音楽史⑤:それ以降

ちょっとクラシック作曲家の有名なことくらい知っておこうと思ってゆるーくお勉強中。作曲家の人生とか逸話って面白い。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky

1840−1893🇷🇺

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『白鳥の湖』(1876)                       『くるみ割り人形』(1892)

鉱山技師の次男として生まれたため、音楽の才能があったが音楽院には入れず、法務省に勤務した。

知人の紹介でサンクトペテルブルク音楽院に入ることができ、仕事を辞める。

後半生になって、ようやく評価されはじめる。

同性愛を隠すために、熱烈なファンの一人と結婚する。

死因については、生水を飲んだことによるコレラ説と、同性愛発覚を恐れた自殺説がある。

アントニン・ドヴォルザーク Antonín Leopold Dvořák

1841−1904🇨🇿

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『交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 新世界より 第2楽章・第4楽章』(1893)  『スラヴ舞曲』

新世界よりは、彼が解釈するアメリカの姿を曲で表現した。

交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 新世界より 第4楽章はよく聞いたことあるBGMで、第2楽章は帰りの音楽。

1891年にプラハ音楽院の作曲科教授になるが、1年後ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長になる。

グスタフ・マーラー Gustav Mahler

1860-1911🇦🇹

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ボヘミアのすさんだ家庭に生まれ、15歳でウィーン音楽院に入る。

作曲家というよりは、指揮者という立場でスターになった。

作曲家はベートーヴェンのように9つの交響曲を作曲するという迷信を信じ、実際に死んでしまった。

死後、作曲家としての人気を取り戻す。

クロード・ドビュッシー Claude Debussy

1862-1918🇫🇷

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『アラベスク 』『喜びの島』『亜麻色の髪の乙女』『月の光』

パリの郊外で生まれ、10歳でパリ音楽院に入る。

パリのモンマルトル地区ではボヘミアン的な生活を送る。

気難しい性格で、非社交的。女性問題も絶えなかった。

本人は認めていないが、印象主義と見なされることが多い。

モーリス・ラヴェル Joseph-Maurice Ravel

1875-1937🇫🇷

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『ボレロ』『水の戯れ』

スペイン近くのバスク地方で生まれる。母はバスク人、父はスイス人の実業家。

弦楽四重奏曲がラベルから盗作と非難され、疎遠になる。

第一次世界大戦中はパイロットを志願するが、虚弱体質だったため、トラック輸送兵として登録される。

記憶障害や言語障害に悩み、最後は手術が原因で亡くなる。

一生独身だった。

アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg

1874-1951🇦🇹

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『浄められた夜』『月に憑かれたピエロ』

靴屋を営んでいたハンガリー人の父と、プラハ出身の母を持ちウィーンで生まれる。

それまで一般的だった調性音楽から抜け出し、無調性音楽を広めようとした。

このあとはイーゴリ・ストラヴィンスキーとかアーロン・コープランドとか、いろんな作曲家がいるみたいだけど、だんだんよくわからなくなってくるので(現代美術と同じ)笑ここら辺で終わり!

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