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「毛玉取り」は心の余裕のバロメータ

お恥ずかしい話、私は会社員時代まともに毛玉取り機を使ったことがなかった。

雑な性格だったことはもちろんだけど、毛玉があったとしてもジャケットで隠れるから気にしなかったし、目立ちすぎたら捨てればいいと思っていた。(環境負荷、、、)
そもそも、オシャレ着洗いが必要で、毛玉もできて静電気までついてくる面倒なニットはほとんど持っていなかった。

バリバリ営業マンだった頃。毎日忙しかったよね。顔も今と違ってる気がする。笑

だけど、思い返せば、私の母は洋服の清潔感や見た目には異常なほど厳しかった。

どんなに安物でシワができやすい服にでもアイロンをかけていたし、どんなに小さなハンカチにもアイロンをかけていた。スカートの裾の、めっちゃ短くて細い糸でも、ほつれている部分をすぐに見つけて切っていたし、少しでも乱れた服装だと「だらしない」「貧乏人みたいで恥ずかしい」と叫んでいた。(母は異常にプライドの高いマウンティング主婦だったので言葉がきついけど、本当にそう言っていた。)

私が大学生になって初めて一人暮らしをする時も、まずはアイロンとアイロン台と毛玉取り機を選んでいた。(結局そのアイロンはほぼ使われずに終わったけれど。だってノンアイロンシャツでいいんだもん、、、、)

母と日光に行った時の写真。このスカーフとかもこだわってた。

そんな完璧に主婦業をこなす母に育てられたのに大変申し訳ないけれど、本当に家事全般が苦手だったし、細かいことが面倒でしかたなかった。

だけど最近は頻繁に毛玉取りをするようになった。この冬は久しぶりにニットも買った。

愛用の毛玉取り機

昨晩、毛玉取り機に溜まった毛玉を捨てて「たくさん取れたな〜」とすごい達成感に包まれながら、「私は今、毛玉取りする余裕があるんだ」という事実にうれしくなった。

毛玉取りも、アイロンも、全部、やらなくたって死なない。
たしかに少々みすぼらしいけれど、別にやらなくてもいいことなのだ。
だけど、それをする。

そういうことって世の中に実は結構ある。
ごはんを作らなくたって買えばいいんだけど、一応作った方がいい気がするし、布団だって畳まなくたってまた寝るから問題ないけど、なんとなくベッドメイクングはした方がいい。
爪や髪の毛も少し伸びたところで日常生活に支障はないけれど、なるべく整える。

そういう「やらなくても死なないけど、やった方がなんとなく良さそうなこと」がこの世にはある。

そういうのができる人を、人は「余裕がある」と感じるのだと思う。

高価な服は着ていないけれど、なんだかいつも小綺麗な人。
目立たないけれど、なんとなく纏っている空気感が凛としている人。

そういう人たちはお金はかけなくても、心や行動に「余裕がある」のだ。

だから、少しでもそういう人たちに近づけるように、今の私は毛玉取りをするし、面倒な扱いのお洋服も買うようにしている。

当時の母も、裕福ではないけど、いや、ないからこそ、せめて身なりをきちんとしようと異常なまでにこだわっていたのだと思う。

そんなこんなで、毛玉取りは私にとって心の余裕のバロメータなのである。


3月がはじまった。もうすぐ大好きな春がやってくる。冬の間にお世話になったお洋服たちにお礼を言って、適度に断捨離を進めていこう。




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