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本を2冊持ち歩き、読まないという趣味

大学生の頃から、僕の鞄にはいつも本が2冊入っている。
3,4冊のこともあるけど、だいたい2冊だ。

1冊だと、なにやら心細い。この本じゃないのを読みたいんだ!と思うと気持ちの行き場がなくなってしまう。
ただ、3,4冊だと重い。ただただ重量的に重い。
だから2冊だ。

その2冊の選書にもこだわりがある。
今読みたい本、というのはそりゃそうなのだけど、分厚く大きい本と、薄くて小さい本の2冊だ。
その時によって、手に取りたい本のサイズも重さも違うことがある。混んでるカフェや電車だと、薄い本が読みたくなる。のんびり広い場所だと、大きい本を読みたくなる。
そんな理由から、2冊を選ぶ。

年間365日中350日以上は家から出るような気がするけど、その全てで2冊の本を持ち歩く。大学生からだと考えると、もう10〜15年になる。
年間350日×10年で考えると、もう3500日くらいは2冊を持ち歩いていることになる。

けど、その全ての日に本を読んでいるわけじゃない。ただ鞄に入れて、読まずに持ち帰ることも多い。たぶん、読む時間を取るのは全体の1/3〜1/4じゃないだろうか。
そう思うと、3500日中2000日〜2500日は、ただ本という物体を家から家に運んだだけになる。本をただ家から家に持ち歩くことに、何らかの意味があるのだろうか。あると思い込みたいが、いや、ないかもしれない。

とするとだ。僕は本を読むのが好きだとこれまで思い込んできたのだが、持ち歩くのが趣味なのではないだろうか。読もうとする意志を確認するためなのか、そも重みを感じることで自分に身体的/精神的な何らかの影響を与えるためなのか。よく分からない。

ただ、もしかしたら本を趣味にする人は、「読む」以外にさまざまな動詞を趣味にしているのかもしれない!とちょっとひらめいた。「持ち歩く」仲間も結構いるかも、と思い救われた気持ちにいま、なっている。

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