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【ごめんなさい】幻宴2ができない理由について綴ります

もうすっかり2年が経ってしまいましたね。2019年12月15日から。
ついこないだのような気がするけれど、ついこないだのように思えてちょっと考えるとやっぱそうでもないわって思わされる繰り返しです。

つらいこともたくさんあったけれど、あの日あの公演が出来たことは本当に良かったと思う。一方でその大きな成功体験が、同時に自分にとっての「呪い」にもなっていると思います。特にこの2年間。なんかその「呪い」を自分で引っ張り続けるのもどうなんだって感じがするので、それを自分で断ち切れるか断ち切れまいかは分かりませんが、色々整理すべく、この機会にここで独白をしようと思います。

2017年9月23日土曜日・秋分の日、埼玉県川口市にある川口総合文化センター・リリアのメインホールにて、東方Projectの二次創作吹奏楽コンサート、『針の音楽団 ~ 吹奏楽で描く日本と幻想郷の世界』が開催されました。あくまで二次創作ではありますが、私にとっての初めての自作自演演奏会です。

そしてその約2年後、2019年12月15日日曜日、同じく川口総合文化センター・リリアのメインホールにて、『幻宴Project ~ 幻想郷を彩る神々と仏の世界』が開催されました。

そしてその更に2年後である今年2021年、第二の幻宴Project、ここでは便宜上「幻宴2」と呼びますが、それは当初の計画であれば開催されるはずでした。しかし幻宴2は開催されることなく、2021年が終わろうとしています。一応、今も開催したいという思いは2割ぐらい残ってはいますが、その期待が却って自分を苦しめているので、諦めたほうが精神衛生上良いだろうという判断に来ています。これからその理由を綴っていきます。弱音まとめnoteになっております。

まず『針の音楽団』・『幻宴Project』が起こるに至った経緯から今までの流れをざっくり時系列順に説明しておきましょう。

1.十年間の変遷

2010年ぐらい
 東方吹奏樂団と関わりができる。以降、いろいろ優しいお方々に大変お世話になりながら交流が深まる。

2011年3月
 大震災が起きる(当時は関西にいた)。また例大祭の開催が急遽取りやめとなった関係で『東方神霊廟 ~ Ten Desires.』の体験版がオンライン上で配布され、ダウンロードしてプレイした。でも同年8月に発売された製品版はすぐにはプレイしなかった。

2014年春
 上京する。

2015年5月30日
 東方吹奏樂団第4回定期演奏会にて『幻想郷音史 聖徳王伝説 ~ 道士の為政者、聡らるるタオ』が初演される。この曲の書き上げと共に「神霊廟」の設定・世界観にハマって狂う

2015年6月~11月
 この間にちょっと色々起こる。なんか「聖徳王もう一回やりたいね~」なんて声も出てた。

2015年11月29日(←色々あって明確に覚えてる)
 このときめちゃくちゃ色々、色々色々々々あって、とある集会でゆっきーの楽団で演奏会やろうぜっていう話がその場のなあなあで決定する。「針の音楽」とかいうサークル名等のネーミングもここでなあなあで決定する。いいんか?それで。ちなみにこの日から実際に2017年9月に「針の音楽団」が公演されるまで2年弱かかってる。

2015年12月末
 サークル「針の音楽」がなあなあで活動開始しちゃって初めてコミケにサークル参加する。初めて作ったCDがこれ。

2016年8月
 「『聖徳王伝説』を演奏しようオフ会」が開催される。同時にオフ会内で「針の音楽団」をやるっていう告知をする。

2016年9月
 抽選で翌年9月23日のリリアのホールが確保される。「針の音楽団」が始動。こっから一年間演奏会準備で忙しくなる。吹奏楽とオケ両方やりたいねって話が当初あったが、オケの方は頓挫する。(年内のどっかのタイミングで「青娥とサイゼに行きたい」と狂う)

2016年12月
 針の音楽団、合奏練習開始。これ以降月2回程度の頻度で合奏。
 冬コミでとある神霊廟二次創作の同人誌に出会う。これより少しずつ神霊廟の二次創作世界に狂い始めていく。

2017年9月23日
 『針の音楽団 ~ 吹奏楽で描く日本と幻想郷の世界』が開催。

 このときこれでしばらく燃え尽きた。もう演奏会企画はいっかってひとまず思う。でも成功体験も非常にデカかった反面これが後の自分にとっての第一の「呪い」にもなる。演奏会が終わって開放された後はさらに神霊廟沼にドブドブ沈んでいく。

2018年5月
 神霊廟沼に沈んでいったことにより『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』が完成、例大祭で頒布される。前年は演奏会の一年間でほっとんど作品制作が出来なかったので久しぶりにCDを作ることが出来た。思い出の作品。

2018年8月
 『飛鳥ノ遷都 ~ アスカノセント』が完成、夏コミで頒布される。『飛鳥之憶』の続編。この頃から「神霊廟創作おもろいわ『神霊廟』メインにしたでけえのやりてえわ」って思い始める。

 多分このあたりの時期で「新しい演奏会企画やらね?前より大規模に。神霊廟絡みで。」って話を言い始める。また新しいのがモソモソ水面下で動き出す。

2018年10月
 『音降る神霊廟 ~ あなたの東方イラストに曲を書かせてください合同』が完成、秋季例大祭で頒布される。主に神霊廟周りで二次創作する人、絵を描く人とのつながりが増える。(ちなみにこれのトラック10に収録された『神霊廟秋祭りっ!』が3年後の2021年11月にダンカグで実装される)

2018年11月
 ホールを確保すべく抽選に行くも抽選漏れ。ホール確保失敗。
 これはその時の抽選番号のクソくじ運、67番。

2018年12月
 抽選で翌年12月15日のリリアのホールが確保される。

新企画「幻宴Project」が始動。こっから一年間、再び演奏会準備で忙しくなる。

 「幻宴Project」は、その前身であった「針の音楽団」の経験を踏まえてより新しい表現に踏み込もうとした企画、及び団体名。
 前述の通り、当初やりたいと思っていたことは、『東方神霊廟』を題材にしたデカいプログラムのコンサートの開催であった。2021年~2022年あたりが『東方神霊廟』十周年だったり聖徳太子没後1400年だったりするので、その時期に合わせて『東方神霊廟』を題材にした大規模なコンサートを開催することを企てていた。しかし『東方神霊廟』十周年(2021年)の前には『東方星蓮船』十周年(2019年)があるので、『東方神霊廟』十周年を盛大に祝う前準備として、まず2019年に『東方星蓮船』十周年記念公演をしようという話になった。要するに当初の幻宴Projectの構想は、「星蓮船メイン」と「神霊廟メイン」とで少なくとも2回は演奏会を行う計画があり、3~4年先のことまでを見据えていた。先に星蓮船やってそのつぎ神霊廟やったら「ひじみこ」になるしね。ここでのホール確保はその第一回目(星蓮船十周年)の演奏会のためのものであった。余談だが、他にも関西公演するとかいう案もあった。

