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右肩上がりの写真たち

最近、iPhone15Proを買った。5年使ったiPhoneXは、いくら電気を与えても1時間で電源が落ちるようになっていた。「もう、君も寿命なのだろうか」そう思ってからというもの、寝落ちする前のぬくぬくしたベッドの中で、さむーと思いながら電車を待つ駅のホームで、トイレにこもり温かな便器に座り事を成している時間で、次なる相棒をどうしようかと、うんうんと唸っていた。

iPhone15Proは高すぎるのだ。15万。これにその金額使うくらいなら、ベトナムに行ってフォーと生春巻きの食い倒れをしたい。そうはいっても幾許かの年月に渡りAppleの呪縛にがんじがらめになった僕は、結局iPhone15Proを買った。落とし所は、金利無し分割35回払い。月々4500円だから、月に1度の夜ごはん外食をやめたらいいかって。別に安くもなってないし、長ったらしく払うなら普通に一括で買えばいいのに、意味もなくまんまとAppleの策略に乗った。その分割35回払いは、自分にとっては意味があるんだ。きっと。

iPhone15Proというやつはカメラがすごいらしい。実際に使ってみると、確かにその広角具合、色のハッキリとした具合。正直「綺麗!」としか写真に対するボキャブラリーがないのだけど、素人目で見ても変化がある。だけど、それくらいしかiPhone15Proにメリットはないのだ。でも、15万を払って購入したこいつを否定したくなくて、いや、15万を払った自分を否定したくなくて、それからというもの、写真を撮ることがめっきり増えた。iPhone15Proのライブラリに溜まっていく写真の数は、自分に付与しようとした自己肯定感の数なのかもしれない。

そんなふうにして、iPhone15Proのライブラリには写真が溜まるようになった。特に、広角具合を考えると空とか海とか、遠景が映える。その数が増えるに従って、だんだんと「写真、右肩上がりなのでは?」ということが気になってきた。数が右肩上がりに増えるという意味ではない。どうやら画面の右側が上がるように見える。撮っている時は、自分の眼は水平を自信満々に捉えている。だが、後から見てみると「ちょっと怪しい、、、」というものから、「これは無理があるでしょう」というものまで。

足の歪み、顔の傾き、手のブレ。
心の歪み、脳の傾き、精神のブレ。
理由は何か。無意識の願望だろうか。

そんなことを思っていた昨今、10年来の友人とお好み焼きを食べに行った。カメラマンをする彼に「右肩上がり」のことを話したら、「ちょっと編集して回転させたらそれもいい水平になるよ」と、お好み焼きに青のりをかけながら言った。
「過去は未来の行いで変えられるのか。」と何やら妙に映画じみた言葉が口からぼそっと飛び出してしまったが、餅は餅屋、写真はカメラマンだなと妙に納得してしまった。そんな彼は、歯についた青のりを舌で必死に取ろうと顔を歪めながらもがいていた。

明かなるズレ@スリランカ
水平に見えそうなものでも、わずかに右の水平線のほうが高い
富士山も斜め@ご近所
やはりずれ@ご近所

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