた。」
御霊 「そうなの? じゃ、少し検証してみようか。問うよ?」
僕  「うん。」

御霊 「今欲しいものは?」
僕  「・・ない。」
御霊 「ヤフオク見たい?」
僕  「・・いや、特に。」
御霊 「RSはどう?」
僕  「なければないで問題ない。」
御霊 「”モノへの執着がなくなった”って自分に宣言しても違和感ない?」
僕  「・・ない。」

僕  「俺、突然どうしちゃったのかな?」
御霊 「卒業したんだよ。」
僕  「卒業?手離し??」
御霊 「そういう世界を卒業した、ってこと。手離しになるかどうかは、君
    の今後の行動による。」
僕  「この”波動”をキープするみたいな・・」
御霊 「そう。さっき感じた感覚=波動を維持していくんだよ。それで
    いい。」
僕  「そっか。わかったよ。ありがとう。」
御霊 「頑張ってくれ。」

唐突に訪れた卒業劇。
なんでそうなったのか、詳しくは御霊さんも教えてくれなかったが(笑)、そういう体(てい)で、歩いていこう。







先日のある夜、ふと気付いた。

モノへの執着が消えている?

そのことをnoteしておこう。

さて、これまで、お金のことは少し書いてきたけれど、


モノについては、内面的には深く考察してはこなかった。
そういう気が無かった。

クルマにせよカバンにせよ服にせよ、それを買うにはお金がかかる。けど、必要なものであれば、それは必要な「経費」だし、欲しいものであればある程度の「出費」となることはやむを得ない。
皆、そうやって生きている。

けど、それらの「出金」が固定化すれば、お金がキビしくなるだろう。なので、モノへの執着がなくなれば出金もなくなるってのは、当たり前の帰結である。

これまで、そういった意味で、モノへの執着、つまり出金の元凶が消えることはなかった。
けどこの日、全く意図しない形で、不意にそれは訪れた。

食趣がはたらかない。
モノに対して、心が動かない。・・平穏である。

特にもう、欲しいモノはないかな・・

そんな感じだったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?