 このような3~4年に亘る壮大な計画をもとに、まず幻宴Projectが星蓮船十周年記念の演奏をすることを目的として、『命蓮寺縁起音詩』が完成、冬コミで頒布される。
 (ただしこのアレンジは吹奏楽でなくオケだった。前述の通り「針の音楽団」時点でオケやりたいねって話はあったが実現せず、その夢は幻宴Projectに持ち越されていた)

2019年1月
 年が明けて本格的に幻宴が動き始めるが、理由は正確にはよく覚えてないけどこの時めっちゃメンがヘラってた。幻宴は針の音楽団と違って新曲を演奏するプログラムだったので、楽団運営と共にアレンジ作業を並行する必要もあった。大変。

2019年3月
 やっぱオケやるの無理っぽそうだねってことで、針の音楽団に続き幻宴も吹奏楽編成に限定したコンサートになる方針が決定する。元々オケ編成で作っていた『命蓮寺縁起音詩』と神霊廟アレンジ2曲(『飛鳥の夜明け~』&『丁未の乱』)の3曲を吹奏楽編成に、そして命蓮寺の方は尺をコンパクトに再編し、『寂光浄土』というアルバムで発表した。このとき「幻宴はこういうプログラムにしたいね」っていうアイデアもある程度固まっていた。

2019年4月
 幻宴Project、合奏練習開始。これ以降月2回程度の頻度で合奏

2019年5月
 『神さまの足跡』が完成、例大祭で頒布される。幻宴のプログラムの一つ。

2019年8月
 『今は昔、古き新し』が完成、夏コミで頒布される。幻宴のプログラムの一つ。

2019年10月
 『風心花伝』が完成、秋季例大祭で頒布される。幻宴のプログラムの一つ。

2019年12月15日
 『幻宴Project ~ 幻想郷を彩る神々と仏の世界』が開催。

 例によって終演後これでしばらく燃え尽きた。例によって成功体験も非常にデカかった反面これが後の自分にとっての第二の「呪い」にもなる。イラストとスクリーン&プロジェクター演出をリアルタイムに生演奏と共に利用した表現の効果は抜群であった。

 「呪い」っていうのは何かっていうと「自分らしさがいちばん表現できる手段はやっぱこれしかないわ」っていう思い。CDとか音楽単体の作品よりも。そしてその思いは針の音楽団よりもビジュアル面との共演を果たせた幻宴の方が重い。

 ここまではまあまあ順調であったが年が明けたその先――。

2020年1月
 新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威を振るい始めて世界の風向きが怪しくなる。

2020年2月
 COVIDに構わず翌年の神霊廟十周年に向けて、第二回幻宴Project(幻宴2)の企画を動かし始める。「今度こそオケで」という目標で。

2020年3月
 ホールを確保すべく抽選に行くも抽選漏れ。ホール確保失敗。
 東方神霊廟は舞台設定が桜の時期なので、春がベストだねってことで2021年3月の公演を第一目標にしていた。が、ホールはご用意されなかった。まあCOVIDのこともあるしダメ元で抽選行ったってとこもあったので一旦様子見でいっかと思うことにした(結果論ではあるが翌年の2021年3月が本番できるような状態だったかというとなんちゃら宣言が二度三度繰り返し延長されるような状況だったし)。いつでも始動できるようにということで楽譜の用意をせっせと進めていた。ちなみにその副産物がこれ。

 ちなみに4月は新年度で色々大変だろうから公演月としては見送った。5月も例大祭の開催月と被るから見送った。なので3月はダメだったらその次の目標は6月という話だった。
 このとき、前年末の幻宴のライブ録音CDを静岡例大祭で頒布予定だったが中止になった。ちょっとメンがヘラった。

2020年6月
 6月になったが、なんか時世を鑑みるに厳しそうということで一旦断念。
 それまで気合を入れて楽譜を用意してただけにメンがヘラって死んだ。

2020年8月
 なんとか名古屋で東方名華祭が開催されてとりあえず3月に頒布するはずだった幻宴CDの初頒布機会になった。が、欠席のサークルさんなども多くいた。例年あるはずの夏コミは開催されなかった。

2020年10月
 前年末に公演した幻宴のDVDが完成。なんとか東方紅楼夢と秋季例大祭が開催されて、頒布もされた。前々から演奏会の映像を頒布したいねって話はあったが顔出し云々の問題もあって針の音楽団のときは実現しなかった。幻宴になってようやく実現できた。

2020年12月
 例年あるはずの冬コミは開催されなかった。
 通常、ホールを確保するのはホール使用月の一年前なので、2021年中に東方神霊廟十周年記念公演をするためには、2020年中に翌年のホールを確保する必要があったが、翌年の状況が読めないとのことで断念。そのまま2020年が終わろうとした。
 本当は十周年という節目に盛大にやることを目標にしていたが、「十周年でないと絶対にいけない」というほど開催年に強いこだわりがあるわけでもなかったので、十周年でなく十一周年でも良いかという思いはあった。
 このとき東方吹奏樂団の第7回定期演奏会があり(なんと初回から10年!)、こんな状況下でもお上からの政治的な圧力に負けず頑張って演奏会を開催して活動の火を消さないようにしようと頑張ってる知り合いの姿もたくさん見たので、それに勇気付けられて2021年から仕切り直そうと思った。そのノリでオフ会を企てた。このとき最初に借りていた会場が使えなくなったりと政治的に右往左往されたものの、都内の他のアマオケも活動が下火だったのか、急な会場変更には案外困らなかった。オフ会用に三管編成に組み直した楽譜もせっせと用意した。

2021年2月
 「幻宴2」の前準備という意味を込めた「幻宴1.9」ということで、『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』と『飛鳥ノ遷都 ~ アスカノセント』をオケで演奏するオフ会を企画・開催。次期幻宴をオケ編成で開催すべく、弦楽器奏者の知り合いを増やす目的で開催した。弦楽五部各1人ずつ埋まれば上出来かなぐらいのレベルで身構えていたら予想よりもうちょっと集まったので意外&嬉しかった。
 早ければ翌月にはホールを確保して、翌年の3月とかに本番を開催したい、ぐらいまでは思っていた。

2021年3月
 なんかあんまりCOVIDに対する世間の風向きがよくならない。まあもうちょっとしたらワクチン云々もあるしってんでもうちょっと長い目で時期を待った。尸解仙復活前の豊聡耳神子みたいに。
 とりあえず水面下でコンサート用の新曲用意しとくかっていうことでオケの新曲3曲をこしらえ、『古今東西むすぶ道』が完成、静岡の例大祭で頒布。

2021年6月
 緊急事態宣言だのなんだので一向に風向きがよくならない。こんなんポンポン発動されて練習会場とか突然閉鎖されたり本番なくなったりしたら楽団運営者の頭おかしなるで。あほくさ。は~つっかえ。ってことでこの時世でオケの活動続けるのしんどくない?オケの時代終わったんか???って思い疲れてきたので突如「脱オケ」を図る。『やまとごはん』が完成、頒布される予定だったが、その頒布イベントも緊急事態措置を受けて延期になる。

2021年7月
 延期になった東方名華祭が開催され、全然オーケストラアレンジじゃない東方アレンジアルバム『やまとごはん』が頒布される。

2021年10~11月
 『音降る幻想郷 ~ あなたの東方イラストに曲を書かせてください合同』が完成、頒布される。

 こちらも部分的に「脱オケ」を図りながら作った。10月の秋季例大祭と紅楼夢で頒布されたが、紅楼夢は会場の関係で一ヶ月半ぐらい延期になった。本作品の告知と共に「お休み宣告」をした。

