第12回牡丹餅句会

牡丹餅句会主催者・選者、雪上牡丹餅の第一句集『川柳句集 降ってきたリンゴ』

第二句集『川柳・ジュニーク句集 摘んできたいちご』

絶賛発売中です(自称)。ぜひ読み比べてください!

第12回牡丹餅句会には6組のご投句がありました。
葉火句会と違うタッグばっかで読んでいて楽しかったです。
いいね、リポスト(違和感…)して頂いた方含め、皆さんありがとうございました。
以下、入選句発表と選評、軸吟、選外評、総評です。
今回はいちご摘みの特別回。お名前は左から奇数句目担当者、偶数句目担当者です。


入選句

藤井皐・湊圭伍

放水の裏でメロン食べてるヨ

メロンパンナのナに私淑する

おかしい木曜なのにナが棄ててある

木曜島まで猫舌のふねに乗り

おふねうかべたすたろーんいやらしい

しるべすたすぎて雷門ふたつ

ふたつ目のうなじめくると女の子

目の横に目を描くすべてややこしい

りゅでいいよね横にした核の音

知った音楽だったし雨が光っていた

芸人のですよ。みたいな軽い口調でこのいちご摘みは始まる。「メロン」を、として575にすることもできただろうが、この方が軽さはあるかもしれない。「放水」とはなんのための「放水」だろうか。涼しくするための打ち水なら別に軽いノリで「メロン」を「食べて」いても問題ないだろう。ただ消火のためならどうだろうか。目の前に燃えている建造物があるときに、どちらかと言えば贅沢品の「メロン」を軽いノリで「食べ」ているのは非常識ではないか。そう考えると、迷惑系Youtuberの動画のタイトルのようにも見える。
贅沢品としての「メロン」は「メロンパンナ」の「メロン」として身近な存在になる。こういっちゃなんだが、ただの「パン」である「メロンパン」は「ナ」をつけることで大人気のキャラクターになる。そう考えると、「ナに私淑する」という表現も納得がいく。しかも、1句目の軽いノリから「私淑」というかたい言葉にすることでギャップが生まれている。七七句で短く表現することで「ナに私淑する」というこの句のメインの部分が目立つ。
しかし、それだけの影響力をもつ「ナ」も捨てられるのが前提の存在となる。「木曜なのに」とわざわざ書くということは本来なら他の曜日に捨てるべきものだということだ。捨てるのは前提になっている。「私淑」していたものもいずれはただのゴミになってしまうこともあるということか。ただ、なぜ「木曜」なのだろう?「木」の左側と「ナ」が似ているからだろうか?捨てた人も、似ているしたぶん「木曜」に出すんだろう、と判断したのかもしれない。
それはとりあえずおいといて「木曜」は「島」の名前になる。「木曜島」とはどんな「島」だろうか。毎日が「木曜」の「島」だろうか?そうだとすれば時空が歪んでいる。永遠に金曜になることのない「島」。花金、プレミアムフライデー、週末を経験せず、永遠に平日が続く「島」。そんな疲れそうな「島」に主人公は向かっている。「猫舌のふねに乗り」。「猫舌のふね」とは「猫舌」の船長の「ふね」だろうか。「ふね」自体が「猫舌」ということは考えにくい。…そんなこと言い出したら毎日が「木曜」の「島」なんてあるはずないが。「猫舌」だと知っているということは船長と一緒に茶でも飲んだり、食事したりしたのだろうか。「ふね」が出るところはのんびりした土地らしい。そこからずっと働き続ける「島」に行く。
