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急にフィールドを去った男の最期はやはり唐突に

かつて NFL で大いに活躍した CB ヴォンテイ・デイヴィス (Vontae Ottis DAVIS) が死去したそうだ。彼の祖母の家で死んでいるのが見つかったという。

35 歳。プロフットボールをするのはさすがに無理でも、できることはまだたくさんあった(だろう)。誰もがいずれいなくなるのは動かしようのないことわりだが、ある程度の順序というものはある……われわれはこの順番が乱されるのを見るとき、またひとつ悩みを抱える。それがかつて観たことのある選手なら、なおのことだ。原因にフットボールがある可能性だってままある。ただし、これを書いている時点では死因については何もわかっていない。

ところで正直、とっさには誰だかわからなかった(自分の応援するチームでもこのようなことは珍しくない)が、"バファロー・ビルとして 1 試合だけ出場して引退" のところでピンときた。そうだそうだ、あのときの彼だ。

選手が引退するときというものは普通、シーズンが終わったとか、契約がないまま特定の日付が過ぎるとか、なんらかの大きな区切りがあるものだ。さまざまな理由でプレイできないことはあっても、連絡を待ってトレーニングを続けようと思えばできないわけではない以上、結局のところ「やめるぞ」と本人の気持ちが固まらなければ引退ではない
そして、そこに至るには必ず大きな力を必要とする。なにしろフットボールを愛し、人生の短からぬ時間を捧げ、ときにフットボールに愛された人間である。その得がたい立場を捨てる決断が簡単になろうはずもないのだ。

しかしデイヴィスの場合は特殊で、それは試合の真っ最中にやってきた。
大量点差をつけられた前半が終わる直前、彼は自分の居場所がここではないと感じてハーフタイムの途中でチームに自身の引退を告げた。コーチは「勘弁してくれ」と思っただろうが意向は翻らず、本当にそのまま引退してしまった。

当時、試合中にこの速報を聞いたときには「チャージャーズを相手に木っ端微塵にされたらフットボールが嫌になってもしかたあるまい(笑)」というような適当な感想で流した記憶があるが、いま読むとなんとも印象深い言葉が語られている。
素直に解釈するかぎりは急に気持ちが切れてしまった現象のように思えるが、彼はその瞬間について "個人的な体験であって、誰にもわかるようなものじゃない (That experience was personal and not meant for anyone else to understand.)" と述べている。理解されなくてもしょうがないと。

ただ、僕としてはこれに似た感覚を知っている。もちろん確かめようはないのだが、しかし読むかぎりはおそらく同じものだろうと感じる。

あの感覚について、感想を僕の口から出る言葉にすれば「あれれ……自分はこんなところで何をやっているんだろう?」だ。
記憶がなくなったとかそういうわけではなく、「こんなことをしている場合じゃないだろ」と強く感じるけれども、具体的に何をやったらいいのかはよくわからず、ただひたすらに焦燥感しょうそうかんに包まれる。非常にいやな感覚だ。おかしいよな、ついさっきまで僕は自信と使命感にあふれていたはずなのに……。

あれは急にやって来て、僕に猛烈な衝撃を与えた。駅の構内を歩いているときだったことも、脚が急に萎えて転げそうになったこともはっきり覚えている。正しくいえば、忘れられない。もしタイミングが少しズレて、平らな床でなく階段の上だったなら転落していただろう。以来……いや、まあ僕の話はいいか。
とにかく「それは選手を引退に至らせるほどの力があるようなものなのか?」と問われれば、僕の見解は「間違いなくそうだ」になる。

だから彼はいてもたってもいられず、試合を投げ出してフィールドを去った。そのあと理解者を得られたかどうかはわからない。
でもいま思うのは、できることなら「たぶん君だけじゃないよ(保証はないけど)」って伝えたかったね。


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