2021年12月
 幻宴2が開催されることなく2021年も終わろうとしており、今このnoteを書いている。

これまでの約十年間の歩みは上記のようになっています。以上を踏まえて幻宴2ができない理由だったり私の気持ちだったりを整理しつつ吐露します。

2.理由その1・コロナ禍

まあ言うに及ばず今この世界を生きていたら察しはつくと思いますが、理由その1はコロナ禍に起因するものです。最近は

「突然の緊急事態宣言だのなんだので予定されていたイベントが中止されるのはよくない!」

っていう空気感を出してくれたお偉い様方も出てきてくださったおかげで、興行の世界あたりはだいぶ安定してきてはいるんですが、それでも「元の世界」とやらには戻ってないじゃないですか。

たとえば「針の音楽団」とか「幻宴Project」って20回ぐらい合奏練習してるんですけど、「元の世界」でする必要がなかったことを「今」はしないといけない。
毎回練習ごとに出席者の名簿・連絡先を管理して3ヶ月保存するだとか、
練習終わりには使用備品の消毒をしないといけないとか(しかも貸し出し時間内に)、
1時間ごとに10分程度の換気をしないといけないとか、
指揮者はマスクを着用しないといけないとか(←冗談抜きで死ぬぞ)、
アクリルパーテーションを用意しないといけないとか…………、
結局そういう負担や手間が「新しい日常」とかいうのを盾にして「元の世界」より増えている。上記の対策のために練習時間が減ってしまい練習回数が多めに必要になったり、感染症対策用具を用意するために経済的負担が増えたりする。これらは単純に仕事や経済的負担が増える。それを受け入れるのはシンプルに面倒くさい。ただでさえ「今までのような吹奏楽じゃなくて今度はオケにしよう!」という新しい大きな目標があってそれを実現させるだけでも大変なのに、他にも面倒くさいことが勝手に生えてきてるのが無理過ぎる。
あと本番終了後に打ち上げできないってのもヤバイよね。まあ打ち上げしたところで運営陣はみんな疲労でタヒんでるんですけど、やりきった感がね。練習後に演奏者の人らと一緒に食事したりとかで交流を深めることもできないし、少なくともアマチュアの人達でそういうのナシで良い演奏出来るとは思えないんだよね。音楽に対する考え方とか、演奏に対する向き合い方とか、人によって色々、あるジャン?

今までの「針の音楽団」と「幻宴Project」で築き上げてきた運営のノウハウも通用しない部分がたくさんあるだろうし、そういう面でも運営の仕事(雑務)が増える(特に本番当日に増える手間はもう想像すらしたくない)。
「針の音楽団」にせよ「幻宴Project」にせよ、これらはどうしても僕が動き出さないと企画そのものが進行しないシステムになってしまっているので、今まで以上にそういった運営負担が増えるのはちょっとヤバい。
一見運営の人員を増やせばある程度は解決できる問題のように見えるが、うちの場合意外とそうともいかないってのが、うちの企画のよくないところ。例えば「本番のタイムスケジュール作っといて」って誰かにお願いするも、司会進行(MC)の原稿を作っているのが自分でその原稿がまだ仕上がってないから尺が確定しない、みたいなのが死ぬほどたくさんある。デッドロック案件が多い。

針も幻宴も、白鷺ゆっきーが中心になって動いていることが最大のメリットであり、同時に最大のデメリットである。

それに頑張って我々が練習を積み重ねて色んな用意や準備もして「さあ本番の日を迎えよう!」としても、その日に来場者が来てくれるかどうかは分からない。「行こうと思ってたけど感染者が増えてきたのでやっぱやめときます」だとか「行こうと思ってたけど緊急事態宣言期間中なので自粛します」とか「行こうと思ってたけど遠方・地方在住なので感染爆発起こしてる都心に行けません」といった理由で来れない人が出てくる未来が今でもまあまあ予想できる。そういう不安要素がある中で「いっぱい来てくれるかな!?!?」っていう期待で胸を膨らませるのは、それが裏切られた時にはあまりにもしんどい。

ぶっちゃけ先の幻宴なんかは、手前味噌ですけれども「東方二次創作としてすごい価値のあるものを表現できたのではないか」という自負があるので、次の幻宴もあるなら、やはり前回以上に日本全国の東方ファンから来てほしいという思いが強くあります。神霊廟十周年だか十一周年記念だか知らないけど次が神霊廟題材だったら神霊廟ファンの人には尚更たくさん来てほしいし、うちのフォロワーは勿論来てほしいし、神霊廟スキーじゃなくても大阪とか奈良の東方ファンの人にも来てほしい。その可能性が割と簡単に潰えされ得る状況下(しかも事前に予想できない。こちとら一度決まった本番日程は基本動かせないのに。)でコンサートを企画するのはモチベが上がらないし、主催者として運営している一年間「ちゃんと開催できるかな……みんな来てくれるかな……」と不安を抱え続ける心理的リスクがデカすぎる。

ただ本番が出来れば良いのではなく、色んな人に来てほしいという思いが強くあるからこそ、その思いの強さが毒になってしまう。ぶっちゃけ今の巷の空気とか圧力っていうのは、多かれ少なかれ誰にでもあるはずのそういう感情を持つことを否定していると思うんですよ。果たしてそれでいいんですかね……? 「オンラインでやればいい」とか「配信すればいい」って何も知らずに軽率に言っちゃう人は、「じゃああなたはまずうちがアップロードしてる幻宴の本番の映像とか、DVDの映像とか最後までご鑑賞いただいたんでしょうか?」って話をしてやらないといけない。それに幻宴は当日来場者からのアンケート用紙非常にありがたいことに558枚回収されたけれど(我々ではありがたすぎるくらい驚異の回収枚数)、YouTubeのコメント欄は500件来る訳じゃないですからね。「旧時代の表現法に固執する人はこれを機に置いてかれれば良い」などとわざわざ仰ってくるのであれば、まあ良いですよ。ちょっくらお休みをいただきますのでね。

3.理由その2・経済的事情

2019年12月の幻宴が終わったあとから今に至るまでの2年間、生きることだけに精一杯だったってのがあります。こういう書き方すると「そんなに忙しかったのか」って思われるかもしれませんけどそうじゃなくて、「生きることだけに精一杯だったぐらい何も出来てない」みたいな感じでしたね。

なんとかCD作ったり合同誌作ったり活動を継続しようとはしてましたけれど、この2年間、コロナ禍で仕事が飛んだり、支払われるはずの報酬がいつまで経っても支払われなかったり、「幻宴のライブ録音CDたくさん作って頒布しまくっぞ!!」って意気込んでたら即売会なくなってたりとか、経済的ダメージを受けながら「えっなんでこんなことやってんだろ自分」と思うことが多かったです。

