介護のはなし
わたしが「介護やってました。」というとみんな驚く。
そのあと「でも新卒で入って8ヶ月で辞めました。」というとここでまた驚く。
みんな二度驚く。
パーフェクトサントリービール糖質ゼロかな?
ちがう。なぜわたしが介護をやろうと思ったのか、なにが嫌だったのか、いま介護に思うこと、3本立てでいきます。
なぜわたしは介護の道に進もうと思ったのか
正直、介護は人気の仕事とは言い難い。でもあのときのわたしは本気で介護の道に進みたかった。
物心ついたときからわたしの母方の祖母は、祖父の母(祖母のお義母さん、わたしのひいおばあちゃんですね)を在宅介護していた。老老介護!(byわたしの中の粗品)
なぜか、血の繋がりもなくなんなら昔はたくさん嫌がらせをされてきたはずの義母のことを、一生懸命文句も言わず介護する祖母が謎でありつつも尊敬の念を抱いていた。
今ならわかるけれど、弄便が日常茶飯事レベル。おばあちゃんちのにおいはウンコのにおい!結局あのひとは要介護認定ナンボだったのだろう。施設の空きを待ちつつ基本は在宅介護で週に2回デイサービスに連行される。そのとき送迎によくきていたお姉さんが、子どものわたしにはめちゃくちゃかっこよく見えていた。自分は介護してもらってるくせに感謝の気持ちはひとつも持たず祖母を邪険にしやがるひいおばあちゃんだが、そのお姉さんには良い顔をして聞き分けが良かった。そんなひいおばあちゃんも100歳になる前に亡くなり、祖母はやっと介護から解放されたのにわたしが高校生のときに交通事故で亡くなった。このときもう3人目だった。というのは、父方の祖父母は既にわたしが中学生の間に亡くなっており、母方の祖父も祖母を追いかけるようにまもなく亡くなった。フルコンボだドン。わたしはハタチになる前に祖父母が全滅した。そこで祖父母孝行(?)が満足にできなかったことをずっと悔やんでいて、介護に携わることが罪滅ぼしにならないかなという気持ちがあった。それと、母方の祖母が亡くなったあとおもしれーくらいに弱ってしまった祖父(昔から相当な変わり者だったので全親戚に嫌われていた、わたしの母からも例に漏れず)がさすがに可哀想になったので、親戚が遺産相続とか大切な話をしている間、わたしがマンツーマンで相手をしてあげていた。目を見て話を聞いて適当に相槌を打つだけだったが、毎回母にめちゃくちゃ感謝された。わたし自身なにも苦ではなかったし、母はあまりわたしのことを褒めない人なので「こんなことで褒められるなんてわたしは介護の才能があるのかもしれない」と謎の自信をつけた。さらにもうひとつ、ウチはわたしが小学生のうちにいつのまにか両親が離婚していた。突然働かなくてはいけなくなった母は、手始めに介護の資格を取得するために学校に通い始めた。ただ実際働くかとなったときに、夜勤があると小学生のわたしと弟を置いては働けないとなり介護は諦めた(母親はそのあとOLになった)。その敵討ちの意味もあった。誰にも頼まれてない敵討ち。
高校生のときに「介護の道に進みたい」という気持ちは確かにあって、それを専門的に学べる公立大学に進もうとした。ただ二次試験で小論文があると知り、すぐに諦めた。小論文模試はいつもボロボロで、こんなの勉強したって上達するもんでもねえだろと思ったのですぐに諦めた。諦めは早い。
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それから無難に地元の私立大学のよくわからない学部に進み、いざ就活!となったとき何もやりたいことがなくて「そういえば高校生のとき介護やりたかったな」と思い出し、介護の会社に就職した。
なにが嫌だったのか
就職して配属されたのは新規開設された施設で、最初は利用者が1人だった。わたし含め3人が新入社員として配属、気が弱すぎる施設長、5年くらい先輩の正社員、母親の少し年下なくらいのパートおばさん、障害者雇用枠の年下男、その他諸々。利用者と職員の比率おかしすぎてわろた。のちにわたしが辞めるまでに10人くらいに増えます。
とにかくここでの人間関係はマジで最悪だった。今でもイライラするので1人ずつ最悪なところを書き出させていただく。
・同期男
自己主張ができない。記録の際の漢字を間違えまくり仕事にならない。なぜか会話が成り立たない。嫌なことがあると利用者の前で平気で顔に出す。
・同期女
自己主張ができない。何もかも鵜呑みにして自我がない。でも、わたしが辞めるとなったときにこの人が1番優しかった
・施設長男
自己主張ができない。営業部長やエリア長にいつも怒られていて、明らかにこちらは悪くないのにとにかく平謝りしていて常に情けなかった。
・先輩男
仕事をしない。利用者と関わろうとせずいつもパソコンに向かってクソみたいな資料を作っていた。好きなフォントはHG創英角ポップ体。自分より上の人間がいなければふつうに換気扇の下でタバコを吸う(勤務時間中)
・パートおばさん
よくいるウザいおばさんの具現
・障害者雇用枠の年下男
施設内の掃除を担当。トイレ掃除をしていると思ったらトイレの中でパズドラをしている。障害の有無は関係ねえ働けクズ社会なめんな
