平野綾さんのLIVEに13年越しに行けた話。と、思い出語り。
【ライブ当日 開演前】
17時に開演するライブは、16時30分が開場時間となっていた。私は遅刻を避けたい人間だが、イベントにはできるだけ直前に行きたい人間でもあった。考えた末、会場には15時過ぎに到着した。結果として小一時間、半端な待ち時間ができてしまった私は、会場の周りをふらふらと散歩することにした。行きは名古屋駅から伏見の会場「NAGOYA JAMMIN’」まで歩いたため、帰りは電車で戻ろうと決めていた。まずは伏見駅の下見をし、高畑行きの切符を先に購入しておいた。次に駅と反対方向に歩くと、大きな広場が見えてきた。そこには名古屋市美術館や科学館があり、広場では数人の大学生がダンスの練習をしていた。その側でジャグリングをしていた男性が落としたピンを拾った子どもと親らしき人物は、フリスビーを投げ合い遊んでいた。長閑な一幕を目にしながら、私は近くのベンチに腰を下ろした。そして思い返していた。なぜ自分が平野綾さんのライブに来たいと思ったのか、その時間の多くを。
【きっかけ】
2009年4月、私は中学生だった。当時、同級生たちのあいだでは、一つのアニメが流行った。『涼宮ハルヒの憂鬱』だ。私は当時いくつかのアニメを見ていたが、いわゆる深夜アニメは一度も見たことがなかった。アニメとはテレビ愛知で放送する18~19時代のものばかりだと思っていた。剣で戦うかパンを作るかだ。だから彼らが楽しそうに口にするハルヒという単語は、私にとって未知の存在であった。そんな私はハルヒを一度も見たことがないまま、友人宅でとある曲を耳にする。
『God knows…』である。
おそらく私が初めて耳にした平野綾の歌声とも思われる。この時間が後に何度もいきるから初期のきっかけであることは間違いない。
2010年頃、ここで偶然の目撃があった。年末のバラエティ番組をなんとなく見ていたら、「平野綾さんで~す」と誰かが言った。その時には友人からハルヒの声優の名前は聞かされていたので、この人がそうなのかあと思った記憶が鮮明にある。その記憶が鮮明なのは繰り返し思い出したからだろう。なぜかと言えば、私はそのすぐ後にピカルの定理というバラエティを見るようになる。見始めたときにはもういなかったが、平野綾さんがこの番組の初期レギュラーだったと後に知った。そのときの私は心が幼かったので、それをとても凄い偶然のようだと捉えていた。捉えていたが、別になにかをする訳ではなかった。
2011年の春になり、その瞬間が来る。俗にいう運命の出会いである。運命とはなんだろうか。その話は置いておこう。それは、家族の買い物に付き添いで行った大型複合商業施設の、CDショップ屋にふらっと入ったときだった。店の奥、壁際に、店員が推すアーティストのアルバム試聴コーナーが設けられていた。待ち時間がまだあった私は、暇つぶしに棚に置かれたジャケット写真を眺めて歩いていた。そのなかに平野綾さんがいた。『AYA MUSEUM』というタイトルだった。手に取って裏返したアルバムには、収録曲が記されていた。二枚組で、disc2の終盤には『God knows…』も入ってた。私はヘッドフォンを首にかけ、久々に聞くかぁ、という気持ちで試聴を開始した。一曲目は『水たまり』という曲だった。これが当時の私にはあまりにも好みだった。結局、この『水たまり』を何度も聞いている内に集合時間が迫っていた。帰りの車の中で、「あ、『God knows…』聞けなかった」と思った。窓の向こうには夜の田んぼ道が広がっていた。
この時間が当時の自分には強く残るものであったのか、毎週買い物に行くたび私はCDショップへ寄った。次第に在庫がなくなったらどうしようとか考えていた。しかしその頃、欲しいものは一度親に伝えて買ってもらう流れがあった。アルバムはなかなか値が張ることもあり、購入を求めるのは容易ではなかった。中学生なりに留飲を下げるため、普段はしないことをした。その中で結びついた記憶を基に深夜アニメを見てみたのもこの時期だった。それが『まよチキ』で、なんかいろいろ歪んだ気がしなくもないがここでは置いておく。とにかくアルバムを買うという気持ちで一杯になった私は、お小遣いの前借を条件にアルバムを購入した。こうして家で曲を聞くようになり、私は完全に平野綾の歌声のファンになったのである。