演奏会企画を始めるにはまずなんと言ってもホールの確保から始まりまして、その時点でホール借りるウン十万というお金が必要です。そのときポケットマネーからある程度まとまった額をドンと出す必要があったりもします。そういう幻宴2を始めるための最初期に必要な資金とかも、2020年の頭の方はあったんですけれど、2年間の空白を経て今はほぼほぼ崩れてますからね……。んまあ全くないというわけでもないですよ。でもそのお金を今このタイミングでポイするのは上記のこともあってリスクがありすぎる(たとえ返金措置があったとしても手数料や交通費はじめあらゆる諸経費全部が手元に戻ってくるわけでもなしに)。

それにオケでやるんなら吹奏楽以上に賛助出演の奏者(エキストラ・主に弦奏者)をたくさんお呼びしないといけない可能性を考えないといけないんですけれども、今はそのような金銭を用意できるほどの経済的基盤はない。

という感じで、端的に言うと動かすための金がない。仮に出せるとしてもその場でポンと出すリスクがデカすぎる。

4.理由その3・一年で人が変わるということ

幻宴2ができない理由は色々ありますけれど、これが最大の理由です

我々アマチュアの楽団が幻宴のような演奏会を運営・企画し、合奏練習を重ねて本番を迎えるには丸々一年という期間、あるいはそれ以上の期間がかかります

プロオケだったら事務局の方が先にいくつかホール日程押さえておいて事務局が公演予定組んで、楽団の方は本番直前になったら1回~3回程度(※)リハーサルやって本番、という形がオーソドックスかと思います。
(※……新曲初演且つ大規模なプログラムだともっと念入りにリハーサルすることもありますが、通常2回前後のリハーサルで本番を迎えられるのがプロ楽団における慣習でしょう。オペラやバレエ等だと役者・ダンサー・楽団で別々の稽古もします。)

しかしアマチュアの楽団ではプロとは違って、一つの本番を作るためにおよそ一年間という期間がかかります(小規模なものを除く)。本番月の一年前にホールを確保して、ホールが確保されたら、運営・主催者はそのときから一年後の本番に向かってずっと走り続けないといけない。なにより針の音楽団も幻宴Proejctも、白鷺ゆっきーが中心になって企画を動かしているという最大のメリットにして最大のデメリットを抱えているので、白鷺ゆっきーがいちばん走り続けないといけない。その間あんまり他のことに手を出している余裕がない。新曲作りながらCD作りながら幻宴運営している2019年とかマジで狂ってた。その間ないがしろにせざるを得ないこともあった。

曲が全部書き終わって一息つけるかと思ったらそんなことはなく……、

すべての曲から必要な打楽器を全部リスト化して、そこから楽器のレンタル費用にどんぐらいかかるか、それを捻出するのにどう運営資金をやりくりしていかないといけないかとか、あと何回この曲を練習しないといけないかとか、あとは楽曲の解説文も書いて司会原稿も作って、曲の雰囲気に合いそうな絵を描いてくれる絵師さんを探して、絵師さんにお願いするための依頼文も作って……、それでもしダメだったらまた別の人を探して……、ああイラストは何枚必要で絵師さんは何人にお声がけする必要があってそれで必要な経費はいくらなんだっけ……?あっ新しく確保できた練習会場の料金の支払いも行かないとだめんどくせえなあ~~……いま手持ちないから支払い用の現金も引き落としせなあかんやん………ああ来週の合奏練習はどういうことをやるか決めないとだ……前の練習の録音も聴かないとだ……。

みたいなことが本番の日までずっと続く。一年間ずっと。それ意外のことに手を出している余裕がない。

ほんでまあ、2019年12月の幻宴Projectまではまあ良かったんですよ。でもそっから2年が経ったいま2021年12月。翌年2月には僕もまた歳を取っちゃいます。僕の年齢がそろそろそういう年頃ってのがあるんですけれど、ちょろちょろ周囲から幸せなご報告が聞こえてくるんですよね。ご家庭を持ったとか、それ以外にも仕事で実力や実績が認められて昇給しただとかキャリアが上がっただとか、新しい仕事を受けさせてもらえるようになったとか、なんかコンテストやコンクールで入賞して名前が知れたとか人から認められたとか、そういう人生のステージを一年ずつ一段ずつ上がっていく人を見聞きするんです。

でも演奏会を企画・運営・実行するには、みんなが人生のステージを上げるであろう一年間を演奏会に丸々費やさないといけない。なんか、それでいいんだろうか?って思うんです。
針の音楽団も幻宴Projectも自分にとってかけがえのない人生経験で、すごい幸せ者だと思う。でも、それをずっと続けて良いんだろうか?それを続けるだけで、この先ずっと幸せでいれるんだろうか?って思うんです。事実この2年間、いやそれよりもっと前からも、自分が創作を続けることで苦しみを感じる経験は少なくありませんでした。今までと同じようなことを今後も続けて、それによって同じ苦しみも受け続けて、それでまた一年また一年という期間を年単位で費やして、幸せになれるんだろうか?っていう疑問があるんですよね。

自分は針とか幻宴とか、一つ一つなにかデカいことを成し遂げることで成長しているように感じるけれども、それはあくまで自分の人生の中の尺度における観測であって、別に針も幻宴も所詮自作自演コンサートだし、誰かから依頼を受けてやってるとか誰かの後援だとか後ろ盾とかお墨付きがあってやってるとかじゃないし、いわゆる社会の中で客観的に認められることをしているか?っていうと疑問なんです。それだと社会の一般常識の尺度からすると「ちょっと普通の人とは違うことを自主的にやってる変な人」であって、一年一年を積み重ねても人の目からは成長しているようには映らないんじゃないかと。それでいいのか?って不安なんです。

そして、前述の通り一年間というのは人生のステージが上がるのに十分な時間です。もちろん一年だけでは上がりきらずに中には二年三年必要な人もいるとは思いますが、一年という期間はデカいです。その間に色々なことを経験し、色々な移り変わりがあり、色々な成長をするでしょう。一年というのは、人が変わるのに十分な期間なんです。

たとえば、今は東方が好きだけれど、一年後は東方から離れてるかもしれない。
今はTwitterに浮上しているけれど、一年後はツイートもせずタイムラインも見ないかもしれない。
今は絵を描いているけれど、一年後は絵を描かなくなってるかもしれない。
進学したり就職したり家庭を持ったりで創作をしなくなってるかもしれない。
一年後には脱オタしているかもしれない。オタ活への熱が冷めているかもしれない。
一年後にはアカウントが消えているかもしれない。

一年という期間はそういうことが平然と起こり得ます。誰にでも。

「幻宴2」を実行するには、僕の構想の中では、演奏者はもちろんですが、特にイラスト方面において非常に多数の人の力が必要だと強く考えていました。だから、私は2019年12月の幻宴で得られたイラスト関係者の方々のコネ、そしてそれ以前から交流のあった協力者の方々とのコネを、なるべく手放したくないと思っていました。だから2019年12月の幻宴の熱が冷めないうちに、2020年の3月にはダメ元で幻宴2のホール抽選に行くとこまでは動いていたんです。

しかし以前の幻宴からもう2年が経っています。2年前は普通にやり取りしていたのに、既に連絡がつかない人、ツイートが全くない人、アカウントが消えている人、ちらほらいらっしゃるんですよね(もちろん去るだけでなくこの2年間で新しくお友達になってくれた人もおいでなんですが、いずれにせよ全ては諸行無常である)。

