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僕はこんなバカげた球団のファンになった (4)

おはようございます。ヴァーチャル・ワイドアウトの当雪片 (ATARI Yukihira) です。
「ヴァーチャル・ワイドアウト」とはヴァーチャル (virtual) なワイドアウト (wideout) のことです。ヴァーチャルですから、パスのターゲットにするとどれだけオープンになっていても必ずドロップします。
パスプロ (pass protection) にも参加しません。なお僕は DB (Defensive Back) よりも脚の速さは劣りますが、LB (LineBacker) よりもサイズは小さいです。


前回のあらすじ: のちに稀代の NFL 選手として活躍する QB アーロン・ロジャース (Aaron RODGERS) は、希望していたサンフランシスコ (San Francisco 49ers) に入団することがかなわず、ドラフト会場で晒し者になったすえにパッカーズ (Green Bay Packers) から指名されてしまう。暑く日差しまぶしいカリフォルニア (California) で育った男は、べしゃべしゃとした雪が降り続ける北の薄暗いド田舎、遅くとも午後 8 時には通りの店がぜんぶ閉まるグリーンベイ (Green Bay, Wisconsin) への引っ越しを余儀なくされたのであった……。


ちょっと待った、グリーンベイだって? グリーンベイにはすでに QB がいるが?


2005 年 のドラフトは、振り返ればパッカーズにとって大収穫だったのは異論のないところだろう。指名できる可能性など当日の朝になっても想像していなかったはずの球団がとっさにチャンスを拾えたのは見事というほかない。2 位のコリンズ (Nicholas COLLINS) も後にパッカーズの殿堂入りを果たす。これだけでもでかした指名だった。

ただし、直後にはいささか問題があった。
何にでも通じる話だが、ある役につくことを複数人が希望していて、かつその役の数が少ない場合は全員の希望がかなう可能性は低い。フットボールの場合、通常フィールドに一度に立つ QB はひとりだけだ(たまに変わり種もいるが)。となれば、試合に出るためにはチーム内での競争に勝つか、なんらかの理由で競争相手に消えてもらう必要がある。
しかし、もしその相手がかなり強大だったらどうしたものか?

じつは当時のグリーンベイはロジャースにとってまさにそういう状況で、ロースターの QB1 にはブレット・ファーヴ (Brett FAVRE; #4) が鎮座しており、これがまた「鉄人 (Iron-man)」と呼ばれるくらい出場を続けた元気な男なのである。1992 年から始まったその連続先発記録がなんと 297 試合。プレイオフも含めると 321 試合だ。2010 年シーズンを最後にフィールドを去ったが、40 歳になったこの前年でさえもレギュラーシーズンで 12 勝しており、もしケガがなければこの記録はさらに長く続いていたかもしれない。


ひとくちメモ: ブレット・ファーヴとは?

ファルコンズ (Atlanta Falcons) に指名されて NFL 入りした QB。のちにトレードで移籍してヴァイキングス(Minnesota Vikings) やジェッツ (New York Jets) を代表するまでになった選手だよ。キャリアの一時期をグリーンベイで過ごしたこともあるんだ。
強肩を活かして、ウォルシュ (William Ernest WALSH; 伝説の名コーチ。現在の NFL のコーチたちはだいたい彼の弟子や孫弟子らしい) などクソ喰らえといわんばかりの遠投で劇的なタッチダウンとバカみたいなインターセプション (interception) を量産したよ。MVP 3 回、オールプロ (All-Pro) 計 6 回など受賞多数。


2005 年の 10 月に 36 歳の誕生日を迎えたファーヴは、開幕から 4 連敗で始まったこのシーズンを計 4 勝で終わる。これは自身でも最低の戦績で、ヘッドコーチのマイク・シャーマン (Mike SHERMAN) のクビが飛ぶ事態を招いた。2006 年も試合には先発しつづけたが、開幕 5 戦を 1 勝 しかできずに早々とシーズンは終わった。
こうなるとコーチは頭痛のタネがまたひとつ増えることになる。「成績が悪化したベテラン」の文字列だけを見ればカットしたいと思うのは自然だが、実績は凄いしファンからの人気も高い。おまけに記録がついて回るようになっているから「ちょっとこの試合は若い子にゆずってくれ」とも言いにくい。そもそも、その若い子に替えたところで事態が改善する保証だってないのだ。最悪の場合はオフィスを追い出されたうえにファンからの罵倒と脅迫が飛んでくるだろう。スポーツで名声を得るチャンスというものは、たいていこういった禍々しい供物の上にそびえ立っている。

一方でファーヴもこのあたりで引退を考えていたといわれるが、実際はもっとずっと前から頭にあっただろう。そもそも NFL はすべての選手を平均すると 3 年くらいしかプレイできない。一般に、彼らより野生のキツネとかヌートリアのほうが寿命が長いのだ。
2007 年を翌日にひかえた最終週の試合、敵地ソルジャー・フィールド (Soldier Field; ロジャースの「別邸」) のファンからもスタンディング・オベーションが贈られた。それにエモーショナルな会見。花道は美しく飾り付けられたファーヴだったが、そういうものは無視して翌年も現役を続行。さすが一流の選手は周囲からの圧力にも強い。連続先発出場は続いた。

最初の 3 年間の意義

そんな状況だから、ロジャースの最初の 3 年間は計 7 試合に途中出場、タッチダウンとインターセプションがそれぞれ 1 ずつで、たったの 59 回しか投げていない。バックアップ QB はどこもこんなものかもしれないが、2015 年の第 10 週には 61 回も投げた記録をながめれば、この時期の彼が試合にほとんど関わらなかったのは明白だ。どちらかといえば、フォトボマーとしての活動のほうが知られていたかもしれない(こんなまとめサイトなんかもある)。

後年、「グリーンベイはロジャースをムダ遣いしている」といわれ続けるようになる。リーグでも指折りの QB を擁しているのに胡座をかいてチームをまともに編成しないから優勝できないのだ、という意味だが、この最初の 3 年間についてもムダだったかどうか――つまりもっと早く起用すればどうだったか――も、またいずれ議論になるだろう。しかし僕は少なくともこの時期は有意義だったと考えている。サイドラインから試合を見て学べることもあるだろう……みたいなのもないわけじゃないが、そういうあやふやな話ではなく、2008 年のこれの影響で NFL は規則を変え、QB はそれまでよりも(多少)安全な環境でプレイできるようになったのが大きいように思う。あれはすでに実績があったからチームも復帰を待てた。だが、もし同じことが新入りに起きたらどうだろうか?と考えるとき、そしてボールをなかなか投げない彼のプレイスタイルもあわせて想像するとき、たぶん待たせて正解だった……と僕は思うんだ。

もちろんファーヴのファンたちにとっても、13 勝を挙げる彼の復活を目にできた 2007 年シーズンは本当に素晴らしい経験だった。
NFL は人の出入りが激しすぎてときに忘れがちだが、別れにはいつだって痛みがともなう。痛みは、長くチームにいた人間が去るときよけいに激しく燃え盛る。キャリアでもほぼベストのパス成功率と少ないサック (sack) 数を記録したこの年は、彼が緑と金色のジャージーを着て投げる最後の一年になった。その大活躍も、みんなの哀しみをやわらげるためにきっと必要だったはずだ。

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