半分くらいが漢字だった4句目からひらがなばっかりの5句目へ。ここで目が止まる。「おふねうかべた」で切るのか、「おふねうかべたすたろーん」で切るのか。また、「いやらしい」は厭らしいなのか、嫌らしいなのか。一読では意味が分からない。意味を考えさせるこの句自体がいちご摘みの休符のような役割をもっているのか。
「しるべすたすぎて」。ついに新語誕生。まぁ、「しるべすた」でも通じるんだからそのくらいあってもおかしくない。本来なら1つしかない「雷門」が「ふたつ」あるというのは『1Q84』の世界みたいだ。いや、そうではないかもしれない。「しるべすたすぎて」とは、筋トレしすぎて酸欠になっているということかも。それなら「雷門」が二重に見えることもあるかも。
「ふたつ目のうなじ」を「めくると女の子」というのは帝王切開のようなことだろうか。釈迦が脇の下から生まれるなら「ふたつ目のうなじ」から生まれる子がいても良いだろう。なんか『HUNTER×HUNTER』でキメラアントの女王から最後に生まれた子みたいだ。そういや後に「女の子」に育ったなぁ。
「目」は眼球の意味へと変わる。人間を「描く」なら「目の横に目を描く」のはある種当然のこと。もちろん事故や病気で眼球が無い方もいるだろうが。それをこの句は「すべてややこしい」という。動物によっては、例えばウマのように、眼球が体の両側についており、視野が広く天敵の存在を察知しやすくなっている。「目の横に目」がある動物も対象物との距離が分かるようになっている。高等教育機関で長期間学ばなければわからないような「ややこしい」機序によって「すべて」は成り立っている。もっと言えば現代科学では解明されていないこともある。
「横」は位置を指す言葉から「横に」するという動的な言葉へと変わる。「核」とは何か?「核」兵器だと、私の感覚だが、「りゅ」というやわらかい「音」に合わない。ここまで「うなじ」「目」と身体の部位を示す言葉が使われてきたことを考えると、ここの「核」とは細胞内の「核」ではないか?細胞内の「核」であれば「りゅ」というやわらかい「音」にも合う。
当然のことだが「雨が光」る訳ない。「雨」の中「音楽」が流れ、ネオンが「光」る街の中を主人公が歩いていると読んだ。なんだか小説の冒頭みたいな句だ。冒頭の雰囲気で終わる。まだまだイケるぞと言わんばかりだ。
1句目に戻ってみると、「放水」は放尿とも読める。「メロン」は大きい胸の比喩表現にも使われる果物だ。「食べ」る、というのは肉体関係をもつことだろう。身体を表す言葉が多いことを考えると「ナ」は勃起したペニスにコンドームを着ける瞬間のようにも見える。それなら大事であり、かつ「棄ててあ」っても何の不思議もない。「舌」はフェラチオを連想させるし、そうすれば「いやらしい」の意味も分かってくる。振り返ってみれば、このいちご摘みは、身体のことをずっと詠んでいたのではないか。最後の句も、「雨」に濡れているかは分からないが、少なくとも耳と目は使っている。しかも最後に冒頭の雰囲気で終わるというのは2回戦イケるぞ、という気概にも読める。