だから、今は交流があっても、仮に今から演奏会を企画したとして、一年後協力してもらえるかどうか分からないという不安、というか、一年後に本番が確約されても一年後には白鷺ゆっきーの演奏会に興味を持つ人が周囲からいなくなってるかもしれないみたいなことを考えるとすごい寂しいんですよね。
専ら「不要不急」だとか「自粛」とかいったワードがお上から巷に押し出されることによって、人々が興味関心を抱く対象が必然的に狭められてしまった感触がある。たとえば「なんか人だかりが出来ているのをみかけてお祭りでもやってるのかな?」って今まで見に行っていたものを見に行かなくなる。

「針の音楽団」も「幻宴」も聴きに来てくれた人の中には、「次に幻宴2があったら絶対聴きに行く!!」って言ってくださるとってもありがたい人もいるかもしれない。それはとても嬉しい。
でも、「幻宴すごいよかった!感動した!これは人生の大きな思い出の一つだ!」と思ってはくれたものの、その2年後の今、「でも今は東方とかコンサートとかとは異なるもっと幸せな生き方を享受できてる」っていう人もいる。年を重ねれば重ねるほど後者の人がきっと増える。その点では代わりに新しい人を入れればマーケティング的な意味では解決するのだろうけれど、所詮アマチュアの物好きがやってることだからうちの広報力にも限界がある(特に世代の差を乗り越えるのは非常に難しい)。

ちょっと2年という大きめのブランクが開いてしまったせいで、私感ですがこう、なんとなくタイムラインの雰囲気も変わってる感を感じますし、そもそもコロナ禍を皮切りにTwitterの居心地が悪くなって顔を出さなくなった人とかもいるでしょう。そもそも僕自身、10年以上前に東方つながりで知り合った音屋がいま東方クラスタに属してないみたいなパターンめっちゃ経験してるので(全ては諸行無常なのでジャンル移動を否定するわけではないけれど)、そういうのは普遍的な出来事として今後も身の回りで続々と起きるんじゃないかと、そういう雰囲気は現実から強く感じるんですよね。

うーんなんかそうやって、無情な時計の針と他の人の人生が進んでいく中で、自分一人が演奏会本番に向かって走り続けて狂いまくるの、その狂気を演出しきれるか? 演出しきれるのか? 仮に一年後まで走れたとしても「この本番の日のために頑張る!!!頑張るゾオオオオーーーーー!!!!」ってラストスパートまで突っ走ってる時に「やっぱり遠征許可が出ないので演奏会聴きに行けそうにないです……」「感染者の多い都心に行くリスクがあるので行けないです……」なんてのがポツポツ聞こえてくると死ゾ。メンタルこわれる。そんで自分ががむしゃらに走り続けてきた一年間の間にまた同い年の友人が新しい人生を一歩歩んでたりする。死ゾ。それでいいのか??????

5.その他の理由・まとめ

もちろんやっぱり「神霊廟題材でデカいコンサートしたい」という思いは僕の明確なです。今でもそのを実現したいという思いは確実にあります。だけれどその夢を実現したいと思いながらそれを実行できていない期間が、既に2年近く経っている。その間何度もメンタルをすり減らし続けている。今後もずっとそのを持ち続けて、そのを持ち続けていることが原因で今後も現実に裏切られてメンタルをすり減らし続けるのは、アホなんではないかと。
そうしてメンタルを削りながら、「今度いつ出来るかな……? いつかな……?」とまた一年、また一年と過ぎ去っていくのを体験するのはもうダメでしょと。それならもう諦めちゃったほうが良くない?という感じです。
とはいえ、その夢をまだ否定したくないから2割ぐらい夢の可能性を残してはいるんですが。またその2割に“賭け”をしてしまうと自分の期待で自分を殺してしまう。

あと「針の音楽団」と「幻宴Project」以外に、自分の実績や実力を見知らぬ人にアピールできるものがあんまりない。とりわけ東方Projectの二次創作という性質が関与しないニュアンスにおいて。その状態をずっと今後も続けていいのか? というのもあります。ちょっと嫌らしい表現ですけれど、「東方一本で生きていく!!!」みたいなことが認められるんだったらまあ自分でそういう生き方を選択しても良いかもしれませんけれど、今後もずっと食いつないでいく必要もあるから、なかなか、ねえ……? そもそもそういう生き方に反感を持つ人はいると思いますが、それ以上にそういう生き方を選択するってよほど覚悟がいることなので、ヤバいっすよね。例えば極端な話、ZUNさんが10年後に東方作るの終えちゃったらそれ以降どうすんの?って話になっちゃいますし。

他にも、他が主催・開催する東方のコンサートとか、クオリティ高い演奏あるし、そっち人気あるしみんなもよくそっち聴きに行ってるからな……別に自分が苦しんでまでやらんでもええか……って思いもあります。前までは「おれさまのも聴け!!」って思いが原動力としてはあったんですけど、まあ世の中には越えられない壁というものがありましてね、その壁に向かって「おい!オイ!俺を見ろ!!」って言い続けるのも狂人じゃん。うちも広報力には限界があるし、ウン百万単位の金をサラッと動かすことを恐れないぐらいに金稼ぎ出来てるわけでもないし。そういう意味では「ゆっきーさんの曲が・演奏が聴きたい、舞台が見たい」というご指名のご意見は非常に励みになるんですけれど、如何せんこの点以外に他にも上記のような難しい現実的問題が多すぎるせいで……。

さらに他にも細かいことを言うと、針とか幻宴のような演奏をアマチュアの楽団で仕上げるためには「20回ぐらい合奏を重ねる必要がある(多分)」といううちの見解なんですけれど、アマチュアの楽団の活動中って、アマチュアの楽団なりの性質に起因する諸問題があって……、奏者が途中から失踪するとか……、人間関係でギスギスするとか……、そういうのをなんとか良い感じにやっていくのも楽団運営の仕事の一つで、これも結構運営としては大変なんですよね。
プロだとこの辺の悩みはかなり少ないと思うんですが(仕事になるからその反面やる気とかがドライになりやすいとも言う)。そういう意味では、最初からプロ雇えるほどの大金を全員分バーーン!!と用意してしまえばあとは事務的なことをパパパッとクリアしていくだけで本番できるっちゃできる。むしろ金を用意するという最大のミッションをクリアしてしまえばこちらの方が楽まであるしかなり現実味を帯びてくる。奏者を一人ずつ招集するのは大変だろうけれど。誰かその辺全部やってくんないかな。お金も事務も含めて。

とまあ、幻宴2ができない理由としては以上こんな感じです。誰かが解決してくれるか(超他力本願寺)、誰かが解決に協力してくれるか(超他力本願寺2nd Edition)してくれたらワンチャンありますけれど。まあそんな簡単にウマい話はないと。
他にもここには書いていない一つ個人的にデカい要因があるんですけれど、それはもう本当にどうしようもないことなのでまあいいです。

