2022JAL向津具ダブルマラソン【レース編】

6月第2日曜日は山口県長門市のJAL向津具ダブルマラソン (83.39km)に出場。
最初の1kmから独走して5時間28分09秒でした。

先導車も他のランナーも観客もいない独りの時間が長い

29年の陸上人生で最長のレース。
何とか4分/km切りの5時間36分切りという目標を達成することができました。

ゲストランナーなので順位はつきません。
しかし大会記録を約28分更新し、優勝者とは約45分差でした。

即日発行の完走証、激坂の区間タイムの記載も
背景は外国人に大人気の元乃隅神社の鳥居

今まで走ったレースで一番アップダウンがきついレースでしたが何とか一度も歩かずに完走しました。

ダブルマラソンの部スタート(午前6時)

レース中は最終盤に少し日が差したものの、基本的に曇り空で前半は時々雨が降ってきました。
また、風もありました。

涼しい木陰や肌寒い霧の区間と蒸して汗をかく区間があり、猛烈な暑さはなかったものの気温や湿度が変化するレースでした。

JAL向津具ダブルマラソンコース

高低図をみるとキツイ登り坂は中盤から終盤のイメージです。
しかし、実際には縮尺が普通のマラソンの10分の1くらいなので前半の向津具半島からキツイ登り坂が度々ありました。
けれども前半の坂は登りきると下関の角島大橋が見えたり日本海が見えたりして、タイムは落ちますが頑張れました。

登り坂よりも本当にきついのは下り坂でした。

道が狭くボコボコで木陰で暗く急な場所が何か所かあったので、気持ちよく下れずにブレーキ筋をかなり使ってしまいました。
昨年10月に上高地のロングトレイル練習中に膝の靭帯をやってしまってからトレイルにほとんど行かなかったので、急な下りが下手くそになっていました。

前半からの急坂での下手くそな下りでブレーキ筋を酷使したことが中盤以降のダメージと減速に繋がってしまいました。

元気に下っていた頃

俵島を1周し、向津具半島に戻ってくるとハーフマラソン付近では後続ランナーとすれ違い。

この大会は同じ地点を何回か通るので、ランナー同士がすれ違う区間が何か所かあります。

山道だけでなく、住宅街のコースも

前夜までに大量に食べていたのと、スタミナ切れを防ぐためにウォーミングアップを普段の半分以下にしていたので、ここで1回トイレ休憩。

前夜のカレーライスの1杯目
3杯食べたが、おかわりする度に御飯が増えた

向津具半島を抜けて、大浜海岸を過ぎてからの中盤は段々と脚も重くなり、コースもきつくなりました。
しかし、見所満載で、この大会の一番の魅力と厳しさが詰まっている区間でした。

まずはコース上の景色で一番感動した立石観音。
38km付近で坂道を下っていると左手に見えてくる日本海の中に大きな岩が現れます。
そして走っていると岩に段々と近づいていきます。