軸吟

雪上牡丹餅

キレた場合も定価0円

定款混ぜる剛腕さ

Hey,日本語で良い?

高くない場所だ本郷三丁目

茨城が大革命を起こす4

誤報ではないうち飢餓の国

6色の虹に染まった知己の旗

ジニ係数を斜めからみる

辛味レベルは蜂が刺すほど

ベルリンの壁は急には壊れない

選外評

抹茶金魚・風の日の扉

読みかけの白菜の栞から花芽

菜々緒の大胆なドレスから値札

大胆れごめんらさいれー時? しぬね

レゴブロック持つてきちやつたごめんなさい

ひまわりへ拾ったレゴを戻しそう

ひまわりの種が毎日続きそう

種明かしされて蟻さえスマイリー

種なしの診断下さるる夜長

断れば小鳥は霧へ差しだされ

鳥人間設計図描く虫の夜

「白菜」を「栞」にするところからこのいちご摘みは始まる。
「白菜」を挟む本とはどんな本だろう?料理本だろうか?調理中にその辺にあったものを挟んだのだろうか?「白菜」を本に挟むのはあまり衛生的とは言えない。「花芽」まで出てしまってるし、だいぶ放置していたのだろうか?
「白菜」という日常生活に浸透した存在からセクシーでメディアの向こう側の存在である「菜々緒」へとバトンタッチ。だがこの句での「菜々緒」はいつも通りの「大胆なドレスから値札」が出てしまっている。これではせっかくのセクシーさが台無し、興ざめだ。「白菜」を「栞」にしたり、それを「花芽」が出るまで放置したりするズボラさがこの句に引き継がれている。
3句目の主人公は誰だろう?前の句の「菜々緒」だろうか?値札が出てたことがよっぽどショックだったのか。深酒してしまったのだろう。呂律が回っていないのに一拍おいて「しぬね」だけははっきりと発言している。その分怖い。
呂律が回らない、言葉として破壊されているところから「レゴ」という創造力、想像力につながるものが導き出される。「しぬね」も破壊的だな。ギャップ。ただ、「レゴブロック」を「もつてき」てはいけない場であったようだ。結局、創造力、想像力にはつながっていない。ギャップが弱まってしまったか。それとも、ギャップを狙わず敢えて「レゴ」が創造力、想像力につながらない場をもってきたのか?
後者で理解すると次の句が読みやすい。「拾ったレゴ」はどのくらいの量だったのか?1個なら、何かに見立てることはできるかもしれないが、そもそも何も作れない。創造力、想像力につながらない。「拾った」ということは誰かが創造を放棄したということだ。やはり、前の句を含めて創造の放棄として読んだ方が良さそうだ。「ひまわり」といえばゴッホ。創造物である芸術を連想させる。そして、「戻しそう」は吐きそう、というようにも読める。芸術的価値の毀損。創造物の破壊とも言える。
芸術としての「ひまわり」は日常生活における「ひまわり」へとバトンタッチ。そのまま読めばハムスターが飽き飽きしている句。…でも本当に主人公はハムスターなのか?、と疑いたくなる自分がいる。ここまで創造の破壊でつながってきた。毎日の食事だって彩りが求められる。凝るならキャラ弁みたいなものだってある。食事にだって創造が求められる訳だ。「続きそう」というのは創造が破壊されている現状を憂えているのか。
食事だった「種」は「種明かし」の「種」へと姿を変える。「蟻」を労働者だと読むと資本主義を「種明かし」した『資本論』を連想する。格差拡大が意識されている最近、一般人の間でもマルクスが再注目されている。現状を打破する経済思想として好意的に受け止められているのだろう。
資本主義の「種明かし」をした「種」は生命のもととなる「種」へと変わる。「夜長」にそんな「診断」をする病院があるのだろうか。もしかしたら、精液をとってどこかのセンターに送り、検査結果を送ってもらうサービスを利用したのかもしれない。「夜長」ということはこれから子づくりに励む予定だったかもしれない。そうだとすればショックな「診断」だ。子づくりも創造と考えれば、ここでも創造が破壊されている。
子どもができない体でも良いか。この問いにパートナーの(おそらく)女性が「断れば」、生殖能力のない男性を指すのだろうか、「小鳥」はどこに敵がいるか分からない「霧」の中「へ差し出され」る。創造ができない者の末路。
ところが、このいちご摘みは最後を創造で終える。「鳥人間設計図」。創造力、想像力を競う場だ。これを「虫の夜」に「描」いている。空を飛ぶ能力を有する「虫」の鳴き声が聞こえる「夜」に飛ぶ物を「設計」するのは良いのかもしれない。
1句目に戻って読み直してみると「栞」だって綺麗なものはいくらでもあるだろうに「白菜」を挟んだり、2句目では「大胆なドレス」を纏った「菜々緒」の美しさを毀損する場をもってきたりしている。創造の破壊を憂い、創造へ向かうことが10句を通じてのテーマではないかと感じた。

