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自分とは何者なのか。

考えてみれば、この答えを見つけるために、僕はこの数年を送ってきたのかもしれない。しばらく忘れてたけど。

一人の家庭人として僕は、
父であり、
夫であり、
息子である。

また、会社においては、
上司であり、
部下である。

すごく当たり前のことだ。
だからその「つとめ」を一心に果たしてきた。
それも当たり前のこと。

だが、ずっと昔から、

「自分」

という、上記のどれでもない一面があることに気づいていた。
けど僕は、それを静かに引き出しにしまってきたわけである。

しかし、数年前から、この「自分」というものが、引き出しから出ようとし始めた。そして、それを後押しするような出来事も起こるようになった。
子供が大きくなった、といった「責任期間の終了」みたいなものから、
仕事への疑問、といった「潮時」みたいなものまで。

ただ、今回違ったのは、それを再び引き出しにしまおうとはしなかったことである。

何かをしたいということ、何かをしないということ、そのどちらもが、自分への内観に繋がる。

そして自分を内観して内観して、途中で目をつぶることをせず、今回は、本当の自分というものにようやく辿り着いた。

「こういう者になる。」

と、それまで超えられなかった谷を飛び越えられたのである。

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本による教えや、神仏への信仰、スピリチュアル思考の取り入れ、といったことはあった。けど、やはり一番しんどく、かつ、突破のポイントであったのは、

リアル現実での行動

だったと思う。
家族や親など、目に見える存在に立ち向かった・・ということ。

自分でこうだと決めた姿。それが、関係者に利益をもたらすかどうかはわからない。「成功」するのかなんてわからないのだ。
けれど、もう、そういうのは眼中にない。僕は、外を基準としたモノサシを手放した。それは「情」というものからの決別である。

翻って、現在。
世界は揺れに揺れている。だが僕は揺れていない。

自分の中にしっかり、が立ったようである。

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