2012年にはミニアルバム『FRAGMENTS』が発売され、当然私は購入していた。高校生になった私は迷うこともあまりしなかった。それまでは芸能人のファンであるとあえて誰かに言ったりしなかったが、環境も変わると陽気に口にしていた。この頃知り合いの影響でバンドにのめりこんでいた。相変わらず平野綾は好きだったが、一気に多くのものを好きになれるほど器用ではなかった。そしてこじらせた挙句、なにかを好きでいることで自分の表現が狭まるのかもしれない、と本当に良くない考えをするようになり、家にあったアルバムも押し入れに閉まった。しかしそんな考えは意味のないただの強がりであることは明白で、平野さん歌声を聞きたいという気持ちはずっと残っていた。だから声は意識的に聞かないけど、姿を多く見るようになった。
当時、平野さんはアルバムの宣伝ということでバラエティにいくつか出演していた。記憶が濃いのは、『日曜×芸人』である。このバラエティはバカリズムアンタッチャブル山崎オードリー若林の3人による番組で、初回から見ていたのだが、これに平野さんが出演した回がある。何度か出ていたと思うが、印象に強いのは馬刺しに似た料理を作る企画だ。単純にバラエティとして笑った記憶があるが、料理スタジオにグリルがあるにも関わらず自宅から番組で買わされたバカでかいグリルを持ってこさせられバカリズムが「このノリもうこれで最後にして欲しい」と懇願していたのを覚えている。話は逸れるが他の平野さん出演回でアポなしロケをしたとき、アポを取ろうとした山崎がお店に断られ「だから俺ガチ嫌なのよぉ」とぼやいていたのも笑った記憶がある。
そんなあれこれもありながら、当時高校生の私はかなりチョロいので、このどちらの回でも平野さんの立ち回りに恋していた記憶がある。変に拗らせ曲を聞かなかったせいで、むしろ一段深くファンになったという良いのか悪いのか分からない時間だった。
テレビ番組で言うと、天才てれびくんでインタビューを受けていた時の誠実な回答も好きだった記憶がある。企画としては子どもが考えた質問を出川哲郎が代わりに聞いて進行するもので終盤はぐだぐだになっていたが、それでも真面目に考えて言葉を選んでいた姿が印象的だった。
こうして私はファンになっていた。その間に行われていたライブにも当然行こうとしていたが、悉くいけない理由が発覚してついにはそのまま行くことはなく数年が経った。そこからは何かを好きになる時間どころか自分が曖昧になっていた。学び働き生きるとはそういうことであるのかもしれないが、とにかくここから成人式まで忙しく、そこから2021年頃まではあまり記憶がないような雑な時間となっていた。私はこの期間を川のようなものだと思っている。私の意志に関わらず流れている時間は流れる川のようで、あったような景色は気づくともう遠くへ流れている。振り返って見える川を挟んだ向こう側の岸は先ほど語った過去の思い出としていまも鮮明に思い出せるものが多い。ただ自分はいまこちら側の岸にいる。時間は進むのでそれは当たり前のことだ。
しかし、どこかで過去に好きだったものをまた今になって好きと言うのは、とても悪いことだと考えるようになっていた。
そうした考えが薄れてきたのは、数年前からアニメを多く視聴するようになったことに理由がある。
『WHITE ALBUM』森川由綺や、『君に届け』胡桃沢梅、極めつけは昔大好きだったがアニメは見られなかった『銀魂』で今井信女役を演じていたと知った時だ。これらは私が今になって視聴したから知っただけで、放送自体はもう十年以上である。それは私がファンになる前やその最中だった時期のもので、私が知らない私の時間を今になって確認したような、私のいまと過去を繋ぐものであったように思う。壮大な言い方になってしまっているかもしれないが、要はどの時間もたしかにあったものであり、今になって同じようにファンだったと言う行為は悪いものではないのだと、そう考えられるようになった。