てな感じでわたしの味方は1人もいなかった。自己主張ができない人が大半で、そういう人は常に誰かに虐げられていた。わたし自身、争いを好まずだいたいは同調して嫌なことがあっても反論はしないタイプの人間だったが「こんなんじゃここでは生きられない」となり自分の性格を押し殺して働いた。これも良くなかった。自分の性格を無理矢理変えるのはストレスだ。上の理不尽な指示にはめちゃくちゃ言い返したし、利用者がよりよい生活を送れるような提案もかけた。提案はもちろん聞き入れてもらったことはない。そのときには何も言わなかったくせに後から文句を言う周りの人間にも疲弊した。
あとはよく言われる介護の闇が2点。
1点目、利用者への虐待。
配属された施設はなかなか利用者が増えなかったため、しばらくはあちこちヘルプに行かされていた。そのとき行った施設のひとつにて。そこは入社前から「あそこの施設はヤバい」と同期の間で話題だった。要介護5しかいないここは特養なのか?というようなGHだった。利用者をブン殴ったりはしないものの、大腿骨骨折したことがある利用者が立ち上がろうとするとかなり強い言葉で制し両脇を抱えて自室に無理矢理戻されて寝かされたり、ちょっとでもごはん食べなかったら秒で下げられたり、トイレはめんどいからとドア全開、水分摂取量の管理も超適当でもう地獄だった。ぺーぺー新入社員のわたしはそれをドン引きしながら見ることしかできず無力を感じた。介護の世界は想像以上に縦社会で、仕事内容の成果が伴っていなくても勤続年数が長ければ長いほど強い。
2点目、介護従事者への待遇。
介護は「きつい、汚い、危険」の3Kと言われる。その通りわたしは常に腰をいわしてコルセットを巻いていたし、利用者からの暴言暴力は日常茶飯事、もちろん何かと汚れる。制服は自宅で洗わなければならない。昔は看護師の仕事も3Kだったと言われていて、今や看護師は強めの社会的地位を獲得しており介護職もいずれはそうなるとは聞いたが、わたしはそうなるとは思えなかった。介護職に対して、正直リスペクトの気持ちを誰も持っていない。全員が全員ではないが、利用者の家族は利用者を邪険にし施設にブッ込みさえすればそこからはもう死ぬまで会いに来ない。
だいたいのことは「仕事だし好きなことだから」と割り切って働けてはいたが、あまりにもそれに見合わない給料。夜勤に入ると夜勤手当がついたが、パートのおばさんが「稼ぎたいから夜勤入る!」と言いだし、反論できない施設長は言いなりで夜勤はほぼパートのおばさんに持っていかれた。夜勤中に事故があったとき、責任問題的な意味でなるべく正社員が夜勤入るべきでは?と思ったけど。こちとら新入社員3人の体制なんだが?と思ったけど。
とにかく介護は稼げない。ある日、珍しくパートのおばさん主催で仕事終わりに飲み会が開かれ、酒どころじゃないわたしは酒も飲まず焼き鳥も食べられず(当時ストレスで食欲ゼロ)コーラ1杯だけをチビチビ飲んでいた。再来月から奨学金の返済始まるけど大丈夫かなとか、最近セフレからLINE無視られてんなとか、家の近所の工事早く終わらないかな(夜勤明け眠れない)とか、とにかく悩むことはいっぱいあった。この人たちは何も悩みがなさそうで羨ましい、死んでくれんかな。そこで伝えられる「みんなで割り勘ね!」わたしは飲酒どころか食ってもない。コーラだけだ。いま思うとこれが限界のきっかけだったような気さえする。
ちなみにどれくらい稼げないかというと、介護から離れた今の会社の給料のマイナス6万。別にいま何か役職がついてるとか勤続年数が長いとか残業えぐいとかはない。ただただ、介護が稼げないだけの話だ。
いま介護に思うこと
前述のとおり、介護はとにかく稼げない。他の人は違うだろうが、わたしはこんな待遇じゃ「好きだから」という理由だけでは続けていけなかった。ケアマネージャーくらいまで上り詰めるとまあまあ稼げるところではあるが、そこにたどり着くまで何個か資格も必要だし、実務経験が何年も必要になる。介護職の待遇は必ず良くなると誰もが言っていたが、じゃあそれ何年後なん?と思う。わたしがいっぺん総理大臣にでもならないと何も変わる気がしなかった。
介護から離れて4年経つが、あの頃の経験が完全に無駄だったとは思わない。介護という仕事自体はまだ好きだと思うし、介護業界の闇を見なくていいなら副業としてやりたいとも思う。メインとしてはもう働きたくない、奨学金返せないし。ってかんじ。
また話が広がってしまうが、配属された施設に最初からいた利用者は、認知症だった上に元から気難しい性格だったので、後から入ってきた利用者全員に煙たがられていた。職員も殴られたくないからと避けていたけれど、わたしはその人が1番好きだった。本当は1番優しくて裏表もなくて可愛いおばあさんだった。誰もやりたがらないその人の訪問介護はわたしが率先してやった。ある日送りの道すがら「なんであんただけ優しくしてくれるの」と言われてめちゃくちゃ泣いた。介護のやりがいの真髄を確かにわたしはそこで感じたけれど、結局わたしは介護業界を見限ってしまい、未練を残してきてしまった。まだご健在なのかどうかもわからないけれど未だに頭をよぎったりする。
でももうあんな世界に戻りたくない。まだ残ってる同期、心の底から尊敬する。
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