徳道かづみ・西沢葉火

祝祭は終わり天使は融解す

ラッパから天使の涎

河童多産進軍ラッパ響く闇

岸壁でペリカンを産む

傀儡子が壁いちめんに描くニンフ

虹を描く妊婦の眉毛

眉を剃る女天狗の謀りごと

南無阿弥陀仏やや謀反

銃創を見せず仏は三度笑む

喜劇役者が創る鶴

このいちご摘みは「終わり」から始まる。「祝祭」とはなんだろう?葉火句会?文フリ?「天使は融解す」とは、前者ならタッグの解消、後者ならイベント用のよそ行きの顔をやめることだろうか。
「天使」と「ラッパ」といえば、黙示録のラッパ吹き。災害の前触れ。「天使」はキレイなものとして描写されることが多いと思うが、この句は「天使の涎」に注目している。息を吹き込む楽器は「涎」がたまりやすい。「天使の涎」なら良いのだろうか?
災害の前触れの「ラッパ」は「進軍ラッパ」へ変わる。どちらも良いことは起こりそうにない「ラッパ」の音。「河童多産」とは何か?「河童」のお「産」といえば芥川龍之介の『河童』。ただ「多産」。「河童」が「多産」だったら見つかっていてもおかしくないと思うが。「闇」の中を動いているから人間には気づかれないのだろうか?
「河童」の次は「ペリカン」を「産む」。調べたが実際に「岸壁で」産卵する「ペリカン」は見当たらない。そもそもこの句の主語は誰なのか、何なのか?「ペリカン」ではないかもしれない。「岸壁」に研究所があって人工的に「ペリカンを産」んでいるのかも。…何のためにそんなことを?せめてラットで研究すれば良いのに。「ペリカン」で研究したって良いじゃないか、研究は、学問は自由だ、ということか。「岸壁」(がんぺき)と「ペリカン」はどことなく音が似ている。
「岸壁」はただの「壁」となる。どんな「壁」だろうか?部屋の「壁」?ベルリンの「壁」?心の「壁」?この句では普段なら人形を主人公とする「傀儡子」が主人公となって「ニンフ」を「描」いている。しかも「壁いちめん」にだ。急に大胆。普段影の存在となっている分ストレスでもたまっているのだろうか?それにしても、なんで「ニンフ」なんて「描」いているのだろう?
「ニンフ」を「描」いた次は「虹を描く」。「傀儡子が」「ニンフ」を「描」いていたのは自然への思いからだったのか?この句での「描く」主体である「妊婦」は「ニンフ」と音が似ている。何かを生み出す存在という点では共通点も見られる。それにしても「妊婦の眉毛」に注目したのはなぜだろう?「眉毛」には表情が出る。怒っていたり、悲しんでいたりすると「眉毛」の角度が変わる。「虹を描く」中で感情の起伏があったのだろうか。「虹」色の旗はLGBTの尊厳と社会運動を象徴する旗。この「妊婦」は誰の子を妊娠しているのだろうか?もしかしたら自分の遺伝子を継ぐ子ではないかもしれない。
