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開幕式の感想~中国が引き算の美学でいくと結構いいセンスかも?~

昨日は北京冬季オリンピックの開幕式を
家族でテレビで見ました。

わたしの最初の盛り上がりは、
若草がタンポポの花になり、綿毛となって
空高く上がっていったその瞬間、

「立春 SPRING」

という花火が打ち上げられたところ。
思わずテレビ画面に向かって大拍手し、
ふたりの子供に

「ママ、ひとりで盛り上がりすぎ!」

とたしなめられました。

スケーターが波に乗って進む画面にも魅きつけられましたが、
わたし個人のドッキリは、
中国国歌が流れだしたとたん、
下の娘がにわかに立ち上がり、
いつも学校に行くときに身に着けている
赤いスカーフを襟元に結び、
敬礼して中国国歌を聞いていたこと。
それに対して、上の息子はスカーフも巻かず、敬礼もせず。

息子も中国現地校に通っており、
毎週学校で国旗掲揚があるはずなので、
少しは敬礼したい気持ちはあるんじゃないかと思いますが、
なにぶん性格がひねくれているので、
そう簡単に中国の教育方針に染まってなるものか、
と抵抗しているフシがあります(笑)

もう一つ、中国文化への染まり具合は、
日本語の習熟度合いとも関係があるんじゃないかと
わたしはひそかに思っています。

息子は、わたしにとってはじめての子供だったので、
中国で右も左も分からないなか、
とにかく必死で日本語環境を作り、
毎日日本語の絵本の読み聞かせをしました。

それに対して下の娘は、
手のかからない子だったこともあって、
ほとんどほったらかし。
思い返せば、娘が生まれてからも、
ずっと息子の日本語力と興味に合わせて
絵本の読み聞かせをしていた気がしますし、
息子が小3まで読み聞かせをしたのに対し、
娘は小1になるかならないかで
兄の中国語の伸びが心配になり、
日本語の本の読み聞かせをやめてしまいました。
(すべて息子優先で、娘には悪かったな、と思っています。。。)

それもあって、
息子のほうは割となめらかな日本語を話し、
また日本語の文庫本を読んだりもしますが、
娘のほうの日本語はやや不自然さもあります。
娘にとって、日本語は自分を自由に表現できる言葉に
なっていないのかな、
そのぶん、中国語や中国文化に
より染まっているんじゃないかとも感じられます。
まぁ手をかけてやらなかったら
子供は自分の置かれた環境に染まるのは当然ですよね。

息子は、妹の日本語がおかしいと指摘したり、
敬礼して中国国歌を聞いたり、
中国を悪く言うニュースを聞くと怒る妹を
からかったりしますが、
その素直なところが娘のよいところでもあるので、
息子にはあまり妹をからかわないでやってほしいな、
と思っています。

開幕式の話からだいぶんずれてしまいました。
わたしは夕食に紹興酒を飲んだのもあって
途中でちょっと寝てしまいましたが、
聖火リレーの最後に、
雪の結晶の真ん中にトーチが差し込まれ、
そのまま結晶が空に浮かぶシーンはとても素敵でした。

小さな聖火を、全ての参加国の雪の結晶プレートが
守るように取り囲み、
それが集まってひとつの大きな雪の結晶となっていたのも
斬新なアイデアだと感心しました。

そして、五輪エンブレムをかたどった花火のフィナーレ。
その華やかさと精巧さに感動!

もっと中華色が強い過剰な演出の開幕式になるのかと思いきや、
結構すっきりした中にも華がある演出でしたね。
中国人がゴテゴテした足し算的思考とちょっと距離を置き、
引き算の美学でいくと、結構いいセンスじゃないのかな。

コロナ下の開催ということで、
「簡素、安全、精彩」を目指したらしいですが、
もともと過剰気味だから、ちょっと引き気味で
ちょうどよくなる感じ。
わたしたちの人生もおんなじかも!

いつも中国の「これでもか」と言わんばかりの派手さに
思わず引いてしまうことが多かったのですが、
今回の開幕式はいい感じに控えめで
わたしは消化不良を起こすことなく
楽しめました。


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