私は後から知ったが、ツアー自体長らく行われていなかったようだ。実に11年ぶりらしい。機会があったら、と思っていたあの時行けなかったライブに行きたい、歌声を直接聞いてみたい、と思った年にツアーが決まったのは僥倖だった。年の瀬、私はあの頃のように迷わずチケットを購入した。
【ライブ当日 開場と開演】
存分に回想をしていた私は、会場からほど近い場所にいたにも関わらず開場時間に遅れた。小雨が降っていた。会場に歩き出して、雨に気づいた。ロッカーに荷物を預けるのも億劫だったので、予め持ち物は少なく来ていた。チケットが濡れないかだけを心配していた。スムーズに室内へと案内された。会場はライブハウスで、ドリンクチケットは今まで見た中で一番小さかった。荷物になるかと心配したが、諸々の考慮して常温の水をもらった。水を手に私が立った場所は丁度箱の中心あたりで、目の前のステージに本当に平野綾が出てくるのか?と思った。十数分が立ち、音量に合わせて緊張も増していった。と思っていたら演奏隊が登場し、あっという間に平野さんも登場して開演となった。
私はこれまでずっとライブを見ているとき、楽しんでいようがいまいが他ごとを考えたくなる、というか考えずにはいられない癖があった。ライブが良いものであればあるほど、癖は多く出た。この時間を打ち消そうとしてしまうのかもしれない。
今回もその癖はあったが、反対にその癖を打ち消す熱量がそこにはあった。とにかく楽しかった、何より生で聞けて嬉しかった。
一番は、平野綾さん自身が目の前にいる人たちをとにかく楽しませようとする声や動きが多く、安っぽい言葉ではあるがプロの仕事だなぁとずっと思っていた。それくらい徹底したパフォーマンスに魅せられた。MCは打って変わってファンと言葉の距離が近く、だからこそ生まれる緩急は居心地が良かった。この感覚は昔にテレビとアルバムを交互に視聴して感じた好きと似ているものだと思った。アンコール後のハルヒ楽曲の連続は、会場の熱が何層にも増していた。私の前にいた方々がハルヒ好きなのは動きの変貌からも明明白白だった。私は、この方たちに当時ハルヒが大好きだった同級生の面影を見た。その後ろでただ聞いていた自分に、こうして声を聞けている状況に、心が満ちていた。たぶんずっと前から私は私が思っている以上に、平野綾が好きだったのかもしれない。
【ライブ当日 帰り道】
ライブハウスを出て伏見駅に向かって歩いていた。薬局の角を曲がった辺りでまた小雨が降ってきた。大通りに出ると、フードを被った誰かが小走りで路地へと折れていった。自転車に乗った男女が天気予報について会話をしながら通り過ぎた。私が横断歩道の手前に立つと、信号は赤になった。通りの向こうで待っていた人が、建物の屋根の下に移動した。私の方に雨を遮る構造の建物はなかった。振り返って目に映ったコインパーキングには、水たまりが出来ていた。いまの雨量ではできない大きさの水たまりは、もっと前に出来たものだと思われた。ライブハウスにいたとき、もしかしたらもっと多くの雨が降ったのかもしれなかった。外は暗く、雨の量は肌に落ちる冷たさで分かった。車のヘッドライトに照らされた雨粒は、無数の線のようだった。私は、『水たまり』の歌詞を思い出していた。
「私じゃなきゃダメなんだ」
たしかこの作詞をしていたのは平野さん本人だった。水たまりをじっと見て、私は少し心が軽くなった。思い出との間に流れる川すら私であるという事実は、不安なことではなく私が私を知る大切なものだと思えた。信号が青になり、私は横断歩道を渡った。地下街への階段を降りた。雨はまだ降っていたが、冷たさはなかった。手に持ったペットボトルを上にあげて振り返った。飲み残した水が、ビルの明かりに光を放った。私はきっと、今日という日をまた思い出すだろう。その瞬間が幸せなものであれば嬉しいな、と思いながら、また階段を下りた。胸ポケットから取り出した高畑行きの切符は濡れていなかったようで、無事に改札を通過した。