娘と中国一人っ子政策の関係
先日の記事「息子と中国の教育改革」で、
「息子は時の運と周囲の環境に恵まれた
なんともラッキーな子だ」
と書いたが、娘もそれに負けず劣らず、
時の運と周囲の環境に恵まれたラッキーな子だ。
娘はとにかく、明るく楽観的に生まれついていて、
兄がどれだけ機嫌を崩して騒ごうと切れようと
どこ吹く風でいつもニコニコと機嫌よく、
素直にすくすく育ってくれた。
当時まだ一人っ子政策を実施していた中国・北京で
わが家のふたり目として誕生した娘。
北京の戸籍に入れるためには、
数十万元(数百万円)の罰金を払う必要があった。
わが家にとって数十万元は大金だったし、
すでに北京戸籍がある息子がいたので、
娘はとりあえず日本国籍でいいか、
中国もいずれ一人っ子政策をやめる時が来るだろうから、
その時を待とうと考え、娘の北京戸籍は登録しなかった。
娘に北京戸籍がないと、
息子と同じ中国の現地幼稚園や小学校に
通えない可能性はあったが、
息子の通う幼稚園、小学校と
後を追いかけて関係のコネクションをたどっていけば、
娘もなんとか兄と同じ教育を
受けられるのではないかと考えた。
まだ子供がいないときは、頭の中で
息子が生まれたら中国人として
中国の熾烈な競争を勝ち抜いていけるよう頑張らせ、
娘が生まれたら日本人として
日本人学校に通わせて日本人らしく育てる
といったようなことを想像していたことがあったが、
現実問題、息子と娘が違う学校に行ったら、
送り迎えだけ考えても大変で
(中国では幼稚園、小学校は基本的に要送迎)、
そこまでして子供2人を別々の学校に通わせることは
わが家の状況には全く合っていないことに
のちのち気づいた。
中国人の夫には跡継ぎである息子の中国国籍を放棄する考えは全くなく、
中国国籍の放棄が必要な日本人学校やインターナショナルスクールに
息子を通わせることはあり得ない選択。
中国国籍を放棄して、外国人として中国の大学を受験するほうが
有利かもよ?とちらっと言ってみたが、夫の心は動かなかった。
そして、息子を中国現地校に通わせるなら、
娘にも同じ学校に行ってもらわないとややこしいという事情もあったが、
娘に北京戸籍がなくても、兄が先に通っている幼稚園や学校なら
何とかなるだろうと考えた。
そして娘が幼稚園に上がる年齢になった。
幼稚園の入園責任者に聞いてみると、
5,000元(約75,000円)の賛助費を払えば
北京戸籍がなくても受け入れてあげると言われ、
兄と同じ北京の公立幼稚園に無事入園。
こうして娘の幼稚園入園問題は無事クリアできたが、
次の難関は小学校。
小学校は、北京戸籍がある子供は、
コンピューターに戸籍情報などを入れて
学区を振り分けられる形。
北京戸籍がない地方戸籍の子供や外国人も
北京の公立小学校に入ることが可能ではあるが、
手続き方法(コンピューターに入力する前に
まず窓口に出向いて親の納税証明など大量の書類提出)や
学区の振り分け方法が異なり、かなりややこしい。
どうなるのだろうと不安に思っていたら、
2015年秋、娘が4歳の時に、突然一人っ子政策が終焉を迎えた。
ただ、すでに生まれて数年も経っている子供が
本当に罰金もおとがめもなく
北京戸籍を登録できるのかどうか確信が持てず、
半年ぐらい様子を見ていたのだが、
そのうち夫の友人などから、
生まれて数年経つふたり目の戸籍登録を無事済ませた、
罰金もおとがめもなし、というような話を聞くようになり、
わたしたち夫婦も、おそるおそる派出所戸籍課に出向き、
娘の北京戸籍を取得した次第。
こうして、思っていたより早く一人っ子政策に終止符が打たれ、
娘は小学校入学1年前に北京戸籍を取得したことで、
何の苦労もなく、兄と同じ家の近くの小学校に入学できた。
息子の時も、小学校入学1年前に学校改革、
中学入学前にタイミングよく双減政策が出てびっくりしたが、
娘のほうも、まるで小学校入学に合わせたかのように
一人っ子政策が終わりを告げ、
スムーズに兄と同じ小学校に入れたのは
誰かが仕組んだのかと思うほど。
まぁ、これをラッキーと捉えるかどうかは家庭によるのだろうが、
もともと子供たちを中国現地校に通わせる方向で考えていた
わが家にとってはラッキーだった。
まるで神様に導かれるかのように、
節目節目に教育改革や政策発表があり、
子供たちが中国現地校に通うための障害が
次々と消失していったのは
今考えても不思議である。
この流れでどこまでいけるかはわからないが、
いろいろありながらも、
北京で生まれ、日本人の母を持つ子供たちが
いじめられたりひねくれたりせず、
無事に中1、小5まで育ってくれたことは
本当にありがたいことだなと思う。
↓次の記事はコチラ
↓前の記事はコチラ