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出雲、出雲 ④

僕は、出雲大神宮に向かってクルマを走らせている。

明らかに感じる。

両肩が重い。


僕は思わず苦笑する。

そりゃそうだ、何てったってあのたくさんの「磐座」を肩に担いで運んでいるのだから・・(笑)
正直、ホンマかいな?の思いはある。

そして僕は目的地に到着した。
出雲大神宮。けど、磐座を下ろす場所はどこなんだろう?
まあ、いいや。とにかく、参拝を始めよう。

前回とは逆に、左から回る。

スタート。

まるで門番のような春日さん。

そして、ここだ。

出雲神社と同じように僕は報告する。

夢でお告げをいただきましたとおり、出雲神社より磐座を運んでまいりましたので、ご報告申し上げます。

同じように、古墳でも申し述べる。

丁寧にお参りし、奥宮に向かう。
途中で、「あの」場所を通らねばならない。またあの“こめかみ痛”に見舞われるのだろうか。

歩く。あの場所に差し掛かる。

恐る恐る・・
だが、痛みはこないようだ。

セーフ?


まだ帰り道があるが、行きは大丈夫みたい。

奥宮。
前回よりも、クニトコタチの「御神座」である磐座に氣を向けて、今日の目的を報告する。

誰もいない帰りの山道を、僕はゆっくりと歩いて下る。

誰もいない。

考えすぎないよう、かつ鈍感にならないよう。
例の場所でも何事もなく、無事に鳥居に辿り着いた。

残りの境内社にもお参りをして、僕は拝殿前に戻ってきた。

ここにも、誰もいない。

終了いたしました。


僕は神々や見えない存在に最後の報告を行なって、mission complete。
無事にやり遂げることができた。

不思議な体験だった。本当に僕は何をやっていたのだろうね。

まあ、出雲といえば縁結び。これから必要となる“新たな縁”をいただくのもよかろう。
だが今回は、何かをいただくために動いたのではないと思う。そういう気にもならなかったし。

ただ、師匠がこんな記事を上げていた。

ひょっとしたら僕の“こめかみ痛”も、クニトコタチの神の御働きだったかも知れない。
それもこれも全て、わかる時にはわかるであろう。

最後に一つ。

出雲神社も出雲大神宮も、そこに磐座はあるが、それがどこから来たのかがよくわからない。何故なら、地形的に、後ろの山が、とても「火山」には見えないからだ。

こちらのサイトの最後の写真、やはり火山には見えない。

・・ということは、これらの山は、古代樹なのかも知れない。
古来からの信仰の原点。知らない記憶・・

それはさておき・・
実は、初めて出雲大神宮に参拝した日の夜、僕は丹光を見ている。

低く空を飛び、下を見下ろす。そこには寄り添う巨大な三つの磐座
だが、周りが暗い。明るい光景ではなかった。

ただその光景は、こちらのサイトの最後の写真に酷似している。

丹光の磐座は、クニトコタチの御神座だったのかも知れない。

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