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1枚のCDの意外な楽しみ。

先日、面白いCDを見つけて聞いてみました。

昭和のスター、「ザ・ピーナッツ」の
トリビュートアルバム、
「The Peanuts Tribute Songs」。

収録曲は昭和歌謡にあまり詳しくない
わたしでも知っているような
ヒット曲ばかり。

そんな曲たちを、
最後の「スターダスト」以外は
様々な人気歌手の皆さんが
歌っています。 

例えば、
「恋のバカンス」はFUNK THE PEANUTS
(ドリカムの吉田美和さんと浦嶋りんこさん)。

「ふりむかないで」は
Little Glee Monsterのアサヒさんとmanakaさん。

「モスラの歌」は中川翔子さんと平野綾さん。

アレンジも
現代風で面白いなあ、
と思いつつ聞いていました。

そして、これらの代表曲の
作詞・作曲を手がけたのは
やはり錚々たる方達。

岩谷時子さん、
なかにし礼さん、
宮川泰さん、
安井かずみさん、
古関裕而さん、 
などなど。 

(「モスラの歌」って、
古関裕而さん作曲だったんですね。

あの摩訶不思議な歌詞が
インドネシア語だったことも
初めて知りました。)

そして、このアルバムには
華原朋美さんとmisonoさんが歌う

「銀色の道」も収録されています。

(わたしはダークダックスのバージョンが
印象に残っていたのですが、
ザ・ピーナッツのヒット曲でもあったのですね)

この「銀色の道」は、
北海道の鴻之舞という町と繋がりがあることを
ご存知ですか?

鴻之舞(こうのまい)という町のことは、
北海道民でも知っている人は少ないかもしれません。

というのは、それはもう、40年以上前に
住人がいなくなってしまった町だから。

わたしが鴻之舞のことを知っているのは、
わたしの母が子供時代を過ごした町だからです。

道東の紋別町には、1915-1973年に
鴻之舞鉱山という鉱山があり、
金銀銅を産出していました。

わたしの母方の祖父が戦後そこで事務の仕事をしていたので、母も子供の頃は鴻之舞に住んでいたのです。

片田舎の鉱山といっても、住友金属の鉱山で、
一時は街も賑わい、
会社の催しで子供向けの映画が上映されたことも
あったそうです。

でも、次第に資源が枯渇して1973年に閉山し、
その後住人もいなくなってしまいました。

「その話と「銀色の道」に一体なんの関係が?」
と聞かれそうですが、
実は「銀色の道」の作曲者、宮川泰さんは
子供の頃、鴻之舞に住んでいたことが
あったのです。

と言うのは、お父様が土木技術者で、
鴻之舞・紋別間を結ぶ専用軌道(鴻紋軌道)
の建設に関わっていたため。

のちに宮川さんはその「鴻紋軌道」のレール跡の
水たまりに月の光が映る姿を見て
「これこそが銀色のみとだと確信した」
のだとか。

また、「銀色の道」の歌詞を
作詞家の塚田茂氏から受け取った時も、
「遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる」
という、少年期を過ごした鴻之舞に重なる内容に
懐かしさを感じたのだそうです。

2003年には鴻之舞鉱山閉山30周年を記念して
鴻之舞鉱山跡地と紋別駅跡地に
「銀色の道」の歌碑が立てられました。

記念碑の除幕式には宮川さんも参加し、
宮川さんの指揮で市民合唱団が「銀色の道」を
合唱したのだとか。

今回、このアルバムを聴いた後、
「わたしよりもうちの両親の方が
このアルバムを楽しんでくれるのでは」
と思い、実家に送りました。

同封した手紙にも鴻之舞のことを書いたので、
母は数年前に鴻之舞の記念碑を
訪ねた時の写真を送ってくれました。

ちなみに、父が少年時代を過ごしたのは夕張市。

夕張も炭鉱閉山・市の財政破綻という道をたどっており、
母が少女時代を過ごした鴻之舞は
もう町ですらなくなっている。

同じ北海道でも全く違う場所で生まれ育った
両親の故郷が
それぞれにそのような運命をたどっていることが
なんだか不思議な気がします。

1枚のCDは音楽を楽しませてくれただけでなく、 
家族の思い出まで振り返らせてくれました。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。 

*昨日は十六夜。

冴え冴えと輝くお月様が
とてもきれいでした

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