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心に橋をかけてもらった話


そこに行きたい気持ちはあっても
まだ、私の中で
そこに行くための橋がかかっていなかった。

だから、ある人にお願いしたのです。
橋をかけるための、話をする時間を。


・・・*・・・*・・・

色彩・音色・言葉でつむぐ『心の架け橋』
自然体ハーモニストの川高ゆきです。

・・・*・・・*・・・


※この記事では、
過去の思い出について赤裸々に語っています。
誰かを責める意図はありませんが
気を悪くする部分がありましたらお詫びします。


その思い出とは、
高校時代の部活動のことです。


私は、バイオリン経験者でもあり
弦楽合奏部に入部しました。

高校には吹奏楽部もあり
ちょうど私が入学したタイミングで
合同で「管弦楽団」としての活動も
スタートすることになりました。


1年目は、先輩が優しくて
みんなで合奏することも楽しくて
初めて管弦楽として定期演奏会もできて
充実した日々を過ごしていました。


流れが変わったのは、2年目から。


まず、バイオリンの同期が
半分ほど辞めてしまいました。

ミーティングで他のパートが
充実感いっぱいに語り合う中で
私だけ、一人抱えていた悩みを
重苦しく打ち明けた記憶があります。


そして、マネジメント学年として
私もリーダーになったものの
何をしてよいか全くわからない。

ほとんど楽器初心者の後輩たちが
難しい曲に苦戦していても
どうフォローしてよいか分からず

本番の直前になって
「ここの音を抜いていいですか」
と、後輩から相談されたとき

「あ、言わせてしまった」と
申し訳なさでいっぱいになりました。


吹奏楽部の同期たちは
管弦楽団に一本化されたことで
活躍の幅が狭められ、
編成の都合で楽器を変えられたりもして
不満感から温度差が広がっていくのを
私も肌でひしひしと感じました。


また、私の家庭でも
部活の方針に対して
両親が猛反対していて、
退部するよう迫られました。

でも、そこは私にとって
初めてできた「居場所」だったので
大好きな仲間を奪われたくないと
両親に対して猛反発して。

これとこれはやらない、という
一部の条件つきで
部活を続けることができました。


当時は、ただ必死になって
目の前のことに動いてはいたけれど

演奏面でもマネジメント面でも
2年目以降は、なにもできなかった

大きなステージで満席のお客さんを前に
難しい曲もなんとか形にして
全国大会にも出場して
華々しい結果を残すことはできたけど

そこに、私の気持ちは
全く追いついていなかった


そんな思いのまま、卒業しました。


卒業してからの数年間は
後輩の手伝いに顔を出したりして
OBOGとしての活動もしましたが

だんだんと、当時の負の感覚の方が
自分の中で占めるようになってきて
OBOGとして積極的に関わりたいとは
思わなくなっていきました。


「自分にとっての黒歴史」

そんなふうに整理をつけて
フタをしようとしていました。


なのに・・・


ここ数年、誘ってくれるんです。

当時の部活の同期や
縁あって出会った後輩たちが。

OBOG・後援会で
記念イベントをするからと。

気にしたくなくても
SNSでも入ってくる情報。

その度に、悩みました。
でも、動きませんでした。


その気持ちが変わってきたのは
ここ1年くらいの間でしょうか。


「過去を引きずって
 今の実情や想いを知らずして
 拒否したままでいいのだろうか」

「自分にとって過去を癒やし
 先に進むきっかけになるかもしれない」


少しずつ
そんな思いが湧いてきていたんです。


そんな時に
この夏の具体的なステージに向けて
また、お誘いを受けて。

一度は抜けたfacebookのグループに
再度、招待してもらって
入ろうとしたけど、やっぱり迷って。


今のままでは
いきなり活動には参加できない。

だから、まいちゃんに連絡したんです。


「一度、話が聞きたい」と。


まいちゃんはすぐに応じてくれて
タリーズコーヒーで
あっという間の2時間を過ごしました。

打てば響く話ができるので
OBOG・後援会のことはもちろん
仕事やプライベートの話題も
お互いの精神的な成長をテーマに語り合う。


その中で、先に綴ったような
当時の苦しい思い出も
率直に話すことができました。

そして、逆にまいちゃんは
どのような思い出があるのか
聞いてみたんです。

そしたら、目をキラキラさせて
こんなことを話してくれたんです。


「もう本当に幸せだった。
 大好きな人たちに出会えて。
 今チェロをやっているのも
 こうして縁がつながっているのも
 あの場所があったおかげ。」


そのとき、心の底から
嬉しさが込み上げてきて。

私たちが、あの場所を
なんとか形にして残したことが
数年後の人の役に立っていたという
事実を知ることができたんです。

当時、そのときには
叶わないことも多々あったけど
自分たちが犠牲も払って
苦しみながらも頑張ってきたことが
初めて報われた気がしたんです。


そのことを伝えて
お互いに感動に包まれるひととき・・・。


そして、今のOBOG・後援会も
決して順調だからやっている訳ではなく
「何とかこの場を続けられるように」
そんな想いでやっていることを
改めて理解することができました。


お互いに、相手の実情を知らないまま
美化したり否定したりすることも
実はよくあるような気がします。

私たちには、私たちの苦労があり
今の人たちには(現役生もOBOG・後援会も)
今の人たちの苦労がある。

それをお互いに理解しあうことが
大切なのではないかと感じました。


私自身、今回その機会を
まいちゃんにお願いできて
本当によかったと思うし

私の中で、やっと
「過去」と「今」とをつなぎ
立ち止まっていた場所から
活動しているほうへ行くための
「心の橋」がかかりました。


まいちゃんをはじめ
同期の人たち、関係者の人たちが

私のタイミングで、ペースで
自分にあう選択ができることを
見守りつつ待ってくれたこと

それでも、何もしないのではなく
折にふれて情報をくれたり
誘ってくれたりしていたこと

そのキッカケがなかったら
ここまで来れなかったと思います。

今、その全てに感謝しています。


そして、白黒はっきりつけずに
「グレーを楽しむ」という
私の今年のテーマも
やっぱり、ここでも生きていて。

曖昧さを受け入れ、むしろ歓迎して
その時々に応じて
自分にちょうどよい距離を探りながら
前向きに関わっていくというスタンス

それは、私自身のなかに
自分軸がしっかりしてきたからこそ
できることでもあると思うのです。

(まいちゃんは、グレーをパステルと
 すてきな表現をしてくれました。)


さて、スッキリしたので
動いていこうと思います☆

思い出のつづきを、描くために。


最後までお読みいただき、
本当にありがとうございます^^



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