そして「眉」は「剃」られる。「妊婦」が抱く感情は読み取りづらくなる。「女天狗」は何を指しているのだろうか?調べてみると、「女天狗」は伝説上の生き物だけでなく格闘ゲーム『DEAD OR ALIVE』のキャラクターにもいるらしい。だが、私は「天狗」になった「女」性のことではないかと思う。上級国民となり「天狗」になった「女」性が、自らの地位を脅かされないため、権利を求め活動する「妊婦」の感情の表出の機会を奪おうとする。それが「謀りごと」だろう。例えば、自分は社会に出て高給取りなのに「女」性は社会進出するべきではなく、家にいるべきだ、と言う「女」性とか。自分は出産し、結果として幸せかもしれないが、それを他の「女」性にも押し付ける「女」性とか。
「謀りごと」は「謀反」へと変わる。「謀反」は時の為政者にそむくこと。…となると「やや謀反」という表現はおかしい気がしないでもない。そむいた時点で「謀反」であり、程度問題ではないからだ。とりあえずそれはおいといて、「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀さまに心から従います」や「阿弥陀さまにすべてお任せします」という意味らしい。わざわざ従います、お任せしますと言うということは、もともとはそういうつもりじゃなかったかもしれない。それが「やや謀反」なのか?それでも程度問題ではないだろう、という疑問は残る。
そして、「仏」がバトンとして引き継がれる。「銃創」とあるが、この「仏」はどこにいるのだろうか。日本であれば「仏」像はたくさんあるが、銃規制が厳しく、少なくとも現在の日本社会ではそう簡単に「銃創」はつかない。どこか「仏」教の信仰者がいて銃規制が厳しくない場所での話だろうか。それとも、日本の戦争を知っている「仏」なのだろうか。「仏」の顔も三度まで。使い切ってしまった。さぁ、これから「仏」は何をするのだろう?銃社会に、そして戦争から学ばない人間に鉄槌を下すのか?
「銃創」という傷、破壊された跡は、創造、「創る」ことへと変わる。ギャップ。この句をパッと見で読んだとき、頭に浮かんだのは志村けんだった。志村けんは「鶴」ではなく白鳥をつけていたが。「鶴」といえば千羽「鶴」や長寿のイメージ。残念ながら志村けんは新型コロナウィルス感染症で亡くなったが、戦争や災害が続く現在、志村けんが存命だったらどんな活動をしていたのだろうか?被害者、被災者にも「創」り込まれた笑いを届けようとしたのだろうか?
このいちご摘みは宗教や芸術などの文化とのつながりが強いものだった。形式面では575定型を基本とする奇数句目担当者とジュニークの偶数句目担当者。10句をパッと見たときに凸凹があるのも視覚的に刺激になるかもしれない。

