野口整体の面白さ

【自身の記憶をたどって~】

野口整体を知らない方に、野口整体の面白さを綴ってみようと思います。
まず、まだ20代、30代の頃に整体を勉強していた頃には、活元会(野口整体独自の不随意運動)に多く参加していた為、活元運動のダイナミックさ、繊細さ、運動が終わった後の、静かに息を吐いた時の、ホッ、と身体が緩む感じ・・・というものに、心癒されていました。
何回も通った国立の活元会では、整体指導者のM先生が、派手好きと自称されていた、5種をお持ちの先生であった。
その為、最初はクラシックなどの、座しての運動であったが、最後には「ランバダ」をかけての、立っての運動。公民館の広間に、押し合いへし合いの、まるでライブにでも参戦しているような、熱気であった。
顔も知らないような違う年代の方と、相互運動をしたり、その中で、先生が、呼吸法の事を教えてくださったり、戦時中のはなしをされていた。先生が亡き今も、あの空間は今でも忘れられない。

妊娠してからは、個人指導にも通っていた。お腹の長男を見て、丈夫な子だよ、と言ってくれた。産後に伺ったときに「おっぱいが足りてないから、牛乳を夜飲ませなさい」と言われた。
え~、牛乳?と思いながらも、野口先生の「育児の本」を読んでいたおかげで理解は出来たため、バター入り牛乳などは、よく寝かせる時に助けられた。生後13か月(男の子は生後15か月)の栄養が何よりも大切という事、動物性のものを積極的に取らせていくという、野口整体の子育ては、楽しんで経験できたし、何よりお母さんを追い詰めない。四人とも、よく寝てくれたしオムツの取れるのも早かった。
一回だけ壁のプラスチックの掛け時計が、息子の近くに落ちた時だけは、頭を打っているのではないかと、ひやひやしたけれど…(野口整体は、その時期の打撲も警戒する)

三人目の長女が生まれて、M先生は河口湖の指導室を閉めることとなった。
最後まで、長女に愉気をしていただき、私の4種的のんきさを心配してくださった。その後、3人の子育てに追われ、国立の指導室にも伺う事はなかった…

長女から6歳離れた四人目を妊娠した時、どうしても整体を受けさせたかった為、インターネットで検索して、巡り合ったのが、川崎市にある「悠遊塾」さんであった。岡島瑞徳先生の御弟子さんだった方である。
悠遊塾さんで整体を受けた時、両親の問題で悩んでいたのだが、不思議なことに、先生はある「ひとこと」をおっしゃった。それで、自身が立ち直るきっかけとなったのである。
下の娘が3歳になったため、私は悠遊塾さんでの整体の勉強会に通う事となたのだった。



娘が

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?