そして最後は岩のすぐ脇を走り抜けます。
なんともいえない神々しさがあり、心に残る景色でした。

残念ながら立石観音の写真がないので、興味がある方は実際に来年大会を走って確認してみて欲しいです。

きっとレース中に初めて見たならば、「凄い!」といった気持ちになるはずです。

立石観音とエイドを過ぎて坂を登って下ると123基の真っ赤な鳥居が海に向かって続く有名な元乃隅神社。

すぐ脇を通り抜けたので、走りながらじっくり観させてもらいました。

元乃隅神社を目に焼き付けながらダウンヒル

42.195kmの通過は2時間38分くらい。予定よりも速いペースで走れていました。抑えて走っていたのでまだ元気です。

そして普段は緑の芝と青い海と空のコントラストが素敵な千畳敷へ。
標高300mを超える場所に位置する絶景スポット。

ここからは断続的に5km弱の急な登り坂が続く激坂ゾーン。

フルマラソンならゴールしている距離からの激坂なので結構きます。

しかし、大会も知恵を絞って、激坂を楽しむ仕組みを用意しています。

実はこの激坂区間は「激坂レース」として、この区間の記録が計測され、優勝者と100の倍数の順位の選手は男女とシングル・ダブル別に表彰されて賞品がもらえるのです。

この「激坂レース区間」はほぼ急な登りですが、実は下りや平坦な場所もあり、単純な登りレースとは違う難しさがあります。

ちなみに私の記録は22分48秒。
過去の記録を見るとシングルマラソンでは私の記録を上回るタイムの選手が何人もいました。

激坂を終えて、たどりついた千畳敷は真っ白な景色。
何も見えません。

激坂の途中から「坂を登りきればエイドでコーラが飲める。コーラ。コーラ」と思って走っていたのに千畳敷エイドではコーラが見当たらず精神的ダメージを受けました。

さらに霧と大規模エイドに気を取られて、エイドのテントの手前の駐車場の車止めの段差につまづいて転倒。

綺麗に転んだのでダメージがなく、すぐに起き上がって競技を続行できましたが、まだ残り30km以上ある地点。

一歩間違えば、完走できない危険性がありました。

真っ白な霧に包まれた大会当日の千畳敷
前日の主要な激坂のコース下見で撮影した千畳敷

千畳敷からは急な下り。途中で50km通過のタイムを見ると3時間11分くらい。

「うわっ。隠岐よりも20分くらい遅いのか」と思いましたが、今回は隠岐の島の50kmの1.5倍以上の距離なので仕方がありません。

この長い下りの終盤では吹奏楽による生演奏も。
鬼滅の刃の曲を演奏してくれました。

この地点では既に後続とは20分くらい差がついていたと思います。
私の通過に間に合うように準備してくれて感謝でした。

下りきると5km弱のほぼ平坦な田んぼ道へ。
基本的に登っているか下っているこのコースでは珍しい平坦な区間です。

しかし、ここまでの登りと下りの繰り返しで脚の筋肉が疲れているので平坦なのに思うようにペースが上がりません。

まだ25km以上残る距離と2つの大きな激坂区間が残っていることを頭に浮かべながら頑張ります。

58km付近で2回目のトイレ休憩。
その後、給水所では動かなくなってきた両腿に柄杓でかけ水。

ボランティアの方々が用意してくれた氷水が効きます。

また、この辺りの給水所からはエイドのように時々コーラが用意されるようになりました。
また、毎回「あと300m」という看板もあるので、「給水所」と「エイド」を楽しみに頑張るようになりました。

前半から中盤の給水風景
後半は立ち止まって3杯給水+脚にかけ水

59km付近からは4km弱続く長い激坂。
60km付近で脚が弱っていたこともあり、45km前後の激坂区間よりもここからの激坂の方がきつかったです。

多分、前半?の坂

4年前に野辺山で71kmに挑戦した際には63km付近では完全に腿の筋肉がやられて、そこからの登り坂は歩いたり走ったりしていました。
しかし、今回は何とか歩かずに登り続けられました。

途中の交差点で後続のランナーとすれ違い、その後も登り続けて、東後畑棚田を展望できる高台へ。

設置されたテントを見て「やったエイドだ」と思いましたが、バンドの生演奏でした。

給水の代わりに音楽に元気をもらい走り続けます。

東後畑棚田
前日の主要な激坂のコース下見の際に撮影

65km付近からは元々筋肉痛などがあった下り坂だけでなく、呼吸はきついけれど筋肉的には何の問題もなかった登り坂まで時々筋肉が痛むようになってきました。

さらに左腰も張ってきて、「ここからは上手に走らないと完走できないぞ。これは」と思い始めました。
残り約20km。普段の1日のジョグの距離です。

急な下りで臀部やハムが逝かないように丁寧に走りつつ、時々ある登りでも腿の内側がつらないようにタイム度外視で走り続けました。

給水所では毎回止まって、両腿にかけ水。
コーラがある場合には紙コップ3杯補給。
それを短時間で済ませながら走り続けました。

千畳敷エイドは走りながら給水する余裕があった

69km付近から向津具半島に戻ると最後の激坂。
3km弱続きます。腿は攣るか攣らないか限界ギリギリでしたが「これが最後の激坂」と自分に言い聞かせながら丁寧に登り続けました。

