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#01 人生はエチュードだと気づく -ストグラ観測日記-

2023年9月中旬に「ストグラ」というロールプレイ(RP)サーバーでの配信に出会いました。すっかりはまりました….。

多分きっかけは「ストグラ」内で開かれた夏フェスを見た(聴いた)ことでした。音楽って、ライブって、どうしてこんなに心を揺さぶるの…。

この感覚を残しておきたく、気の向くままに日記を書いていこうと思い立ちました。

その夏フェス。51:00〜から夏フェス開始10分前。上記のリンクは僕のうざいこだわりで、切り抜きではなく一人称視点で現地の観客視点で見るのが最高だなぁ、と思って貼ったものです。いつも配信してくださってる空舞月るるさん(るなぼうさん)、いつもありがとう。
(夏フェスから見えた可能性はまたどこかで日記書くと思います。)

ちなみにストグラとはなんなのか?

ということに対する、一般化した説明は僕の方ではできなくて(正直、新参者すぎて解説するのもおこがましく…)上記に公式で説明してくださっている場所があります。

ほんのり自分のことを..。

僕は2017年〜2018年あたりにVRchatとOculus Riftでメタバース的なものの発露に出会って大興奮してましたが、ただ自分ではそちらに関わることなく、その時点から今まで、アニメという表現を用いてアニメMVやアニメ映画など、リニアなストーリーテリングの創作物を作り続けてきました。しかし、どこかであの時の感動が忘れられず、ただ、メタバースでの別人生って視覚と聴覚の解像度を上げていくだけの行為だと思っていて、そこには現実は立ち現れなそう、とも思ってました。

そこからweb3やメタバースというバズワードっぽく聞こえる世間の動きを横目で見ながら、あっという間に5年。そこで「ストグラ」に出会いました。

「とうとう来てしまった….、これだよ、見たかったのは…」となったわけです。

しかしなんで「これだ!」と思ったのか…?色々と考えていく内に「ストグラ」内で繰り広げれてる風景が、エチュードなんだと気づきました。

そして、その瞬間に「人生って、エチュードなんだ….」と感じたんです。僕はメタバースに人生や現実を求めてたんだなと気付きました。

ちなみに、ここでいうエチュードは演劇のエチュードです。

演劇におけるエチュードは、場所や場面、人物の性格などだけが設定されていて、動作や台詞も役者自らが創り出していく、という感じのものです。

http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/etude.htm

演劇の世界ってあくまでフィクションで、現実や実際の人生とは切り離されてると思いがちですが、このエチュードの説明をみると、これって、実際の人生も一緒じゃないか、と思いました。

職場での与えられた役割や設定によるエチュード、家庭での与えられた役割や設定によるエチュード、もっと広く言うと日本の国民としての与えられた役割や設定によるエチュード。

最初からいきなり「人生」という大きなワードを掲げたわけですが、この「ストグラ」は人生という大きな視座やレイヤーで考えても、充分に足りる風景がそこには広がってるんじゃないかと思いました。

人生を考えるヒントは演劇かも

ちなみに僕は演劇みるのは好きだけど、やったことは高校の文化祭くらいでしかなくて、専門的なこともわかりません。しかし、改めてこのエチュードという概念を知ったら、これって人間として(特に社会やコミュニティ)健やかに生きていくことの必要要素じゃないか!と思いました。

ルール1:まずは「ノー」をやめて「イエス」を言う
ルール2:「ブロックする人」にならない
ルール3:競争ではなく、関係を築くために「自分の物語」を使う
ルール4:「積極的に聞くこと」を練習しよう

https://newspicks.com/news/4424208/body/

これらの要素を達成できている住民は、長い期間ロスサントス(ストグラ内の街の名前)の住民を楽しんでいるように見えます。ただこれはロスサントスだけの話ではなくて、生身の肉体の現実でもまったく同じではないかと思いますし、最近よく言われる心理的安全性も近いことなんだろうなと思います。

自己の表現や物語を自由に発露していいし、それをブロックしない。まぁ、会社経営などをした経験として、それが全て簡単に実施できることとは思わないんですが、資本主義や経済原理など、人類史における狭いパラダイムの話じゃなくて、人間として生きていくという広いパラダイムにおいてはこの意識を持つことによるデメリットはまったくないと感じました。

ロスサントスに引っ越してくる住民は、それぞれ引っ越す前に過ごしていた場所や生活や人間関係があり、新しい環境でもその設定を継承して生活していきます。何かの目的があって街に来た住民もいれば、とりあえず引っ越してきたという住民もいます。

現実の人生も、なんとなく出会ったその場の人たちとの関係性から形作られるよね

引っ越してきた新しい住民は、この街の勝手がよくわかりません(日本に似ているようで、そうでないようで….)。ですので、既に住んでいる住民達(大抵はとても親切)に助けてもらいながら街での生活を開始していきます。このあたりが田舎の風景に似ていて、ほっこりする要素です。住民の数が限定的なので、相互扶助とその継承が心地よく達成されています。

ちなみに、田舎の1エピソードなんですが、僕の実家の田舎では、新しく会った人には元気で挨拶しましょう、と教えられているのか、道を挟んだ向こう側から大きな声で挨拶して来る小学生に出会います(しかし、これからはこういう田舎の風景もなくなっていくのでしょうね…)

このロスサントスの街を見ていて、新規住民たちを追っていると、初日からどのような人に出会い、どのような生き方に接していくかによって、彼らの街での選択が変わっていくように思います。そしてその人の人生、歴史が作られていきます。見ている僕も独自の解釈でそこにストーリーを見出していきます。このあたりも人生とまったく一緒だなと感じて、なんだか熱い気持ちになります。

ちなみに、空舞月りりさん空舞月るるさん姉妹のロスサントスの生活は、僕にとってはすごく人生っぽくて、ずっと見てられます。

(ロールプレイの達人たちがいきなり出会う。こういう一日目もありますね…。マクドナルドさんとシャンクズさん界隈は書くことが多すぎますので、またどこかで)

目的を持ってた人も、街や共同体に流されていく。そして、新たな目的が出来ていく

家族が出来て、その中で役割が出来て、目的が生まれる。
職場が出来て、その中で役割が出来て、目的が生まれる。
周辺の社会が出来て、その中で役割が出来て、目的が生まれる。

そうやって流されながら「その街や共同体での、その人の人生」になっていくさまを、リアルタイムの一人称カメラで見ていくのがとんでもなく楽しい。愛が溢れる優秀な切り抜き編集者の、独自の解釈で作った切り抜き動画を見るのがとんでもなく楽しい。一つのイベントや事件を多視点で、様々な解釈で見るのがとんでもなく楽しい。

大仰な言い方かもしれないですが、これからの人生の在り方やエンタメの在り方が変わっていく流れに遭遇しているなと感じてます。このタイミングで考えた思考や興奮を自分のためにもこの日記で残していこうと思います〜。


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