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神についての勘違い

うまく言葉に出来るかわからないが、noteしておく。

9月8日。
この日、何も起こらなかった。
旧暦でも新暦でも。

10月。
秋の例祭の準備をしていて、感染した。
神は僕達を「禍」から守っては下さらなかった。

これらのことが、僕にある種の「気づき」を与えた。

いわゆる災難というものが自分や世界を襲ってほしいわけではない。けど、それが「避けられない」のであればしょうがない。結果がどうなるかはわからないが、それを静かに受け入れるだけだ。

今回僕は、その一連の出来事を通して、自分が、

神について、何か勘違いをしていたのではないか?


ということに思い至った。

具体的にそれはどういうことか?
表現にすごく悩んだのだけれど、たどり着いた結論は、

神は、人間の思うとおりに動くことはない


ということだった。
まあ、当たり前と言えば当たり前ですね。(笑)

世の中には、人の想像によるスピ的な情報が溢れかえっている。本物もあれば、偽物もあるだろう。ただ、それが「本物」であったとしても、神はそれをあくまで「神の意志」として起こす。
人間の都合は、そこにはない。

ここのところ、よくよく、本当によくよく覚えておかなければならない。
そうしないと人間は、勝手に想像(創造)した「わけのわからない」世界にはまり込み、抜け出せなくなる。

多少冒険して言えば、このことは「大日月地神示」では、

善の仮面をかぶった悪


と表現されている。
そう。それはダメなことなのだ。

僕は神を信じているし、見えない世界がちゃんとあるとも考えている。
けれど、神が僕に何かをしてくれるとは思わないことにした。
・・神の気が向けば、話は別だが。(笑)

僕は前を向いて、進んで行く。
視野の脇に神が映る。けど、そこで立ち止まることはしない。
立ち止まってはいけないのだ。
心の片隅で感謝を申し上げ、進む。

・・そんな感じだろうか。

ともすれば、フワフワと浮き足立ち、一人で勝手に気持ち良くなっているスピの世界。
けど本当のスピの世界は、もっと奥深く大きいはずだ。

うれしうれしの世


これがゴールである。
そしてそのゴールは、到達して初めて分かるものである。

これまでと表面上は何も変わらないが、そう考えることにしました。


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