6.(ネタバレ)幻宴2の構想概要

そんなこんなで、神霊廟題材の「幻宴2」という夢はずっとあたため続けていましたが、小さな希望をもとにそれを持ち続けるのも精神面と時間の問題ということで、ここにその実現しない夢の風呂敷を夢のまま広げちゃいます。以下より妄想垂れ流しゾーンです。難しい言葉で言うとこれが俗に言う「企画書」なんですけれど。誰か以下のプログラムでやっていいよ。譜面貸すので。楽曲の料金は相談で。

催事名:『幻宴Project20XX ~ (タイトル未定)』
XXのとこは開催年のつもり。サブタイトルは「古代から幻想郷への時空紀行」とかそんなニュアンスがいいな。正式決定じゃないけど。

企画要旨:東方神霊廟十周年記念オーケストラコンサート(もう十周年じゃない)
(ただのオケコンでなく前回以上のプロジェクター演出を利用してシネマコンサートのようにしたい)

テーマ(暫定):つながる、古代と現代、そして未来。
こっち催事名のサブタイトルでも良い気はするけど東方感薄い。

楽団編成:三管編成のオーケストラ
(女声クワイアも入れたいアイデアもあり)
(一部楽曲金管のバンダ有り)
(ドラムセットも入る関係で最良の音響のためにはPAや配置の工夫などが必要かと予想される)

編曲・指揮:白鷺ゆっきー

7.(ネタバレ)幻宴2のプログラム

第一部
『古今東西むすぶ道』より
(演奏時間26分ぐらい)

1.『古今東西むすぶ道 ~ シルクロードを吹いた風』
 原曲:シルクロードアリス
    プレインエイジア
    懐かしき東方の血 ~ Old World
    人形裁判 ~ 人の形弄びし少女
    ラクトガール ~ 少女密室
    月時計 ~ ルナ・ダイアル
    明治十七年の上海アリス
    亡き王女の為のセプテット
    U.N.オーエンは彼女なのか?
 本旨は神霊廟十周年。でも神霊廟だけだといっぱい人を呼ぶのムズいから他の分かりやすい曲も演奏しようっていう意図がアリアリなんだけれど主題となるのが「シルクロードアリス」っていうすんげーチョイスをしてる曲。
 神霊廟は作品の背景上、「仏教の伝来」や「大陸の存在」という概念を外さずにはいられない。インドから大陸を渡り長い期間を経て日本にやってきた仏教伝来の道をシルクロードにたとえ、シルクロードの終着点とも言える日本、そして幻想郷の世界を足がかりに、幻想郷の歴史に思いを馳せながら、アジアと西洋の文化が混ざり合うシルクロードワールドを体感する。コンサートの開幕曲。いっぱいイラスト演出使いたい。

2.『眠れる魂、春風によせて』
 原曲:ゴーストリード
    死霊の夜桜
    幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life
    さくらさくら ~ Japanize Dream...
 本旨は神霊廟十周年。しかしメインである後述の第二部・第三部のプログラムは主に神霊廟の3~6面のキャラ(神子・布都・屠自古・青娥・芳香)のみにスポットが当たるので、ここで1面の幽々子を拾っておく。あと神霊廟は時期設定が春なので桜。それと、神霊廟十周年ということは同時に震災から十年ということもあり、神霊廟自体が「人の死」を扱うデリケートなテーマであることから、鎮魂歌・レクイエムとしての意も含んでいる。

3.『交響的叙事詩 ~ 霊長園袿記』
 原曲:偶像に世界を委ねて ~ Idoratrize World
    エレクトリックヘリテージ
    セラミックスの杖刀人
    ビーストメトロポリス
    輝かしき弱肉強食の掟
    トータスドラゴン ~ 幸運と不運
    聖徳太子のペガサス ~ Dark Pegasus
 本旨は神霊廟十周年。しかし神霊廟キャラが生前を生きた古代日本では権力者の古墳も多く造られている。古代といえば古墳、古墳といえば霊長園!鬼形獣!ということで、本楽曲は神霊廟に次ぐサブのメイン曲(神霊廟オンリープログラムだと集客するの難しいしね……)。
 迫害を受ける霊長園の人間霊のもとに神が現れるも、畜生界からの刺客によってその神が破れてしまうまでを描いた神の叙事詩。後半、動物霊の応援が来る場面でトランペット3人のバンダの演出がある。オットリーノ・レスピーギの交響詩『ローマの祭り』の第一部『チルチェンセス』及び交響詩『ローマの松』の第四部『アッピア街道の松』からインスピレーションを得た作品。劇的なイラスト演出いっぱい使いたい。

~ 休憩(20分) ~

第二部
『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』より
(上記アルバムから組曲として抜粋して演奏)
(演奏時間40分ぐらい)

演奏の前にMC・神霊廟のストーリーの背景概説)

4.『飛鳥の夜明け、伝説のはじまり』
 原曲:聖徳伝説 ~ True Administrator
    大神神話伝
    夢殿大祀廟
    古きユアンシェン
 大河ドラマ的な雰囲気を彷彿とさせるオープニング(先の幻宴では吹奏楽編曲で演奏した。イラストも再編して先の幻宴のときより枚数多くしたいな)。

5.『隋からの渡来人』(一部カット)
 原曲:古きユアンシェン
    聖徳伝説 ~ True Administrator
 隋から訪れた青娥と豊聡耳神子との接触を描く。

6.『丁未の乱』
 原曲:大神神話伝
    夢殿大祀廟
    聖徳伝説 ~ True Administrator
 物部氏と蘇我氏との崇仏・廃仏論争をかけた内戦を描く(先の幻宴では吹奏楽編曲で演奏した。先の幻宴ではあくまで神霊廟の二次創作ということで東方色が薄くならないように配慮した演出にしたけど、今回はそんな配慮しなくてもバリバリ他の曲で神霊廟要素たんまりあるから、ここでは普通に物部守屋とか蘇我馬子とかもバリバリ描いてもらってスクリーンに映したいぞ。)。

(MC・豊聡耳神子は内戦で勝利を収めたがその後……という感じのナレーション

7.『衰えと慰撫』
 原曲:夢殿大祀廟
    聖徳伝説 ~ True Administrator
 水銀とか丹とかで弱った豊聡耳とそれを慰める屠自古を描く。

8.『二人を結ぶもの』
 原曲:大神神話伝
    夢殿大祀廟
 のどかな飛鳥の丘の上で「二人で太子様に仕えようぞ」と密談するふとじこを描く。めっちゃエモい演出にしたい。聴衆がみんな明日香村に行きたくなるような感じにしたい。

9.『我にお任せを』
 原曲:大神神話伝
    聖徳伝説 ~ True Administrator
 布都に「尸解の実験体になってくれへんか」って頼む豊聡耳、そして布都の後に続いて眠る豊聡耳を描く。今後の行く末が気になるところで第二部終了。この曲を終えて休憩に入ると、客席の人らは「ああ、あの子ら1400年後自機にボッコボコにされるんやろうなあ……」「屠自古だけかわいそうに置いてかれるんやろなあ……」ムードで満たされる。はず。

~ 休憩(20分) ~

第三部
『飛鳥ノ遷都 ~ アスカノセント』より
(上記アルバムから組曲として抜粋して演奏)
(演奏時間1時間ぐらい)