南雲ゆゆ・まつりぺきん

とれたてのマクルーハンを待つネプリ

糸電話越し「待つわ」絶唱

絶唱の甲羅あいつはSKY-HI

日高屋にあるコーラ飲み干せ

プールにも黒く佇むはしご高

九体阿弥陀のバージョン違い

闇市に編みあげブーツのジンクス

戦後最大佐藤浩市

近道が名誉大佐のよせあつめ

全ての道は次回へ続く

「マクルーハン」に「とれたて」も何もあるのだろうか。「マクルーハン」は「マクルーハン」だろう。…なんかコジコジはコジコジだよみたいな感じになった。この「ネプリ」は「とれたてのマクルーハン」というフレーズを待っているということか。私たちが「ネプリ」を作るのではなく、「ネプリ」が作られるのを「待つ」という関係。私たちは「ネプリ」に操られているのかも。…私、雪上牡丹餅は「ネプリ」作ってないが笑
「待つ」は曲名になる。あの不気味な感じは「絶唱」したらどうなるのか。淡々と唄うよりも怖くなるのか?ただこの句の場合、『待つわ』とは異なり、「糸電話」でつながることはできている。少し距離が近い。
2句続いて「絶唱」。「甲羅」とはなんだろう?曲名だろうか?あだ名だろうか?一応、検索したら『甲羅』という曲があったが動画が削除されていてどんな曲か分からなかった。前の句の「絶唱」は唄い方についての意味、この句の「絶唱」は歌そのものについての意味なのかもしれない。どんな曲かは知らないが、少なくとも詠み手にとっては『甲羅』は素晴らしい曲だったのだろう。そして、プロデュースするなら「SKY-HI」向き。秋元康でも、小室哲哉でもつんく♂でもなく(五十音順)。アイドルでもダンスミュージックでもない。そりゃそうだろうな、タイトル『甲羅』だし。
「甲羅」は「コーラ」へ。…でもなぜ「日高屋」?なぜそんなもの「飲み干」す必要がある?気になる店員がいて覚えてもらいたいとか?あいつまた「コーラ」だよ、あぁ、「コーラ」の人が来た、って。でもそんな覚えられ方嫌だな。それとも、「コーラ飲み干」してもう注文に応えられないようにしたいのか。すいません、「コーラ」切らしてしまいまして、ってな感じ。でも「日高屋」ってそんなに「コーラ」飲みたくなる場所だろうか?私、雪上牡丹餅は炭酸が飲めないので「コーラ」を飲みたい気持ちが分からない。
「日高屋」から「はしご高」へ。「プールにも」の「にも」は何を意味しているのか?他にはどこに「はしご高」が「黒く佇む」のか。「にも」はファインディング・ニモとかかっているのか?それなら海だけじゃなく「プールにも」というのは分かる。しかし「黒く佇む」とはどういう状態なのか。「黒く」とはどういう意味なのか。「にも」ということはファインディング・ニモにも「黒く佇むはしご高」があったのだろう。日本語版のクレジットに「黒」い字で「はしご高」の人がいたのだろうか。でも「プール」にはそんな名前の表示はない…それともこの句は、本当は「プールにも」そういうたくさんの人の支えがあるということを訴えているのか。
「黒く佇む」の「くた」から「九体阿弥陀」。他人のことは言えないがなかなかの力技。「黒」いものから「阿弥陀」をもってくるとは。ギャップ。「バージョン違い」というと私は世代的にポケモンが出てくる、というか30代以下はそういう方が多いのでは?この句に戻って言うと、作者が違う、というのが「バージョン違い」だろうか?仏像も誰が作ったかで「バージョン違い」扱いされてしまうなら、仏像好きには良いかもしれないが、なんか本質からは逸れてしまう気がするが。
「阿弥陀」から「編みあげブーツ」。またもや力技。それが嫌いじゃない私。「闇市」が開かれるようなときに贅沢品の「編みあげブーツ」なんか仕入れるんだろうか。仕入れたやつがたぶんいたんだろうな。それで売れない。怒られる。それが「編みあげブーツのジンクス」か。本当の「闇市」の状況じゃなくてもそういうことする社会人はいそう。「編みあげブーツのジンクス」がいつかヤマアラシのジレンマみたいに使われる日が来ることがあるのだろうか。
「闇市」の「市」は「浩市」の「市」へ。「戦後最大」かぁ。「闇市」ともリンクする。確かに他にも「佐藤浩市」はいたかもしれないし今もいるかもしれない。でも「佐藤浩市」でなければならない理由はなんだろう?例えば、「編みあげブーツのジンクス」の「つの」を摘んで角替和枝ではダメなんだろうか?
「戦後最大佐藤浩市」の真ん中をとって「大佐」。来た、力技。「近道」とはどこへの「近道」だろうか?経済的成功?その「近道」だったら称号をもった人はたくさんいそうだ。まさに「よせあつめ」。「よせあつめ」という言葉からは私は否定的なニュアンスを感じる。称号をもった経済的成功者が自分たちのルールにしたがうやつだけを内輪で手助けする感じか。
「全ての道は次回へ続く」。アニメの次回予告みたいな感じか。…「次回」⁈まさかこれは牡丹餅句会継続への応援か⁈…都合のよい読み笑よし、何かあったらこの句を読んで頑張ろう!
前の句との関係で純粋にいちご摘みしていった感じ。形式面では575定型と七七句。七七句だと意外と長さがあると感じた。

