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僕はこんなバカげた球団のファンになった (5)

おあざす!(挨拶)


前回のあらすじ: ファーヴ (Brett FAVRE; #4) はグリーンベイ (Green Bay, Wisconsin) を去った。紆余曲折はあったが。


QB どうしよう問題 (2008)

2007 年のファーヴの大活躍に後ろ髪を引かれなかったはずはないが、パッカーズ (Green Bay Packers) の当時の GM であるトンプソン (Ted THOMPSON) はチームの未来を 3 年前のドラフト 1 巡で指名したロジャース (Aaron RODGERS; #12) に託すと決めた。

しかしこの少し前には、オークランド (Oakland Raiders) とのトレードの弾にしてしまいそうだったという笑えない話がある。もしこのトレードが実現していればレイダースは QB を得ることができ、あのラッセル (JaMarcus RUSSELL; #2) を指名せずにすみ、のみならずメガトロンを指名した可能性まであった。ロジャースとメガトロンのデュオだって? とんでもない玉突きだ。
その場合はレイダースの 4 回目の優勝はもっと早く起きたかもしれないし、グリーンベイとしてはマンダリッチ (Ante Josip "Tony" MANDARICH; #77) 以来の超ド級の失策になったかもしれない。

さいわいにもキューは白球をうまく捉えなかった。史実はオークランドではなくグリーンベイに微笑んだのだ。おそらく。
この選択については、自信を持って選んだのであるとする話もあるが、個人的には眉唾ものだ。もし自信があったのならば、グリーンベイは直前の 2008 年のドラフトでも QB を 2 巡目と 7 巡目で指名したうえ 9 月には 2 巡目のほうをウェイバーにかけてしまったという動きをどう説明するのだろうか? ファーヴの去就をふくめ、フラフラ悩んだすえの消極的な選択だった可能性のほうが明らかに高いだろう。


ひとくちメモ: メガトロンとは?

メガトロン (Megatron) は、ジョージア工科大学 (Georgia Tech) からデトロイト・ライオンズ (Detroit Lions) に 2007 年ドラフト全体 2 位で入団したカルヴィン・ジョンソン (Calvin JOHNSON Jr.) の愛称。デカい・速い・強い・捕るのが上手いとレシーバーに必要な要素を完璧にそなえた、NFL 史上でも群を抜いて凶悪な WR。背番号 81。無敵のスーパースターだったが、健康への影響とチームが勝たない状況にだんだんと熱が醒め、2015 年シーズンを最後に余力を残したまま引退した。同地区のファンとしては、もうディープゾーンをおびやかされなくてすむと胸をなでおろすやら、寂しいやら……。


テッドの心労をよそに、背番号 12 は 2008 年の開幕試合でついに先発を任されると、以降 2022 年シーズンまで出場した 244 試合(プレイオフを含む)ですべて先発した。まさにロジャース時代と呼ぶにふさわしい記録だが、こうなったおもな理由はふたつある。
ひとつは、単純にパフォーマンスが素晴らしかったからだ。2008 年こそ 6 勝 10 敗と負け越し、キャリアでもっとも多くのインターセプション (interception) を記録した年になったが、それでもパスに対する割合 2.40% はリーグで 10 位とひどく悪いわけではなかった。得点もリーグ 4 位と良く、4 点差以内で敗れた試合が 7 試合もある。運が良ければもっと勝っていただろう。実際にこの翌年から何年にもわたって勝ち越しと 2 ケタ勝利が続く。

次に彼の成績が負け越しを記録するのはじつに 10 年後になる。負け始めたチームが統制を失って瓦解した年だ。ラムズ (Los Angels Rams) との 2 点差を追いかける試合の最終盤、ズァーライン (Greg ZUERLEIN; #4) のキックオフを捕るためにフィールドに入ったモントゴメリー (Ty MONTGOMERY; #88) が「リターンするな」の指示を無視してエンドゾーンから飛び出し突撃すると、あっけにとられるサイドラインが見守るなか、自陣 20 ヤードまで戻したところでファンブル・ロストをかまして試合を終わらせ、ファンベースからオフィスまで全員ブチ切れでボルティモア (Baltimore Ravens) の翌々年の 7 巡目指名権との交換という形で実質タダで捨てた事件が象徴する、あの年だ。マカーシー(Mike McCARTHY) がヘッドコーチを追われた年でもある。クソッ、 忌々しい。いま思い出しても腹が立ってくる。庶子!

ポロッ!(試合終了)

何の話だっけ? ええと、そうだ。ロジャースが先発し続けた理由だ。
ふたつめは、オフェンスが完全に彼の手駒であったからだ。最初のうちはどうだったか知らないが、パッカーズのキャンプでのスナップは、9 割くらいを彼が取ってしまうのが恒例だとされている。この残りを何人かのバックアップ QB で分けるのだから、とっさに試合に出てラインやレシーバーと連携を取ろうなど、どだいムチャな話なのだ。
おまけに編成が強力なレシーバーを供給しなかったぶん、ロジャースは可能な範囲で環境を自分好みにととのえることに腐心し、また球団もそれに甘えた。結果として、12 番がなんらかの理由でフィールドからいなくなると旗色がおそろしく急激に悪くなるシステムができあがった。

彼がいればだいたい勝つ。いなければ負け。ロジャース時代、パッカーズはまるでトグルスイッチのように単純な構造に見えた。これが良かったのか悪かったのかについてはなんともいえない。結果的には優勝はあの 1 回きりになってしまったとはいえ、多くの試合でロジャースは出続けたからうまくいったようにも思える。そも編成の面から考えても、超一流のオフェンスにさらに何かを足すより、ディフェンスの穴を埋めるほうが上乗せが大きそうだとみるのも自然だろう。

Is Rodgers Everything?

ところで、フットボールにはこんなありがたい言葉がある。

"Winning isn't everything; it's the only thing."

Henry Russell "Red" SANDERS

「勝ち以外に価値はない」という意味で使われる有名な言葉だ(本当に言いたいことはちょっと違うらしいが)。
このチームの場合、ロジャースは勝つための前提条件だ。いきおい、脳震盪を起こそうが脚が肉離れを起こそうが、彼には試合に出続けてもらわなければならない。非情なようだが他に手はない。オフェンスという建造物の定礎の部分にアーロンが組み込まれている以上、プラン B とか C とかがそもそも存在していないのだ。これを彼にコミットしているとみるか、良いように金儲けに利用しているとみるかは人によって分かれるだろう。僕の見解としてはそれらが半々だ。本気でトロフィをかっさらおうと思えば打てる手は明らかにあったし、満員の客の上にあぐらをかこうと思えばいくらでも質を下げる手段はあった。ただ、パッカーズは極端にそのどちらかに寄ろうとはしなかったように思う。
そのような状態のなか、チームはレギュラーシーズンの多くを勝ち、とくに 12 月には勝ちまくり、年が明けるとなぜかコロッと負けて一年が終わるというサイクルを繰り返したのは知っての通りだ。

ちょっと長くなってきた。次回は印象的だったシーズンを少し振り返ろう。

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