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ハワイ滞在記1977年その2

1.マコーリー先生の授業

マコーリー先生の授業は大教室で、学生以外にたくさん先生方も受けていました。語彙意味論といったもので、killとcause to become not aliveを結び付ける話や、「止める」と「止まらせる」はどう違うかなどです。「止める」は通常のキーなどを使った止め方、「止まらせる」は例えば、キーをエンジンに投げ込んで止める場合でも使えるなどという話です。そんな気もするけど、そうとも言えないなどとみんなで議論しました。だって、いま「キーを投げ込んで止める。」って言ったし。でも、車から降りて運転手に「エンジン止めて」とは言えるけど、「エンジン止まらせて。」というのはおかしい。暴走してるので、キー差し込んだぐらいぐらいでは止まらないときに使うんじゃないか、などど延々とみなで議論してました。

この授業は単位を取ったので、先生とアポイントメントを取って、研究室に行ってレポートの内容を議論しました。「形容詞+する、させる」をどう扱うかというもので、手書きで10枚ぐらい書いて、提出しました。単位が取れたかどうかわかりませんが、面談の時は大変ほめていただきました。でもなぜか論文にはしませんでした。

この時、マコーリー先生は赤塚紀子さんと結婚していて、一緒に住んでいたんだけど、起きる時間と寝る時間が完全に違ってるので会えないから、のり子にあったら伝えてくれと伝言を頼まれたりしました。赤塚さんとはこの時が初対面だったはずなんだけど、もう一人シカゴ大の大学院生で、JBSNさんの友だちのインドネシア語の専門家からも伝言を頼まれてて、授業で赤塚さんに会うたびに伝言をしている感じでした。伝言の内容自体はなんにも覚えてませんが。

2. フィルモア先生の授業

フィルモア先生の授業は、ダイクシスの話で「来る」や「行く」の話や、時間に関するダイクシスの話でした。よく考えると、この時聞いた話は、そのあとの自分の論文の内容にかなり影響を与えているようです。論文では、先生の論文から引用していたのではっきり意識できませんでしたが、ずっと問題意識として残っていたようです。

フィルモア先生の授業も刺激的でした。単位登録はしてなくて聴講だったので、アサイメントはそんなに一生懸命読まなくてもいいはずだったんだけど、かなり読んで行って寝る時間がなくなったりしました。最近までその時の論文を大事にとってましたがこの前、ノートと一緒にpdf化して著者ごとに整理したので、講義資料としてはもうまとまったものにはなっていません。

フィルモア先生はそのすぐ後にも日本になんどか来た時にも会い、1990年にアメリカにひと月ほど出張した時にも会いに行って、親しく話す機会がありました。その一年前に『指示詞』が出たときだったので、お渡ししたりしました。先生はこの本がえらく気に入られたらしく、何度も宣伝してくださったりしてます。そのあとも、西海岸に行くたびに訪ねていきましたが、いつも歓迎してくださいました。

ご存知の方も多いと思いますが、マコーリー先生も、フィルモア先生も日本語ができます。マコーリー先生の博士論文は日本語のアクセントの音韻論でしたし、フィルモア先生は若いころ京大の研究生だったことがあって、遠藤嘉基先生の指導を受けられたようです。国語学会で見事な日本語で講演されていますし、ときどき先生との会話は日本語になったりしました。

お二人とも大教室の講義なのに、質問続出で、まるで演習のような授業をされました。毎日、楽しくて授業の準備で寝る時間がどんどん削られていきました。

どちらの授業か忘れましたが、一番前の席にモデルのようなものすごい美人が短いズボンでタンクトップで授業を受けていて、さすがハワイと妙に感心しました。遠くからちらっと見かけるだけでお近づきになることもなかったわけですが、外国に来てるんだなあというお上りさん感覚で毎日寝不足の目をこすりながら、ハワイ大の学園生活を満喫していました。

3に続く