10.『明けぬ夜、眠る待ち人』
 原曲:夢殿大祀廟
    聖徳伝説 ~ True Administrator
    デザイアドリーム
 『飛鳥之憶』のトラック8『追放――、そして目覚め、再会。』の冒頭部分が演奏された後に本楽曲に入る。第三部のオープニングで、尸解に失敗し、ただ神子の復活をしたたかに待ち続ける屠自古の様子を描く。

(MC・屠自古は尸解の術がうまくいかず、それから1400年の時が経ち……という感じのナレーション

11.『土中の日の出 ・ 墓場にたつ戦士』
 原曲:リジッドパラダイス
    古きユアンシェン
    素敵な墓場で暮らしましょ
 VS 芳香 の様子

12.『一直線の猛追 ・ 新しき異邦人』
 原曲:デザイアドライブ
    古きユアンシェン・リジッドパラダイス
 VS せいよし の様子 原作の演出の通り、「さっき倒したはずの敵がなぜ!?」っていう演出入れたい。

(MC・夢殿の内部へと侵入してきた霊夢達。一方その頃の夢殿――、布都はまだ眠りから覚めていない。そこに1400年亡霊として過ごしてきた屠自古が布都のもとを訪ねてきて……という感じのナレーション

13.『夢殿を舞う亡霊 ・ 風水道士 ~ 物部布都』
 原曲:夢殿大祀廟
    大神神話伝
    聖徳伝説 ~ True Administrator
 『飛鳥之憶』のトラック8『追放――、そして目覚め、再会。』の後半部分が演奏された後に本楽曲につながる。屠自古は恐る恐る布都の様子を見に行き、そこで布都は1400年の眠りから目を覚ます。ピアノソロによるおぼろげな『大神神話伝』と共に、先の第二部の演出で用いたスクリーンのイラストがセピア調で何枚も再現され(ここ絶対エモい)、1400年前の二人の思い出を回想しながら二人は再会を果たす。しかし侵入者の妨害を押し止めるために、二人は再会後まもなく離れ離れに。
 前半の『夢殿大祀廟』では女声クワイアの演出があり、3階席から神秘的な音を降らせたい。後半の布都戦では第二部の『丁未の乱』の再現演出をしたい。物部守屋の姿が物部布都に憑依する的な演出入れたい。でも自機勢を撃破すること能わず、終盤では最後の力も功を成さず、太子様に仕えるはずの自身の無力さを実感し、目に涙を浮かべながら夢殿の底へと無情に落ちていく布都を表現したい。最後の音がなくなる瞬間にステージの照明が落ちても良い。

14.『目覚めまでの夢路 ・ 道士の為政者 ~ 復活と復讐』
 原曲:聖徳伝説 ~ True Administrator
    夢殿大祀廟
    大神神話伝
    古きユアンシェン
    小さな欲望の星空
    欲深き霊魂
 まだ眠りから覚めぬ自信なさげな神子の夢の中の演出から始まり、6面道中→VS 神子と移り変わる。これ針の音楽団の二番煎じになるけど、ステージを暗くした状態からミラーボール使う演出再現したい。神子とのバトルシーンは結構イラストの枚数いるんだろうなあ。『召喚「豪族乱舞」』は勿論演出する。

15.『幻想郷の夜明け、伝説のつづき』
 原曲:聖徳伝説 ~ True Administrator
    夢殿大祀廟
    大神神話伝
    感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind
    古きユアンシェン
    リジッドパラダイス
    デザイアドリーム
 自機勢にのされた神子たちの翌朝。エンディング。「復活したはいいけどぶっちゃけここ(幻想郷)に私の居場所なくない?なんか宗教敵(寺勢)おるし」と惑う神子を仲間達が励まして、気を持ち直させて、さあ新たな人生を楽しもうと前へ踏み出していく曲。日出ずる処の天子が、日の出と共に、新たな伝説を携えて幻想郷の歴史の上を歩みだす。

(演奏し終わったところでたぶん恒例の主催者がなんか喋る)

16.アンコール
 ここは色々アイデア案はあるが未定。
 神霊廟十周年とはいえ拾えてないキャラもいるのでそのへんなんとか回収したい。

これでうちの大雑把な試算では前回の幻宴に同じく15時開演で三部構成・20分休憩2回挟んで18時過ぎ~18時半ぐらいに終演する計算(ほんまか?)。

8.(ネタバレ)幻宴2の演出面とか懸念

基本は前の幻宴の通り生演奏と一緒にプロジェクター&スクリーンを活かした演出をしたい。
そしてとりわけ第二部・第三部に亘って演奏される神霊廟の組曲は(あくまで僕なりの神霊廟解釈に基づくものですが)明確なストーリーの筋がある程度用意されているので、それを音楽の演奏とビジュアルと両方で聴衆に訴えかけるようなものに仕上げたい。故に、おそらくストーリーを演出するために必要なイラストの枚数は、前回よりも増える。多分。具体的に何枚か、何カットぐらい必要かってのはそこまでアイデアまとめてないんですけど。

でそのイラストの枚数を集めるには絵師さんのそれなりの人数が必要だと思うんですけれど、果たして集められるのか?と。もう既に先の幻宴から2年経ってるんで、幻宴に参加していた人、生で見ていた人ならあの演出のデカさがなんたるものか肌で感じていると思うんですけれど、そうじゃない人からすると、「うち2年前あんなことやってたんですよ。興味ありませんか?」とお声がけしても色好いお返事が皆様方から返ってくるかどうかっていうと微妙な線な気がするんですよね。同人界隈って結構年が経つごとに微妙に空気変わってきますし。

あと「解釈違い問題」がちょっと怖いですよね。もしかしたら「あなたの神霊廟解釈とは異なる解釈の描写をお願いしてしまうかもしれないんですけれど、どうか描いてくださいませんか」みたいなことが全く起きないという保証はない。
「あの人はみことじ固定カプだからひじみこの場面をお任せするのはNOだな……」みたいなことはある程度事前にこちらが察した上でお声掛けするんですけれど、それでももしかするともしかしたら、(本当は私の中の解釈ではちょっと違うんだけどなあ~~まあお願いされたから描いてやるか)みたいな形で、半ば作家さん自ら自分に嘘をつかせるような形で描くことをお願いしてしまうかもしれない。

それと、一応コンサート・音楽会・演奏会という名目で催事を催しているのに神霊廟のストーリー解釈を客席に押し付ける形になってしまうんじゃないか、ってのもちょっと懸念だったりしますね。「これが神霊廟だぞ!!」っていうのを大多数に一度に押し付けてしまうと、「いや私の神霊廟はそうじゃない」って人から冷ややかな目で見られちゃう。あんまりそういうのは望んでないんだよな。ムズいけど。

あとは絵柄の統一問題。こればかりはほぼどうしようもない。明確なストーリーがほぼ出来ている上で場面によって絵柄が違うことが、受け手にとって鑑賞の違和感にならないかどうかってのはちょい懸念がありますね。そこも表現の仕方・伝え方次第でどうにかなるような気もするんですけれど、シネマコンサートチックにやりたいなあって思いも結構あるもんだから、そのへんどう折り合いつけるべきか。まあやってみんと分からんような気もする。

