私の命の、半分があるところ
このnoteは、昨夜、2019年ぶりにMr.Childrenと再会した直後に書き留めた、記録のような、記憶のようなものです。
人に見せるために綴ったものではないから、伝わりようもないのだけど、届けるために書いた他のどんな文章よりも
裸のままの私の“ほんとう”だから、いつも私のnoteに触れてくださる皆さんの見える場所に、置いておきたいなと思って
SNSではシェアせずに、ひっそりと、公開することにしました。
少しだけ説明をすると、私は、Mr.Childrenを愛する両親のもとに生まれ
お腹の中にいる時から、車でも家でも病院でも、ずっと彼らの音楽に触れていました。
私が最初に聴く音楽がミスチルであることを望んだ母は、出産直後に『虹の彼方へ』を流し、それが私の鼓膜を初めて揺らした歌となりました(雨上がりの朝に生まれたからだそう)。
ライブには必ず参戦していたけれど、コロナ禍になってから直接会うことが叶わず、昨日が3年ぶりに解禁したツアーの初日。
彼らと会えない間に、私はハワイへ行き、優しい恋愛をして、コロナが現れ、夢半ばに帰国し、世界を恨み、失恋とともに猫を拾い、たくさんの人の優しさと愛に触れて少しずつ心は癒され、新しい働き方を確立し、新しい恋愛をして、バトンズの学校で恩師と仲間に出会い、渋谷区に引っ越し、日本にいながら生きていく道を肯定できるようになり、新しい未来への準備を始めていました。
***
大きく息を吸い込んで、からだのなかで言葉になる間もなく涙として窮屈なマスクのなかに水溜りを広げていった。
あぁ嫌だな、私の外に出てしまったら涙の姿をしたそれらがまた、何かに成ってしまう
ずっとこのまんまで
ずっとこの世界の中で暮らしていたいのに
Mr.Childrenはロックスターでもポップスターでもミュージシャンでも歌手でもバンドマンでもアーティストでもないし
人間の形をしているだけで人間ですらない
可視化された私の命だってこと
生まれる前からこの音を知っていた
1993年10月21日生まれた直後の、真新しいこの耳であなたたちの願いを受け取って、今日まで生きてきた
好きになった瞬間の記憶なんてないし、
好きになった理由もないよ、
初めて出会った時のことなんて覚えていられるわけもない
来月でデビュー30周年。
28歳の私は、Mr.Childrenを知らずに生きていた日が1日だって存在しない。
家族の声と同じくらい、桜井和寿の声を聴いて生きてきた。
私の命の、半分がここにある。
私よりも長く生きている私の人生
あなたたちの30年は、わたし自身の、30年間だ。
「会いたかったんだよ、届けたかったんだよ」と、涙で声を詰まらせるMr.Childrenに、
「どうか、死なないでいてね。この先も、生きていてね」と声にならない叫びで向き合った。
彼らが、音楽を引退するという日が来たら
それは事実的に、私の人生の「死」だろう。
これまでの私の人生が、そこで一度、終わりになるのだろう。
もしも何かがあって、先に私の命が終わるようなことがあったとしても
私の魂は、Mr.Childrenの音楽とともにあるよ、と思う。身体が消えても、もう、失われることはないのだと思う。
Mr.Childrenのライブは、他のアーティストのその空間とはまったくの別物で
音楽を奏でる人たちと、音楽を聴く人たちの構図では全くなくて
じゃあそれがなんなのかってことは、一生言葉にしたくないから、考えるスイッチを全部切り取って捨てて、ただただ、体の奥まで底まで空っぽになり尽くしてその瞬間に溶けていく。
彼らがいなきゃ生きていけないとか、
かけがえないとか、もうそんなもんじゃなくて
髪も肌も声も心もぜんぶ、私だけでは「充分」になれない人生をずっと、生きている。
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