この日までのレースの人生最長距離である71kmを通過。4時間37分台。

「よし。野辺山より4分速い。71kmの自己ベストだ」とコースもコンディションも違うのに少し嬉しくなりました。

何とかキツイ激坂を登り終えてからは急な長い下り坂。普通のマラソンなら加速する区間ですが腿が危険信号なのでギリギリの戦いです。

途中からは後続のランナーとすれ違います。
下る私は74km前後、登ってくるランナーは24km前後。
私はいよいよあと10kmですが、すれ違うランナーはここから50kmと3回の激坂です。

ようやく下りきって、序盤に走った油谷湾沿いを序盤とは逆走していきます。
「激坂は終わったから、腿も何とか持つだろう」と考えた甘さはすぐに吹き飛びます。

高低図にはほとんど現れないアップダウンが繰り返します。
序盤では特に意識することもなく、スイスイ走っていたアップダウンが、限界ギリギリの腿をさらに痛めつけます。
正直言って、このあたりでは中盤までと違って、登り坂で内転筋が攣りそうになるのが一番の問題となっていました。
それだけ坂と距離で筋肉はボロボロでした。
さらに向かい風まで吹いてきました。
油谷湾の向かい風が続きます。追い風はありません。

しかし、ここでボロボロの私を助けてくれる出来事がありました。
シングルマラソンの部のランナーが見えたのです。

この時までは後続ランナーとすれ違うことはあっても同じ方向に走るランナーは一向に見えてこなかったので「追い抜いてやろう」と元気が出てきました。

しかし、何位かわかりませんが相手はシングル。私はダブル。さらに私は既に前半よりも大幅にペースダウンしています。

なかなか差は縮まりません。
しかし、私の脚も動いていませんが前を行くランナーの脚も動いていません。

動いていない脚同士。少しづつ差が縮まっていきます。そうして走っているうちにもう一人ランナーが見えてきました。

意識が前を行くランナーに向いたためか腿の危ない感じが少し収まってきました。

まず1人追い抜きます。
私のペースも速くないですが相手も疲れているのでスッと抜かします。

そして今度はさらに前を走るもう一人のランナーを追います。

ラスト1km前後だったと思います。
ついにそのランナーも追い抜きました。
もう前にランナーは見えません。

最後の橋を登って下り、動かない脚を前に進めます。
フィニッシュ地点が見えてきます。
しかしスパートをする脚は残っていません。

満身創痍のフォームで数百m先のゴールへ


そして、フィニッシュテープを切ってゴール。
本当に長い84.39kmでした。

ゴールした瞬間、安堵と達成感で心が満たされました。

何とか歩かずに完走

「この瞬間が好きで厳しいウルトラマラソンを走っているランナーが大勢いる」

そう思えた瞬間でした。

こうして5時間28分9秒にわたる私の人生最長距離であるダブルマラソンへの挑戦は幕を閉じました。

フィニッシュ直後に妻から渡されたコーラを一気飲み

ダブルマラソンを完走して、エイド・給水所を始めとする長門の方々の応援やボランティアの方々のおかげでランナーはゴールを目指して頑張ることができると改めて思いました。

「マラソンは人生のようだ」とよく言われますが、ウルトラマラソンはまさにその言葉がぴったり当てはまります。

マラソンや他の短い距離とはペースも戦略も気持ちの持ち方も身体の疲労具合も異なるウルトラマラソン。

それだけに「現状打破」という言葉が今の私にとってピッタリ当てはまる競技のような気がします。

84.39km...人生最長のレースを長門のJAL向津具ダブルマラソンで走ることができて本当に良かったです。29年続けてきた陸上人生で、壁をまた一つ壊すことができました。

・・・でも次に走るならシングルを走りたいです。
それがダブルマラソンを走り終えた直後の私の正直な気持ちです。

もちろん、暫くすると気持ちは変わるかもしれませんが。

JAL向津具ダブルマラソンの大会HP ↓
https://www.mukatsuku-w-marathon.com/news/%e7%ac%ac6%e5%9b%9e%e5%a4%a7%e4%bc%9a%e7%b5%90%e6%9e%9c%ef%bc%886%e6%9c%8814%e6%97%a5%e6%9b%b4%e6%96%b0%ef%bc%89

滞在中にお世話になった長門市役所の庄井さんと
庄井さんもダブルマラソンを10時間以内で完走

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