美術史③:新古典主義→ロマン主義

フランスに住みだして一番学んだことといえば絵画。

今回は新古典主義からロマン主義の画家をどっと紹介。

装飾的なロココ主義に反発し、ギリシャ芸術を模範とするような理性・客観性・秩序を重視したのが新古典主義。

ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David

1748-1825🇫🇷

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パリの商人の元に生まれ、裕福な叔父に育てられる。

美術を勉強するため、ブーシェ(ロココの代表的画家)のものに送られそうになるが、ブーシェが高齢だったため、断られる。

ナポレオンの首席画家になる。

ナポレオンの失脚後はベルギーに亡命してそこで亡くなる。

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『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』(1801)

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『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』(1807)

この新古典主義の反応としてロマン主義という、幻想・直感・主観性・感情を重視した運動がおこる。

フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes

1746−1828🇪🇸

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金細工師の息子として生まれ、若い頃は闘牛士やギター弾きだったなど色々な噂がある。

1789年スペイン王カルロス4世から、宮廷画家に任命される。

1792年に病気で耳が聞こえなくなる。

同じ美女の裸体と着衣の姿を捉えた『裸のマハ』『着衣のマハ』は有名。

ナポレオンによるスペイン侵略を題材にした『マドリード、1808年5月3日』(1814)も代表作。

スペインの政治状況が悪化したことで、ゴヤは田舎の屋敷「キンタ・デル・ソルド(聾者の家)」に住む。この家の壁に、連作「黒い絵」を描いた。

晩年は、フランスに亡命し、ボルドーで亡くなる。

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『着衣のマハ』(1797)

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『マドリード、1808年5月3日』 (1814)

ウィリアム・ターナー Joseph Mallord William Turner

1775−1851🇬🇧

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ロマン主義画家で劇的な風景画を描いた。

14歳で名門美術学校に入り、その後国内外を旅行し絵画を研究する。

描いた絵に自作の詩を書き込むことも多かった。

1840年に描いた『奴隷船』は、海に落ちて行方不明になった奴隷は損害賠償されるため、船の上の病気や瀕死状態の奴隷を、船長が海に放り出したという実際に起きた事件をもとにしている。

優れた現代芸術家を表彰するためのターナー賞が1984年に設立。

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『トラファルガーの戦い』(1822)

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『奴隷船』(1840)

ウジェーヌ・ドラクロワ Eugène Delacroix

1798-1863🇫🇷

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ウィーン会議でフランス代表を務めたタレーラン=ペリゴールの隠し子という噂がある。

リュクサンブール宮殿やパリ市庁舎などの装飾を手掛ける。

パリのサン=シュルピス教会のフレスコ画を描くために、近くにアトリエを設け、今ではドラクロワ美術館になっている。

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『サルダナパールの死』(1827)

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『民衆を導く自由の女神』(1830)

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