美術史①:ルネッサンス美術
フランスに住みだして一番学んだことといえば絵画。
今回はルネッサンスの画家をどっと紹介。
ラテン語のRenascere(再生する)を語源としているRenaissance(ルネッサンス)は古代ギリシャ・ローマ文化の再生を意味している。
この時代の芸術家たちは、神の力のみに関心を寄せていた中世の思想を意識的に排除し、個人主義の強い古典時代の芸術にインスピレーションを求めたらしい。
サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli
1445−1510🇮🇹
初期ルネッサンスのフィレンツェ派の代表的画家。
裕福なメディチ家のカステッロ邸を飾るために描かれたテンペラ画が『ヴィーナスの誕生』。
晩年は、ドミニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラの信仰者となり、彼が人々に贅沢品を禁止したとき、ボッティチェッリも自分の絵画を焼却した。
『プリマヴェーラ(春)』(1477)
『ヴィーナスの誕生』(1485)
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
1452−1519🇮🇹
ダ・ヴィンチは「ダ・ヴィンチ村の」という意味なので、彼は終生自分のことを「レオナルド」と名乗る。
フィレンツェからミラノに移り、要塞を設計したり、騎馬像の原型となる粘土像を作ったが、これは侵攻してきたフランス兵の射撃練習の的になる。
ミラノにいた際、『最後の晩餐』を制作し、またフィレンツェに帰り『モナ・リザ』を制作、その後教皇庁の希望でローマに移る。
フランス王のフランソワ1世に誘われフランスへ移り、フランスのクロ・リュセ城で亡くなる。
『受胎告知』(1475)
『最後の晩餐』(1495)
『モナ・リザ』(1503)
ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonarroti
1475−1564🇮🇹
トスカナ地方のカプレーゼで生まれ、現在この村はカプレーゼ・ミケランジェロという名を持つ。
無生物の大理石に生命を吹き込むことができる人物と評価される。
レオナルドのように、建築家・詩人・土木技師としても才能を発揮する。
システィナ礼拝堂天井画の『アダムの創造』に描かれた楕円の中の天使たちは脳の断面を意味しているのでは?という説がある。
『最後の審判』(1541)
『ダヴィデ像』(1504)
『アダムの創造』(1512)
ラファエロ・サンティ Raffaello Santi
1483−1520🇮🇹
レオナルド、ミケランジェロと並び盛期ルネッサンスの三大芸術家とされる。
1508年に教皇居室の装飾を依頼され、教皇の図書室に神学・哲学・法学・詩学のフレスコ画を描く(その哲学の絵が『アテナイの学堂』)。
わずか37歳で病死する。
『アテナイの学堂』(1510)
『システィーナの聖母』(1514)
絵画や彫刻に関しては、15世紀初頭にフィレンツェで始まり、画家は、一点透視図法を考案した。
この時代の有名画家はイタリア人ばかり。北ヨーロッパではルネッサンスが伝わるのが遅く、16世紀までゴシック様式が主流だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?