演奏面で言うとドラムセットとクラシカルなオケの対話の難しさによる懸念。このコンサートは、オーケストラ編成とはいえ神霊廟の音楽をクラシックのスタイルにアレンジして演奏するものでなく、音楽とビジュアルの両方を使って神霊廟の世界観を演出し聴衆に体験させることが趣旨です。そのため、特に原作における神霊廟の独特の雰囲気やリズム感を出すのに、アレンジ上編成からドラムセットを欠くということは考えられなかった。
基本的にドラムセットというのはポピュラー音楽の土壌の上で育ってきたものであるから、クラシック音楽のそれとはちょっと空気感や言語・文化が異なっているんですね。ポピュラー音楽とクラシック音楽、それぞれの世界で共有しているリズム感覚・文脈・空気感が異なるために、この異なる性質を持った二つの音楽を同時に演奏するにはちょっとひと手間かけないといけません。
管楽器の人は吹奏楽でドラムセットと一緒に演奏したりポピュラー音楽的な文脈もある程度かじっている人が多いので、管楽器の人は比較的ドラムへの抵抗はないと思うんですけれど、問題は弦ですね弦。弦セクションとドラムセットの折り合いをつけるのはムズい。リズム感も違うし、何より音量が全く違う。ドラムの何の配慮もハンディもない爆音は基本的に弦が何人いても敵わない。そして弦は発音のタイミングが基本的にジャストの点よりも遅くなる。
これを解決するには、ドラムセット側も、クラシック側の人も双方から歩み寄って相互理解を進めていくことが必要で、まあそこは指揮者としての力もめちゃくちゃ試されるところではあるんですが、その大きな課題を乗り越えられるかどうか、ですよね。スタジオミュージシャンとかならこういうの慣れっこなのでバリバリ難なく出来る人が多いんですけれど、アマチュアだとそう慣れてはないので。

9.最後に

今年11月に拙作『神霊廟秋祭りっ!』がダンカグで実装されて、ダンカグを通じてうちのサークルも色んな人に認知してもらえて、まだまだこれからなんじゃないか?っていう気もするからすごいもったいない感じはあるんですよね。でも、一年間という、普通の人にとっては長くて、楽団運営者にとっては短い時間を一人で突っ走り続けるのは、得られるものもあるが時間そのものやメンタル面など失うものも大きい。特に「若さ」とかは一生帰ってこないしな。というか元はと言うと2019年の幻宴の余熱を活かしたままもう一年間走り続けるための2020~2021年をCOVIDが奪っていきやがったし、今後も元の世界に戻る気配がしばらくないし、生存活動を続けていくだけでもタダで済む訳じゃないし、人間関係も人の興味関心もましてや東方でさえも万物は諸行無常だからもうそういうの全部ひっくるめてめんどくせ~って話なんですけれど。
やっぱ一年という時間が無情に過ぎていくのはつれえわ。

幻宴2をオケでやるために、ちょくちょくリリアのオケの演奏会聴きに行って、ああこんな客席から聴くと音響がするのかってのを客観的に吟味したり、舞台上の配置を観察したり、弦セクションが何人いて何型かも調べたり、ドラムセットと共演しているオケでドラムがどういう演奏の工夫をしているかを注意深く観察したり、オケで本番やることを見据えた「視察」も結構熱心にやってたんですけれどね。結局我々の本番をやれず仕舞いでございます。

まあだから、今年の秋季例大祭・紅楼夢をもちましてお休みをいただきますっていうのはこういう色んな思考をめぐらした上での一つの決断なんです。その決断がどんぐらい固いものかは自分でもよく分かってないですけど。

別にサークル「針の音楽」自体が東方の二次創作コンサートを開催することを最終目標に活動しているサークルというわけではないんですが、やっぱり「針の音楽団」と「幻宴Project」を通して得られた達成感、(部分的に拙い箇所はあったとはいえ)来場者の皆さんからお寄せいただいた多大なる評価、これらを受けると、やっぱり針とか幻宴でやってるようなことが、いちばん自分が表現したかったことなんだろうなっていう確信があったんですよね。そしてその成功体験が同時に「呪い」にもなっていて、「演奏会やらないと自分を精一杯表現できない」っていう思い込みが、一年単位で自分を苦しめていると。

そんで演奏会やらなかったらやらなかったで、
「ン~~~でも音楽だけだとやっぱ自分が表現したいものは人に伝えられんしなァ~~~どうしたらいいものか」
つってまた悩んで、病む。演奏会運営しても苦しむし、演奏会運営しなくても苦しむ。

既に結構いろんな東方の二次創作活動、っていうか、東方のアレンジやってきましたけれど、「音楽だけ(とりわけ詞をもたないインストだと)」では本当に自分の表現したいことは表現できない・伝えられないなという実感がここ最近ひしひしとあるので、それを今後も続けるのもちょいつらみがある。かつてはそのつらみに対する救いが先述の通り針とか幻宴になってたんですけれどね。だからこそ、「自分がドブドブハマった神霊廟の世界観を活かして、神霊廟題材ででっかいシネマコンサートチックなオーケストラのコンサートを開くぞ」っていうのは自分にとっての本当に大きな夢だった。でも今はその救いの手段すら用意されてない(厳密には用意するのが難しい)。

なんかちょっと、いかんなと思うわけです。このままだとね。だから「お休みをいただきます」と。まあ年末の冬コミはちょっと色々あって予想外に受かっちゃったので出ることには出ますが(新譜はないよ)。お休みと言っても特に期限を決めてるわけじゃないのでいつ帰ってくるかは分かんないんです。まあ、それも諸行無常ですから。

そんなこんなで、幻宴2こと神霊廟十周年記念オケコンサートについては、一応まだ2割ぐらいは開催する希望を持ってはいるけど、それを持ち続けるのもしんどいので、こういうnoteを書くという形で一旦見切りをつけようかなと思っている次第であります。
今年2月に『飛鳥之憶』と『飛鳥ノ遷都』の音出しオケオフ会やって、その場でめっちゃ「これの演奏会をやりたい」って言って多くの参加者の皆さんからも協賛を得たんですけれど、これまで述べてきた通りそういう思いにまとまっちゃいまして、「やりたい」という思いは今も確実にあるにはあるんですが、結局今後も皆さんのご期待には応えられないまま時間が過ぎ去っていくことになろうと思います。申し訳ないです。
「またゆっきーさん演奏会やってくれないかな」という思いで作品買ってくれたり応援してくれたりなんだりしてくれた人も、ご期待に応えられず申し訳ないです。

『飛鳥之憶』と『飛鳥ノ遷都』は一部楽曲抜粋ではあったけれど一応2021年2月の突発的なオフ会で初見合奏ではあったがやれたはやれた。でも第一部のプログラムになるはずの『古今東西むすぶ道』は一度も音出し出来てないので、そのうち「ゆっきー譜面断捨離オフ会」でもするか。元気があったら。『交響的叙事詩 ~ 霊長園袿記』とそれの元ネタになったレスピーギの曲を弾き比べするとかでも良いや。

あ~誰か上記のプロットであたくしと解釈と表現が一致する神霊廟オケコン代わりにやってくんねーかな。譜面貸すよ。あと指揮者も。

ゆめのおわり。


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