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ギラギラとキラキラの差

こういう人間が存在しているという事実を知ると、勝手にガタガタと武者震いする。

自然と目頭が熱くなり素手で魂を鷲掴みにされる。

月利300%とか、綺麗な姉ちゃんとか、そんな話より何倍も武者震いする。

そして、誰でも簡単に、1日5分、コピペだけでとか、そういった世の中に腐るほど蔓延る情報を何かに取り憑かれたかのように、必死に喉から手が出るほど欲する欲望が、いかに愚かでダサいことなのかを胸が張り裂けるくらい痛感させられる。

王道のド真ん中を人の何倍も力強く歩む人間は、いつの時代も格好イイし色褪せない。

それってやっぱり変わっていないし、変わらないし、変わってはいけないのだと思う。

今は世の中を簡単に見せる風潮がある。

でも、そんなことはないんだ。

“何者かによって簡単に見せられているだけ”

“マーケティングにコピーライティングにセンセーショナルに踊らされているだけ”

それに早く気付けた人間は強くなると思う。

最近よく思うけど「ギラギラ」した奴は掃いて捨てるほどいるけど「キラキラ」した奴はほとんどいない。

それを言い換えると、キラキラできないからギラギラせざるを得ないのだと思う。

人数とモノと量で魅せる人間はダメ、質と密度で魅せる人間にならないと。

厚化粧する人間もダメ、化粧代も必要だし洗えば落ちる。スッピンで輝く人間にならないと。

裸の自分に何が残っているか?結局はそれに尽きると思う。

“ギラギラとキラキラ”

この差は濁点だけの違いだけど、それ以上に想像するのも困難なほど中身は違うと思う。

そして、楽しいことを死ぬほど楽しむことは誰でもできる。だけど、苦しいことを死ぬほど苦しむことは誰でもできないんだよな。

楽して自由になる人生ぐらいなら醜態を晒して朽ち果てる方が、ある意味、命を真剣に使っていて後悔がないと思う。

20代は、己の在り方を何周も何周も自問自答し悶絶しまくったけど、これに気づいた時、残りの人生を全て懸けて自分の人生に正々堂々と武者震いできるような生き方をしたい。

それが、何度も何度も未来をシュミレーションして導かれた、自分自身が納得できる唯一無二の答え。

大切なことは、群れず裏ワザや手軽さを敢えて捨てて、誤魔化しやハッタリが一切通用しない場所に、敢えて身を置く勇気や気概を持つことが大切な時代だと思う。

“キラキラしたい”

28歳の今、嘘偽りや自己欺瞞ではなく心からそう思う。

※2017年2月6日、当時28歳の頃にFacebookに投稿した文章ですが、これから自分が生きていく際の人生の指針にしたいと思い、2023年11月18日に少しだけ加筆をしてnoteに再投稿しました。