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ニンゲン、というもの

読書に並行して、映像も見てみた。
冒頭、これは、新約聖書中にいくつかある「福音書」のうち、「ヨハネの福音書」というものを忠実に映像化したものです、とある。

読書したものを映像で再確認する形になるが、理解が進んで、有意義だった。
ただ、脚色(メリハリ)はあると思う。

基本的には、神の代理として、神の御心を忠実に行動に移すイエスに対し、「ニンゲン」がそれを信じることができず、あれこれ難癖をつけ、しまいには殺そうとする、という内容だ。

「全く人間ってやつはどうしようもないもんだな・・」と、ニンゲンに対する不信感がいくつも生じるのだが、まず一つが

安息日


について。
安息日とは全てをやめて休まないといけないという日のようだが、その安息日に人を救うイエスを、ニンゲンは非難するわけだ。そこでイエスは言う。

人間のために安息日があるのであって、安息日のために人間があるのではない。

深く腑に落ちる。例のワ◯の一件でも、「他人に迷惑をかけないように・・」的な報道が多々あったが、本末転倒、といったニュアンスでは、同じことかと思う。

次に、

神を信じられる人間は、ほんの一握りなのだ


ということ。
イエスの起こす奇跡を見て、「神の子だ」と思った人間はそれなりにいた。だが、そう思えないニンゲンの声にかき消されて、表に出ることは出来なかった。

ただ、NO、と言ったニンゲンも、その本心はYESであったであろうことは、想像に難くない。
内なる“YES”の心に従えないニンゲンとは、一体何なのだろう?ここは深く洞察するに値する。

最後に、

結果、世界はどうなったのだろう?


ということ。
福音書にそのことは書かれていない。どこか別の書に書かれているのかもしれないが、今の僕にはわからない。

だけど・・
「その後」とは、今僕が生きている

現代


なのかも知れない。
だとしたら・・

こうして思考するうちに、僕は、

改心

について大きく理解が進んだ。
それを次回noteしてみよう。

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