下野みかも・西脇祥貴

史学科に通いもしない矢口真里

やはり矢口真里=やさしみ小便器

ジネディーヌ・小籠包に跪く

包括的ぶよぶよ 似合うあたしかな

ぶよぶよの帳簿、商人、掛け値無し

無性に💭が舐めたいですけど、なにか

舐めた口きく後輩にKISS💋

後輩のかつら剝きからはじめよう

剝き海老は諦めたような瞳で

羯諦この頃夢精主義だってよ

矢口真里スタートのいちご摘み。「史学科に通いもしない」とは、入学はしたけど「通」っていないのか、そもそも歴史に興味がなく入学していないのか。でも、歴「史」を学んでいる人はそれなりにいるかもしれないが、「史学科」に「通」っているまたはいた人はそんなに多くないだろう。就職に強くもなさそうだし。でもなんで「矢口真里」?保田圭じゃダメなの?…まぁ、保田圭だし笑
「矢口真里」連投。しかも「小便器」。そんな表現されたらエッチなことしか思いつかない。セクシービームじゃおさまらない。
「小便器」から「小籠包」へ。汁が溢れてくるのだろうか。残尿?…汚い。「ジネディーヌ」といえばジダン。もしもジダンが「小籠包」になったら、みたいなネタだろうか?誰に「跪」いているのだろう。…餃子?
「小籠包」から「包括的」へ。「包」む感覚は引き継がれる。「かな」は切れ字か質問か。…「包括的ぶよぶよ」ってなんだろう?ぷよぷよじゃなく「ぶよぶよ」。肥満体型なのだろうか。セルライトとかありそうな擬音。それが「似合うあたし」。肥満体型が「似合うあたし」。もともと人間って今で言う筋肉質な体型だと思うけどな。狩猟もしてたわけだし。カロリーだってそんなに取ってたわけじゃないだろうし。豊かな国家の現代人には「ぶよぶよ」が「似合う」のか。一人称はわたしではなく「あたし」。「あたし」ンちの登場人物も確かに丸い体型。みかんとダイエットの話はよく出てくる気がする。
まだまだ「ぶよぶよ」。「ぶよぶよの帳簿」ってなんだろう?ダイエットの記録だろうか。だったら「掛け値無し」なのは当然だろう。ちゃんと記録しないとダイエットの助けにならない。でも間に「商人」が入っている。裏紙でも良い「ぶよぶよの帳簿」すら商品にして儲けようとする「商人」。資本主義社会だな。
「商人」から「無性に」。全体としてはおぎやはぎのネタのつかみみたいな感じ。「💭」はなんと読むんだろう。読む人によって違って良いんだろうな。そのまま読むと綿菓子や雲。ペニスとかもありなのか?ピーが入るように「💭」が入っている。
実際に「舐めたい」という思いから「舐め」るという態度へ。「💋」、キスマークがついているということは口紅を塗っているのだろう。今は男性だって口紅を塗る時代。性的マイノリティーの男性ならもっと前から口紅を塗っていただろう。「KISS」の相手は嫌がってはいないか。セクハラになっているかもしれない。同意はなくても「KISS」されて喜んでいるかもしれないが。
「後輩」連投。「後輩のかつら剝き」ってなんだろう。着物の帯を良いではないか良いではないか、あ〜れ〜、と取ることだろうか。それ「からはじめよう」ということは本番までやるつもりなのだろう。「後輩」に抗う術はあるのか。1つ前の句と合わせて先輩「後輩」関係を考えさせられる。
「かつら剝き」の結果「剝き海老」に。剝かれたうえでまな板の上にあげられる。もう「諦めたような瞳」。やはり喜んでいた訳では無さそうだ。もはやただの性犯罪。
「諦め」るから「羯諦」へ。「羯諦」は行く人、行った人の意味らしい。「夢精主義」。絶対オナニーしないということだろうか。下着汚れるだろうに。淫夢が見たいのだろうか。
全体的に下ネタが多い。振り切っている。ここまでやるかって感じ。いちご摘みという言葉もなんかエロく思えてきた。

総評

海馬万句合の期間に葉火句会で海馬さんとタッグ組んだり、句会で海馬さん入選させたりごますりすぎだろ、とか言われないか心配ですが、ちゃんと選んだ結果です。ご了承くださいm(_ _)m
普段ご投句頂けていない方からもご投句があって嬉しかったです。
何句かまとめて選をして評書くのって大変だけど楽しいですね。入選句は全体として表現が面白く、細部にも工夫が読み取れるものを選びました。
たくさん評を書いたので読んで頂ければ幸いです。

お知らせ

次回は第13回牡丹餅句会です。
題詠1句。題「ジェイソン」投句締切9/23㈯23:59

次々回は第14回牡丹餅句会です。
題詠1句。題「ハンバーグ」投句締切9/30㈯23:59

牡丹餅句会の詳細

そして!なんと!第2回牡丹餅万句合開催です!
第1回大賞受賞者西脇祥貴さんが選者として参加してくださいます!11/30㈭23:59投句締切

10句以下の川柳連作・群作発表の場、川柳月報川柳ぼたもち2023/10もご投句募集中です。投句締切9/30㈯23:59

ご投句お待ちしています。

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